森見登美彦さん、10周年小説『夜行』を語る。

森見登美彦の新作『夜行』は、不気味に謎めいた雰囲気が魅力の連作怪談! 「小説を書くのは楽しいけれども、しんどい作業」と語る森見氏に、その小説執筆術についてお伺いしました。

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2003年に『太陽の塔』でデビューを果たしてから10余年。今や、森見登美彦氏といえば、押しも押されもせぬ人気作家です。

そんな森見氏の「作家10周年作品」の締めくくりの一作となる『夜行』は、『きつねのはなし』(2006)以来となる連作怪談集。『太陽の塔』や『四畳半神話大系』などの初期作品を特徴づけていた、「これでもか」というぐらいに人物の思考の癖を強調するユーモラスな饒舌体とはうってかわって、静謐で、謎に満ち、なんとも不気味な雰囲気の漂う傑作になっているのです!

作家としての振れ幅や、緻密な構成力が存分に発揮された『夜行』を読んだ森見ファンであれば、誰だってその「頭の中」を覗きたくなるもの。

そこで、著者インタビューを通じて、その小説執筆術に迫りました。

 

「向こう側」をどう出現させるか。森見式、怪奇ストーリー執筆術

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京都には、夜の暗がりの中で、昼間は気にも留めなかったなにげない横道が妖しく見えてきたり、暗さによって想像を刺激されたり、という場所が多かった。”

 

——『夜行』は森見さんにとって『きつねのはなし』以来となる連作怪談ですが、どこか不気味な雰囲気の小説を改めて書こうと思った理由はなんだったんですか?

 

森見登美彦氏(以下、森見):僕が小説の執筆にあたっておおまかな雰囲気を決めるときは、「次作かくあるべし」というような理屈というよりも、「ただバランスを取るため」という感覚で決めているところがあります。単純に、愉快でハッピーエンド的なお話をしばらく書いていると、次は気持ちの悪いものが書きたくなり、気持ちの悪いものを書いていると、次第にそれも嫌になって、今度はまた明るいものに戻りたくなるような(笑)

この『夜行』もまた、元々は担当の編集者さんから「新しく連載を始めたい」というお話を持ちかけられた当時、連載中だった作品が明朗愉快な楽しげなものが多かったので、何か差別化をしなくてはいけないと思ったのがきっかけで。当時は明るい小説が続いていたので、今度は『きつねのはなし』や『宵山万華鏡』などの不気味な雰囲気を持つ作品を書こうと思って書き始めました。

 

——『夜行』の不気味な雰囲気を決定づけているのは、なんといっても「夜」というモチーフだと思いますが、振り返ってみれば、過去の“明るい作品”の中にもクライマックスの場面が夜に設定されていることが多かったと思います。森見さんは元々「夜型」なのでしょうか?

 

森見:特に「夜型」の人間ではないですね。ただし、〈自分たちの日常の世界〉と〈向こう側の世界〉が接近するというか、その2つが入り混じる場面が小説のクライマックスになることは確かに多いと思います。その2つの世界の境目をあやふやにするような場面と言えば、1つは「お祭り」、2つ目に「宴会(酔っぱらっている状態)」、あとは「夜」がある。〈向こう側〉への入り口は、我々が日常生活を営んでいる場面とは少し離れたところにあると思うので、この3つが小説によく登場するのはそれが理由かなと思います。

 

——「お祭り」「宴会」「夜」と聞くと、森見ファンはそれだけで京都を連想してしまいます。

 

森見:確かに京都には、夜の暗がりの中で、昼間は気にも留めなかったなにげない横道が妖しく見えてきたり、暗さによって想像を刺激されたり、という場所が多かったと思いますね。

お祭りに関して言えば、子どもの頃からお祭りにはどこか怖いイメージがあって、いつもとは周囲の雰囲気が違うし、どこかに連れていかれそうな感覚を覚えることがありました。僕自身は出身が奈良の郊外住宅地なのですが、京都のお祭りには、そういう子ども時代の思い出を喚起されるところがあったのかもしれません。

 

——お酒に関してはどうですか?

 

森見:僕自身はお酒をあまり飲まないので、大学の友人や自分の父親など、お酒呑みの人たちを見ていて、「羨ましいな」「自分とは違う世界を見ていそうだな」と思っていたところはあります。

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“「何か自分たちを脅かすものがあるのに、それがどんなシステムで動いているかが分からない」というのが怪談だと思います。”

 

——「向こう側」や「自分とは違う世界」というキーワードが出てきたところで、『夜行』の怪談としての要素についてお話を伺いたいと思います。森見さんは元々妖怪や怪異の類に興味をお持ちだったのでしょうか?

