ドナルド・トランプの物語論【教えて!モリソン先生 第5回】
2016年、アメリカだけでなく世界に大きな衝撃を与えたアメリカ大統領選挙。今回はアメリカ人の日本文学研究者、モリソン先生がトランプ新大統領を「文学」の視点から読み解きます!
こんにちは。ライアン・モリソンです。日本文学の研究者であり、翻訳家でもある私が「文学を読むアングル」を解説するこの連載講義も、今回で5回目を迎えました。
今回のトピックは、アメリカ人である私にとって大きな問題である「トランプ政権」と「文学」の関係について。いつものように、私の研究室に質問をしにきた美佐子ちゃんという学生と私とのやり取りを出来るだけ忠実に再現する形で、掘り下げていきたいと思います。
「トランプ大統領」はどうして生まれた?
美佐子ちゃん:ねね先生、今回は文学でなくアメリカの政治について聞きたいことがあるけどいいですか。
モリソン:いいよ。何でしょ。
美佐子ちゃん:ぶっちゃけ、どうしてトランプみたいなとんでもない人物が大統領になることができたの?
モリソン:いきなり厳しいね。具体的にはどこが疑問なの?
美佐子ちゃん:つまり、「ポリティカル・コレクトネス(政治的正しさ)」という思想そのものを作ったアメリカという国で、一部からは愚劣な「racist(人種差別主義者)」かつ「sexist(セクシスト、性差別主義者)」と称されるような人物がなぜ大統領に選ばれたのかが不思議すぎて理解できません。アメリカ人として、先生は選挙の結果にビックリしたでしょう?
モリソン:いや、正直、あまりビックリはしなかったですね。
美佐子ちゃん:え?そうなの?
モリソン:自慢ではないが、私はFacebookの投稿などを通じて、トランプが勝つと選挙より一年前から予言していたの。
危機の時代において、(B・サンダース流の)真性の左翼勢力が不在であるとき、経済的に窮している大衆は、(トランプ流の)まやかしに満ちたポピュリストであり超国家主義的なムーブメント、つまりはファシスト的な勢力に飲み込まれてしまう。ファシスト勢力は、(ヒラリー・クリントン流の)経済的エリート階級に牛耳られた政界の姿に対する「もう一つの道」として自らを誇示するからだ。これは近代における普遍的な真理である。歴史が手本となり得るのであれば、トランプはクリントンに対して勝利を収めるだろう。私は、近代史の政治力学の中で、クリントン的な陣営が勝利した事例を知らない。
美佐子ちゃん:ほんとだ! でも、1年前には「どうせクリントン陣営が勝つだろう」といったような見通しがありましたよね? 先生はどうやってトランプが勝つことを見抜けたの?
モリソン:それはですね、「文学」がその背景にあります。この大統領選挙において、文学が不可欠な道具として関わってくることに気づいていた私には、トランプ勝利は十分あり得ることとして推測できたのです。
美佐子ちゃん:文学?大統領選挙は政治の話ですよね?
モリソン:私は、全てのことが文学であると思っているのよ。我々は皆、文学の中で、すなわち無限のストーリーで出来ている世界の中で生きています。故郷の母から届いた手紙、大喧嘩した彼氏から翌日に聞かされた謝罪のスピーチ、テレビ番組で放映される隣国への非難や悪口……その芸術的価値はさておき、それらは全部〈文〉、すなわち「言語を媒介とした物語(narrative)」です。
世界は全て、そのような物語で形成されていて、それを学ぶことが広い意味での「文学」なのです。そして「文学」という言葉には、広義と狭義の両方の意味があります。私が今説明したような捉え方は、広義における文学であり、狭義での意味での文学は、芸術的価値が認められているものです。大統領選挙はもちろん、広義の意味での文学の話ですね。
美佐子ちゃん: なるほど、そう言われるとわかるような気がしますが……。
モリソン:ではまず「物語(narrative)」という概念の説明から始めましょう。〈文学〉とは一般的に、現実における政治的力学とは直接関係のない領域に存在していると見做されがちですが、実は現実世界を鋭く読み解くためにも非常に役立つ道具であることを今回の選挙が証明していると思いますね。
美佐子ちゃん:どういうことでしょう?
