やっぱり国語の授業は大切!国語教師たちの仮面座談会。
国語教育はここがダメ!現役教師が持つ不満
−−「時代に合わせた教育」、とても考えさせられますね。
では、この際、現行の国語教育や指導要領、または現在・過去の勤務校での指導方針などに対して抱えている不満をぶちまけましょうか。
Bさん:指導要領云々というか、指導要領に沿って指導してない場所もあることが不満です。
Aさん:私は指導方針そのものに不満はありませんが、授業準備のリピートが効かないことが多々有るなど、他の教科に比べて国語科独特の仕事という教材が持っている本質的な大変さがあります。
Eさん:うーん、指導要領は言っていることがふわっとしていてよく分かりません。また、指導要領はいわゆる指導する上での「最低基準」の位置付けなので、生徒のレベルに合わせて、より高いレベルの授業もすることも出来ますが、公立校の場合だと、生徒のレベルがばらばらなので正直難しいです。
学年ごと、学年横断の教科会が定期的に開かれていましたが、各クラスの進捗確認やテスト範囲の決定がメインで、指導法や生徒の意欲等についての議論・相談がほとんどなされていませんでした。そこで新任教師は置いていけぼりをくらいます。なので、正直、教育学部卒でないと特に中学教師は厳しいかもしれません。理由としては、教材の難易度が低いので、必然と指導法のウェイトが高まるからです。
Cさん:そうですね。また、受験用の学習と作品そのものの面白さを知る学習が必ずしもイコールではなく、難しさを感じます。
Dさん:私は特にないですが、強いて言うなら、書写の授業の前に鉛筆の持ち方を直すべき。
指導要領に載っている、「生きる力」とは
−−いろいろとご意見を頂きましたが、国語教育の指導要領にも含まれている「生きる力」とは一体何のことだとお考えでしょうか。
Eさん:「生きる力」。言っていることはわかりますが、やっぱり抽象的。主体的に行動し、他者の声に耳を傾け協調する力。国語においてはそのために必要な、コミュニケーション能力を醸成することが求められているのではないでしょうか。
Aさん:「生きる力」とは自分で課題を発見し、その課題の解決に取り組む能力のことであると理解しています。確かに抽象的であるとは重いますが、抽象的「すぎる」とは思いません。抽象的であるがゆえに幅も広がるし、各教員の創意工夫の余地も広がるのではないでしょうか。
Bさん:学ぶ楽しさ、生涯学ぼうとする意欲や態度。国語、伝統的文化が大切であることです。
−−先ほども、国語授業の枠を超える話が出ましたね。
Cさん:そうですね。「生きる力」はコミュニケーションを取る力だと思っています。自分の考えを持ったり、相手の意見に耳を傾けたりできるようになるのは国語の学習を通して培っていくものだと思います。
Dさん:国語の生きる力を育むことは紛れもなく、読む力、書く力、話す力、聞く力を付けること。ただ最近は、話す力、聞く力に力点が置かれすぎだと感じています。
国語教育の可能性と限界
−−ご自身が企図している国語の指導法のなかで、現行の国語科教育の枠組みの中で可能なこと、不可能なことは何でしょうか。
Aさん:いわゆるアクティブ・ラーニングをもっと行いたいですが、時間的な制約が大きくあるので、なかなか出来ていません。つい、座学に偏ってしまいます。
Dさん:ディベートや表現活動、PCを使ったプレゼンテーションは可能なので実践すべきだと考えています。不可能なのは、灘校の橋本武先生がされていた、銀の匙の授業(※)のようなもの。1冊の本を読み解いていく授業をするのは、多忙な教師にとってかなり難しいですし、批判も多いと思います。
(※)中勘助の小説「銀の匙」一冊を、3年間かけて読むこむ国語の授業
−−アウトプットの積極性を促したい一方で、教師の裁量の問題もあるということでしょうか。
Cさん:もう少し、授業の中で作品の面白みに重点を置ければと思っています。
Eさん:皮肉ですが、漢字の読み書き、相手の意図通りの答えを出させる能力をつけることは出来ると思いますよ。不可能なのは、自由に発想し、感じ、それを間違っていないと言える自信を付けること。
前者についてですが、現行の国語教育は誘導尋問的に解答を導き出します。なので、国語が得意な人間は「空気を読む」ことが得意な人間なのではないかと思っています。特に鑑賞においては自由に感じるべきであって、正解は存在しない。
評価上、正解を設けなければいけないのはわかります。しかし、それによって生徒の自信や意欲喪失につながっているのも否めません。
国語を通して身につけてほしい力
−−では最後に、「国語」を通じて生徒に本当に身につけさせたい力とは何でしょうか。
Eさん:読む・聞くといったインプット能力、話す・書くといったアウトプット能力ですね。この能力によって人生を豊かにしてほしいです。
Dさん:想像力。
Aさん:自分とは異なる思考や感情や価値観を、言葉を介して理解する力。
Cさん:自分で考え、自分の意見を言葉にできる力と、相手の意見を言葉にできる力と、相手の意見を理解し、共感する力。
Bさん:言語能力を育成することで社会で生きていく力を養ってほしいと思っています。
−−学校の授業では習わなかった、国語授業の新たな一面を見せていただき、どうもありがとうございました!
編集後記
国語教育は本当に情緒を育てるのか。指導要領に含まれる「生きる力」とは。国語を学ぶことで身につく力とはいったい何か。今回の座談会ではこのようなテーマを5人の教育者に投げかけましたが、同じ教材を使い、同じ指導要領に従っていても、その答えは千差万別。時には真っ向から対立することも。
この結果からは人を教えるということの難しさ、そして何よりも「国語」という教科が持つ多義性を思い知らされるようです。
文部科学省が発表している資料によると、9年間の義務教育の授業時数8,307時間中、国語の授業時数は1,727時間。全体の5分の1以上という長い時間を使って、私たちが作文を書き、評論を読み解き、小説の世界に潜り込むのはなぜか。
その問いに、あなた自身の答えを出してみてもいいかもしれません。
初出:P+D MAGAZINE(2016/03/30)
- 1
- 2