ドナルド・トランプの物語論【教えて!モリソン先生 第5回】
まやかしの孤立主義:ナチス共鳴者たちのアメリカ史
モリソン:さて、トランプの二つ目のストーリーは、「America First」(アメリカを最優先とすべし)です。「世界の警察」としての役割を果たすために地球の各地で戦争を繰り返すことにアメリカ人は疲れていたのです。これまでの政権がイラク、アフガニスタン、リビアなどで失敗を重ねてきたところで、孤立主義を貫こうとするかのようなトランプの発言は、狡猾にも戦争にうんざりしたアメリカ人の心をとらえることに成功しました。
ただし、今、「狡猾にも」と言ったように、トランプは実は決して孤立主義者などではありません。クリントン流の「リベラル」の名のもとに美化された帝国主義者でもなく、むしろそれよりも恐ろしい、19世紀的な利益追求型の帝国主義者です。アメリカの戦争はトランプ政権を機に終わるという見込みは甘く、むしろ増えていくのではないかと危惧されます。アメリカの利益のために、これまでよりももっと露骨に石油などの資源を求めて戦争を起こしていくかもしれません。
美佐子ちゃん:何だか怖いですね。外国の安全や外国人の仕事よりも、まずは自分たちアメリカ人の雇用を確保してもらいたい、と願って人々は「アメリカを最優先にする」というストーリーに心動かされたはずなのに、戦争に向かっていってしまうかもしれないんですか?
モリソン:ええ。ここで20世紀の世界史を少しおさらいすることにしましょう。実は、トランプの「America First」というスローガンは、第二次大戦直前、アメリカの孤立主義を唱えていた団体の名称そのものでした。飛行家で有名なチャールズ・リンドバーグもその主要メンバーでしたが、彼はナチス・ドイツの政策を支持する演説を繰り返していました。
つまり、「America First」という言葉の陰にはナチスへの共鳴が潜んでいるのですが、グローバル化の影響で失業に追いやられ、また世界での戦争に疲弊した人々の心をつかむのには非常に有効に働いたのです。私にはトランプはリンドバーグらのスローガンを意識してこの言葉を使ったとしか思えません。
美佐子ちゃん:大統領選におけるストーリーの働きがようやくわかってきました。聴き手は誰であるのか、彼らは何を求めているのか。それに応えるストーリーを提供できるかどうかの勝負なのですね。
モリソン:トランプはいち早く人々の要求を把握し、それに便乗して庶民の救済者としての役を演じることに成功したと言えるでしょう。
美佐子ちゃん:なるほど。で、結局大統領になりましたが、実際に困窮している人々は救済してもらえるのでしょうか?
モリソン:もらえないでしょうね。例えば、トランプはキャンペーン中、「既得権益にまみれたウォール・ストリートの金融界を撲滅するぞ」と散々威嚇していたにもかかわらず、就任直後、同じ金融界の人物を財務上の主要ポジションにつけました。経済構造の問題は、解決されるどころかより悪化してしまうのではないでしょうか。庶民は早々に裏切られたわけです。
美佐子ちゃん:多くの国民は騙されてしまったということですね。
モリソン:ええ。ストーリー作りの名手であることは、真の悪党の条件であるのかもしれませんね。
「政治的正しさ」VS「真実」:トランプは、一体何を挑発しているのか?
美佐子ちゃん:ところで、最初の質問に戻らせてください。トランプは暴言の数々も話題になりましたよね?「メキシコ人は皆レイピストだ」、「イスラム教徒はテロリストだ」といった人種差別的な発言とか、女性蔑視的な発言とか。先生によればクリントンは高飛車な物言いのせいで致命的なまでの反感を買ったとのことですが、なぜトランプはあんなに酷い発言を繰り返しても多くの人の支持を得ることができたのですか?そのことは、彼のキャンペーンにストーリー性があったことと関係していますか?