モリソン:つまり、「政治」の世界を左右しているのは、どれだけ広く人々に響き渡るストーリーを作れるかどうかの問題ということです。クリントンはいくら努力しても、否、むしろ努力すればするほど、一般国民の心が動くようなストーリーを作ることが出来なかった。つまり、彼女や彼女を支えていたブレーン達は全く文学的(物語的)センスがなかったということです。そして、文学的センスが欠如していたことにより、今の時代の空気・思潮を読むことが出来なかった。
この二つのことが原因でクリントン陣営は負けたと言えます。クリントンが選挙戦で頑張れば頑張るほど、声高らかに発言すればするほど、いかに彼女が「KY」であるかが国民に見破られていったのです。
「事実」VS「ストーリー」:クリントン陣営の“KY戦略”が陥った罠
美佐子ちゃん:KY?クリントンが? 数々の暴言を繰り返したトランプ陣営の方が、よっぽどKYであるように感じられますが、具体的にクリントンのどんなところがKYだったのですか?
モリソン:例えば、彼女が非常に実証主義的なアプローチを用いたところでしょうか。クリントンは、トランプの発言の数々を取り上げ、事細かに「事実(fact)」と違うということを立証していましたが、いちいち検証を繰り返し、トランプは噓つきだと宣伝すればするほど、彼女はどんどんKYになり、支持率低下のスパイラルに陥っていっていくのが明らかでした。
美佐子ちゃん:え? 嘘を暴くことはいいことではないのですか? では先生に言わせれば、「嘘つき」のトランプのほうがむしろ空気を読めていた、ということですか?
モリソン:その通りです。トランプはクリントンと違って、空気を読むこと、つまり多くの人々の心理や時代の要求を察知する能力に、妙なまでにも長けています。そしてトランプは、人々が実は「事実」などには興味がなく、それよりも心に届く「ストーリー」によってこそ動かされることを見抜いていたのです。
美佐子ちゃん:あ、今それを聞いて、最近勉強したニーチェが言っていた、「事実よりも解釈が重要である」という言葉を思い出しました。
モリソン:お、よく知っていますね。そうです、トランプがどこまで意識してやっていたのかはわかりませんが、彼の勝利は、事実の真偽よりもストーリーの持つ力のほうがいかに重要かということを証明しています。実際、トランプのストーリーを作る能力はずば抜けているため、もはや彼は「神話(myth)」の次元で生きている人間と言ってもよいでしょう。
美佐子ちゃん:神話?どういうことですか?
モリソン:トランプは、国民の苦しみを敏感に理解し、それを悪用し天才的なまでにストーリーを創り上げていきました。そして、選挙キャンペーンにおいて神話の世界を完璧なまでに構築したのです。神話の次元においては、内容が事実かどうかは問題ではありません。事実の次元にいるクリントンは同じ土俵の上には立っていなかったのです。神話の世界においては、ひとつのストーリーに対して「それは嘘よ」と攻撃してもはっきり言って「お門違い」です。ストーリーに対して、同じように力を持つストーリーで戦わなければ勝負にならない。
美佐子ちゃん:でも、クリントンにもストーリーはあったのではないですか?彼女の掲げる「女性初のアメリカ大統領誕生」というのはインパクトがあるのではないでしょうか?