 

森見:昔から好きだったというよりも、京都で暮らしながら『有頂天家族』を書いたことで妖怪や怪異の類に興味が湧いてきた、というほうが正解かなと思います。『有頂天家族』も、天狗や化け狸のことを徹底的に調べて書いたというよりも、なんとなくのイメージで書いたところが大きいのですが、書いているうちにそういうモチーフに少しずつ愛着を抱くようになっていきましたね。

 

——過去作には、いたずら好きで、人物を陰でハッピーエンドに導いてくれるような物の怪が登場することもありましたが、この『夜行』では怪異現象が登場人物たちの抱えた後ろ暗い感情と結びついているのが怖かったです。書き手として、このような発想の転換はどのように行っているのでしょうか。

 

森見:自分の小説の「明るさ」と「暗さ」とは、頑張って考えれば同じ根っこから生まれている筈なのですが、それがどんなところなのかはちょっとまだ分からないですね。ただ、どちらも現実だけで完結せず、なにか「向こう側」のものが自分たちの日常に入り込んでくるというところが共通しているのは確かだと思います。

例えば怖い話を書く時であれば、そこに何かがあるのはわかるのに、「こんな理由で、こんなことが起こっているのではなかろうか」という想定がうまく機能しないといった具合に書く。つまり、「何か自分たちを脅かすものがあるのに、それがどんなシステムで動いているかが分からない」というのが怪談だと思います。一方、これがもっと楽しい作品になると、そもそも向こう側からくるものが我々を脅かさなくて、むしろ生きるのを楽しくしてくれたりする。それで「とりあえず共存しとこうかな」、となる。それより深いところはまだよく分からないですが、スタンスとしてはこういう書き方になっているのかな(笑)

 

——非常に納得(笑)! 『夜行』は、そういう「向こう側」との接触に、ミステリー的な要素が絡むことによって、作品全体の〈謎〉が引き立つような構造になっていると思います。各エピソードと、小説全体とのバランスはどのように設計されましたか?

 

森見:『夜行』は、「なにかよく分からないもの」が真ん中にあって、その周りを取り巻くようにして連作怪談がある、という形式になっている小説だと思います。各話の中心人物や、エピソードの構成については、「旅先の夜に、自分が日常で隠していた影みたいなものに追いつかれる」というテーマからそれぞれ膨らませていきました。ただ、作品全体を貫くようにして真ん中に居座っているものについては、ブラックボックスになっているままで、僕にもうまく説明ができません。分からないことに意味があるのかな、とも思いますが(笑)

 

——登場人物の「影」の部分に注目しながら各エピソードを肉付けしていくのは大変な作業だったのではないですか?

 

森見:まぁ、なんというか……イヤでした(笑) 旅先で自分の暗い部分に出会うという設定にしてしまったがために、「登場人物はどんな暗いものを日常に抱え込んでいるのだろう」と考えなくてはならず、「うわぁ、この人物、こんな人だったらイヤだな」というところを考えなくてはいけませんでした。イヤなところをほじくっていくのは苦手なんだろうな、と思います。

 

「どういう小説を書くか」と「どういう文章で書くか」は同じこと ?

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“「実際に書かれたお話」は氷山の一角。「おそらく本当はもっと多くのことが語られずにいるにちがいない」と思わせるように余白を残して書く。”

 

——森見さんの文章といえば、ユーモラスな饒舌体を思い浮かべる人も多いのではないかと思いますが、うってかわって『夜行』では、スリムで端正な文章が印象的でした。今回、このようなテンションを抑えた文体を選択した理由についてお聞かせください。

 

森見:僕の場合、「どういう小説を書くか」ということと、「どういう文章で書くか」ということは毎回くっついているので、自ずと「こういう文章じゃなきゃ『夜行』のような世界は描けない」といった風に文章が決まってきます。それは同時に、「こういう文章で書けばこういう世界になるよね」ということでもあるのですが。

例えば、キャラクターがグイグイ主張し、ぶつかり合うようなドラマを描きたいと思えば、とにかく勢いのある文章でキャラを暴れさせるいうことをやります。それとは逆に『夜行』ではキャラクターを立てるという狙いがなく、静かで不気味な世界を書くと決めていたので、文章は最小限のものにしています。説明的な部分もできるだけ削って、「行間」で表せるようにしました。

 

——「行間」の残し方についても、なにか具体的な方法があるのですか?

 

森見:『夜行』だと、「小説のオモテ面には書かれてはいないけれど、ウラではおそらく進行しているであろうお話」の部分をできるだけ大きく取るという書き方をしています。「実際に書かれたお話」は人物をめぐる可能性のうちの氷山の一角でしかなくて、「おそらく本当はもっと多くのことが語られずにいるにちがいない」と思わせるように余白を残して書くということですね。静かな小説を書こうと思うと、自ずとそうなるのですが、『夜行』では特にそういう書き方を心がけました。具体的には、一つ一つの文章が暗示するものをできるだけ大きくして、よけいな文章は書かないということ。

 

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