日本の翻訳文化って、どこがすごいの?【教えて!モリソン先生 第2回】

【ここまで説明したら、美佐子ちゃんはまた次の質問をした】

 

美佐子ちゃん:ねね、モリモリ先生。近代日本語が翻訳を通じて成立したというのは、単語レベルにおいてだけですか?それとも欧米言語を翻訳したことによる影響は他の側面にも見られますか?

 

モリソン:もちろん単語レベルにおいてだけではない。近現代日本語の基礎文法もその影響の下で大きく変わったと言えますよ。

 

美佐子ちゃん:例えば?

 

モリソン:例えば「である」。私たちが記事、論文、エッセーなどを書くときにしょっちゅう使う、あの「である」という語尾もそうだ。ドイツ語、英語、フランス語など、ラテン語を起源とする言語にある「be 動詞」(copula)は、そもそも日本語にないから(前近代の「なり」、「はべり」、「だ」、「でござる」等を別としてね)、明治の近代化の立役者たちは欧米の諸学問を翻訳し導入する際、そのcopulaに当たるような言葉を作らねばならなかった。

彼らとしては、「近代国家」を創設するために「近代国家的言語」を生み出すことが必要条件であり、その近代国家的な言語はなるべく西洋の言語に近い方が望ましいと考えていたんだ。「なり」、「はべり」、「だ」、「でござる」などはあったけれど、歴史的言葉遣いというニュアンスが定着していたため、適切とされず、結局「である」が日本語の「be動詞」として成立し定着したんだね。

 

美佐子ちゃん:「である」は最初に誰が作ったの?

 

モリソン:良い質問だね。「である」の起源説はいろいろあるけれど、尾崎紅葉が初めて使ったという人もいれば、島村抱月や国木田独歩が作ったという人もいる、いずれにせよ、重要なのは、その当時すなわち明治中期から「である」が普及するに及んだということだ。

そして、「である」以外にも、明治以前の文章と明治以降の文章を比較すれば分かるように、文法的、構造的相違点は限りなくあって、その多くの違いは欧米の言語との衝突によって発生したものなんだね。

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【ここまで説明すると、美佐子ちゃんがまた質問した】

美佐子ちゃん:これまでは先生が日本語という言語一般においての翻訳の役割、重要性を説明されたのですが、特に文学に限っていうと、どうなりますか?

 

モリソン:良い質問だね。これは極めて広い問題だけど、端的にいえば、文学における翻訳の役割、重要性は、誇張でも何でもなく、とてつもなく大きなものだった。日本近代文学そのものが翻訳を通じて、つまり欧米文学との衝突により誕生し、発展したものである、と断言してもよいかもしれない。

 

美佐子ちゃん:その重要性を示す分かりやすい例として、何かありますか?

 

モリソン:そうですね。江戸時代のさまざまな文学様式を放棄し、西洋風のリアリズムを導入することを推奨した坪内逍遥の『小説神髄』(1885-1886)を皮切りに、明治作家たちの多くは欧米文学に歩み寄ったり、時には抵抗しながら、次々に作品を発表していった。

明治中期のリアリズムから、明治後期の初期自然主義やシンボリズム、大正時代の後期自然主義(すなわち私小説)、そしてそれ以降全ての文学運動に至るまで、ほぼ全員の作家が欧米文学の和訳を手がかりに作品を創作したと言える。むしろ、翻訳と無縁に活動した作家は殆どいないんだ。

よく知られているように、坪内逍遥はあの有名な“To be, or not to be…”というセリフを「世に在る、世に在らぬ、それが疑問ぢゃ」と訳した『ハムレット』をはじめとして、シェイクスピアの全作を初めて邦訳した。二葉亭四迷は、ロシア語の専門家であり翻訳家。夏目漱石は英国文学の専門家として翻訳や研究に没頭した。森鴎外はドイツ文学を中心に翻訳、研究した。永井荷風はフランス文学者。翻訳と創作は分離できるものではなく、これほどの密接な関連が国や時代を問わず他でも起きた例があるのか私には分からないほどだ。日本では翻訳と創作は、同時平行して発展していったと考えてもいいだろうね。

 

美佐子ちゃん:その「作家=翻訳家」という傾向は、近代文学の一つの特徴だと今説明なさいましたが、現代文学に関しても同じことは言えますか?

 

モリソン:そうだね、同じ傾向が見られるね。例えば、日本人作家としてかつてないほど世界で人気を博している村上春樹は、米国文学のいくつかの作品を和訳していますし、ある程度のアメリカ文学の専門家にもなっている。彼の作品にはアメリカ文化、文学の影響が計り知れないほど大きく見られることは言うまでもないし、英語から訳された日本語のようだという批判もしばしば受けるほどだ。

村上の他にも、ノーベル文学賞受賞者大江健三郎の作品にはフランス文学の影響が大きいし、その翻訳もしている。また、松田青子は米国文学を専門とする翻訳家でもあるし、平野啓一郎のフランス文学への造詣も本格的なものです。

 

美佐子ちゃん:面白いですね。日本の近代、現代文学はどちらも、翻訳と平行して発展したのですね。海外ではどうですか?欧米でも翻訳は同じくらい重要な役割、影響を果たしてきたのですか?

 

モリソン:そうですね。先ほど説明した現象は日本独自のものでは決してありません。英語においても同じことが言えるのです。でもその話題になると話が長くなるので、またの機会にしましょう。さようなら。

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次回予告(宿題つき)

次回は、翻訳理論についていくつの実例を提示しながら話します。

「なるべく原文に忠実であることが重要だ」とありとあらゆる翻訳家が言いますが、問題は「何に対して忠実であるのか」ということなのです。

以下のリストを見て、翻訳する際に重要と思われるものの優先順位をつけてみてください。

作者の(推測される)意図、文章の大体の意味、語順、文法、語調(tone)、格調(register)、読者に与える(感覚的、感情的)効果、単語の意味、読者の期待、文学性(literariness)……

これを宿題とし、次回はそのお話から始めましょう。

 

[執筆者プロフィール] Ryan Shaldjian Morrison(ライアン・シャルジアン・モリソン)
名古屋外国語大学 外国語学部 世界教養学科 専任講師
アリゾナ州立大学、上智大学で修士号を得る。その後、東京大学博士課程で石川淳などの昭和文学を研究。
石川淳・古川日出男・高橋源一郎・松田青子・早助よう子など、日本人作家による小説の英訳も多数手がけている。

初出:P+D MAGAZINE(2016/03/15)

『リベラルですが、何か?』
『日本経済復活の条件 金融大動乱時代を勝ち抜く極意』