モリソン:私に言わせれば、クリントンにはストーリーはありませんでした。あくまでも、トランプ陣営の繰り出す「ストーリー」に対して、「事実」という次元の異なるものを武器にして戦おうとしていたとしか思えません。「ストーリー」に比べたら、「事実」が人々へ与える印象は薄いものです。そしてクリントンの訴えは人々の求めるものからずれていました。
選挙キャンペーンにおけるクリントン陣営のスローガンは「I’m with her(私は彼女の味方)」でしたが、この言葉が見事に示しているように、彼女のメッセージは「経済的に窮している国民のために何か具体的なことをするから私に投票して下さい」ではなく、「私が女であるから投票しなさい、さもなくばあなた達はレイシストかセクシスト、つまりクズよ」というような偉そうなもので、国民を見下しているように響きました。そしてそれは取り返しのつかない反感を買ったのです。
クリントンは自分のこれまでの経歴を見せびらかし、「大統領にふさわしいのは自分だ」と喧伝しながら、政策的な提案としては、現状を維持することばかり訴えていました。KYな彼女に分からなかったのは、アメリカで現状維持を求めている人は一握りの裕福な人々だけであり、多くの人はもう何でもよいから何らかの改革・革命を欲しているということだったのです。
白人庶民の心を掴んだトランプの「ストーリー」
美佐子ちゃん:クリントンの訴えが時代とマッチしていなかったのはわかりました。でも、クリントンのキャンペーンにはストーリーがなく、トランプにはストーリーがある、ということがまだよく理解できません。
モリソン:なるほど。トランプのストーリーを具体的に見ていくとそのことがわかると思いますよ。まず、彼の主張の骨幹をなしているのは、「アメリカ人の労働者達は大企業によって裏切られたのである」というストーリーです。大企業・エリート階級・ありとあらゆる政治家・金融界・マスメディア、それら全てのいわゆる「体制派・既存勢力(the establishment)」を敵とみなす視点からの語り口は非常に効果的でした。
当然、それら体制派は徒党を組んでトランプを批判しましたが、批判すればするほど彼の支持率は上がりました。彼の「Drain the swamp(ワシントンの泥水を抜け)」という言葉に示される体制を倒すぞという態度や、「Make America great again」(アメリカを再び偉大にする)のスローガンに表れる美化した過去を取り戻すという約束は、貧窮して不満を持つ白人庶民の多くの心を掴みました。グローバル資本主義の下で取り残されたお前らを俺は忘れていないぞという宣伝に、彼らは慰められたのです。
多くの人々にとって、「貧窮」というのは実質的問題です。その問題に積極的に取り組む左翼勢力(社会主義にせよ新型コミュニズムにせよ)が存在しない限り、トランプのような極右の新ファシズム勢力がその空白を埋めるべく隆盛します。そして、白人の貧困層を「主役(hero)」の座に据えたストーリーによって、本当の問題は誤魔化したまま、勝手に「悪役(antagonist)」の役を与えられた「移民」や「非白人」をスケープゴートとし、彼らに八つ当たりするように世論を仕向けていくのです。
美佐子ちゃん:確かに、自分が失業中の工場労働者で、みじめな生活を送っていたらと想像すると、「君は腐った支配体制に犠牲にされてこんな目にあっているんだ」という話にグッとくるように思います。
モリソン:そうです、美佐子ちゃんが自分が失業者だったら、と想像したことは大事なことです。今のアメリカにはそのような困窮状態の人々が本当にたくさんいて、彼らがトランプが選挙キャンペーンで繰り出したストーリーの主な聴き手だったのです。聴き手が何を欲求しているかを正しく認識し、彼らに応えるメッセージを送り続けたトランプと人々の間には、確実にストーリーが共有されていました。
美佐子ちゃん:そう考えると、「私は女性初の大統領になります」などというのは「ストーリー」ではなく、ただの「自己PR」ですね。
モリソン:その通り。もちろん、経済的に豊かな時代であれば、そうした自己PRを選挙キャンペーンの主戦略に据えることができましたが、この「不安の時代」においては通用しない。クリントン陣営は、そんな時代の変化を見誤ったとも言えますね。
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