モリソン:良い質問ですね。まず、もちろんアメリカ人の多くがトランプの発言に見られるような人種差別的、女性蔑視的な思想を持っているということではありませんので誤解しないように。では、なぜ彼が多くの支持を得たかというと、それは先ほど言った彼の神話的存在に関連しています。
美佐子ちゃん:神話的存在、つまり「事実」ではなく「ストーリー」の次元に存在する人間、という話ですね。
モリソン:そうです。1980年前後からアメリカの左翼リベラル派は本来彼らの第一課題であったはずの経済構造の改革をすっぽり捨ててしまい、その代りに「カルチャー・ポリティクス」、 言い換えれば「アイデンティティー・ポリティクス」に身を投じるようになりました。その結果、貧困や格差問題、労働条件の改善や社会福祉の追求といった問題はなおざりにされ、リベラルは主に「公の言説に対する警察役」みたいな役回りを演じるだけの存在になってしまいました。
つまり、「人種差別発言や男尊女卑発言はいかん」とか、「文化的な感性や多文化主義を養成すべし」と謳うとか。それによって「ポリティカル・コレクトネス」という認識が生まれ普及するようになったわけですが、これは表面的な問題への対策でしかありません。もっと根本的な問題が無視されていること、つまり雇用の確保やより平等な社会の実現のための対策がなされないことへの不満がいずれ湧きあがってくるに違いなかったのです。
そうして、右派からも左派からもその不満が高まっている時にトランプが登場しました。トランプは「ポリティカル・コレクトネス」の暗黙のルールを無視するどころか、敢えて挑発的なまでにそのルールを破って発言します。それによって「ポリティカル・コレクトネス」 の下に埋もれていた本質的な問題(失業問題など)を掘り起こし光を当てた、つまり真理(Truth)を再生・復活させた者として人々の目には映ったのです。つまりトランプ支持者達にとっては、彼はうわべだけを取り繕う社会の下らないルールやマナーなどの該当しない存在、それを超越する神話的な人物、憧れの対象となっていったのです。
美佐子ちゃん:なるほど~。彼があれほど自信満々に酷い発言をすることも、そしてそれでもどんどん支持率が上がっていくこともおかしいなと思っていたのですが、その根底には「肝心の経済問題が解決されていない」という人々の不満があったのですね。クリントンが自分が女性であることを第一にアピールすればするほど、むしろトランプにとっての追い風になってしまうわけですね。
モリソン:そうです。クリントンが負けたのは、アメリカにまだまだ女性蔑視的な思想が潜在していたからではありません。庶民は、クリントンが大統領になることによって一見男女平等社会が実現したかのように見せかけて、富の不平等は解決されないままの社会になることを恐れたのです。
美佐子ちゃん:でも、結局は不平等は解決されないかもしれないんですよね。貧困格差は残ったままで戦争も始まるなんてことになったらほんとに未来は暗いですね。
モリソン:そうです。トランプのネオ・ファシズムを打倒するには、同じくストーリーで対抗しなければいけません。実は、民主党の予備選挙でクリントンと戦ったバーニー・サンダースは素晴らしいストーリー・テラー(storyteller)でした。彼も国民の苦しみを正しく理解しており、ネオリベラリズム(※)は多くの人々のために機能しているものではなく、それを覆さなければいけないと訴えていました。アメリカ国内に工場を再び作り雇用を再生するというトランプの政策とは異なり、社会福祉制度の充実や、ウォール・ストリートの解体・国営化など、社会主義的な政策を謳っていました。
(※)ネオリベラリズム(新自由主義)……「小さな政府」を標榜し、市場の自由競争原理による効率的な発展を推し進めていこうとする立場
美佐子ちゃん:いいですね。革命的!私はサンダース氏を支持します。きっと多くの人々の心に響いたでしょう?
モリソン:響きました。サンダースのストーリーは、特に美佐子ちゃんのような若い層を中心に人々の心に火を灯し、それこそまるで山火事のような盛り上がりを起こしたのでした。しかし、彼の政策が実現されることを恐れた支配階級は、体制派のマスメディアも巻き込み彼を負けに追いやったのです。
美佐子ちゃん:ひどい!革命が実現しそうだったのに、潰されちゃったのですね!
モリソン:ええ、残念ながら。サンダース対トランプの対決になったら、「ストーリー対ストーリー」の対決になっていましたし、別の結果が出ていたのではないかと信じています。
美佐子ちゃん:面白いですね。「文学を勉強する」ということは様々な芸術作品を解釈分析することだと思っていましたが、もっと広い意味では、人間や、その生きている世界を理解し批判する作業でもあることがよくわかりました。そして、私も、アメリカが恐ろしいファシズムの国になってしまわないよう、強いストーリーによって良い方向へ向かっていくことを願っています。
モリソン:そうです。多くの人々に痛切に響くストーリーを作らなければいけません。そうでなければ、永遠に失敗が繰り返された末の暗黒野蛮時代が待っています。がんばりましょう!
[執筆者プロフィール] Ryan Shaldjian Morrison(ライアン・シャルジアン・モリソン)
名古屋外国語大学 外国語学部 世界教養学科 専任講師
アリゾナ州立大学、上智大学で修士号を得る。その後、東京大学博士課程で石川淳などの昭和文学を研究。石川淳・古川日出男・高橋源一郎・松田青子・早助よう子など、日本人作家による小説の英訳も多数手がけている。
博士論文は「写実的リアリズムへの対抗言説としての石川淳初期五作品」(「Waves into the Dark: A Critical Study of Five Key Works from Ishikawa Jun’s Early Writings」)
初出:P+D MAGAZINE(2017/02/18)
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