【ラブレター】あの大作家がLINE告白したら!?

「愛の告白」もLINEで気軽にできてしまう現代。過去の大作家たちの命がけのラブレターを、LINE風に再現するとどうなるでしょうか。

皆さんは、好きな相手に「告白」したことがありますか?

LINE等のコミュニケーション手段が広まった近年では、「スマホ片手にサクッと告る、ダメなら次」というように「告白の形骸化」、「若者のときめき離れ」が進んでいるのではないか……というような話題もちらほら耳にします(※筆者調べ)。

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一方で、こんなに便利なコミュニケーション手段がなかった時代には、「愛の告白」と言えば、面と向かって気持ちを伝えたり、震える手で電話をかけたり、心を込めた手紙を何回も書き直したり……と、手に汗握る一大イベントだったのです。

実際に、過去に文豪が残したラブレターの数々からは、相手を惚れさせるための文章術と、身悶えるような恋愛模様が浮かび上がってきます。

そこで今回は、中川越著、『文豪たちの手紙の奥義』(新潮文庫)を参考に、文豪たちの恋文の技術をLINE風に再現してみました。大作家たちがLINEで好きな人に告白したら、そのスクリーンショットが全国にばら撒かれた!といった想定でお読みください。

 

胸キュンで有名な芥川のラブレター

「羅生門」や「鼻」、「蜘蛛の糸」などの傑作短編で知られる芥川龍之介

人間の本性を冷徹かつシニカルに見つめたその作風とは裏腹に、25歳の芥川が17歳の婚約者、塚本あやに書き送った手紙は、そのデレデレ具合でよく知られています。

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8歳差の恋というだけあって、まるで絵本を読み聞かせるかのような口調が印象的なラブレターですね。その前年、文にプロポーズをした手紙の中で芥川は、同じくていねいな言葉を使いながら自分の経済状況を説明し、歳下の相手に対してしっかりと誠意を示しています。

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いかにも真っ直ぐで、ラブラブなカップルですが、実はこの婚約期間中、芥川と夏目漱石の娘・筆子とのあいだに縁談が持ち上がった、という噂が立ち、芥川は文に釈明の手紙を書いています。

 

↓ そのやりとりをLINE風に再現 ↓

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つれないあの娘を魔女裁判。高村光太郎の運命の恋

詩人にして彫刻家、高村光太郎が長沼智恵子と出会ったのは明治44年、高村が28歳の頃でした。そしてこの出会いによって、まさに日本版アントニーとクレオパトラ、もしくはシド&ナンシーとでも呼ぶべき、後世に語り継がれる運命のカップルが日本文学界に誕生します。

高村の代表的な詩集である『智恵子抄』は、高村が智恵子との結婚前から彼女の死後にかけての30年間のあいだに、最愛の人を想って書いた詩を収録した作品集です。

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さて、出会ってから数年、様々な紆余曲折を経て恋人同士となった二人でしたが、智恵子と出会うまで放蕩の限りを尽くしていた高村は、自らの魂を救ってくれた智恵子に対して煮えきらない態度をとります。

そんな高村に智恵子は激怒し、彼の前から姿を消しました。焦った高村は智恵子の妹に手紙を送るなど、あの手この手で接触を試みます。ようやく連絡先がわかった智恵子に対して高村が書き送ったのは、よくある謝罪の手紙ではなく、次のような意表をつく内容でした。

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まるで魔女裁判のようなグロテスクな夢を通じて、高村は智恵子の不在が自分をどれだけ苦しめているかを遠回しに伝えたのかもしれません。しかしこの作戦が功を奏したのか、智恵子は高村のもとへと帰ります。

『智恵子抄』という、日本で最も有名なラブレター集とでも呼ぶべき詩集を遺した高村光太郎。実際に高村が智恵子に書き送った手紙にも、詩作品に負けず劣らずの迫力がありますね。

 

↓ そのやりとりをLINE風に再現 ↓

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