思い出の味 ◈ 中山祐次郎
第39回
「救急医の麻婆豆腐」
「馬鹿野郎、辛すぎんだよ」
およそ医者とは思えぬ罵声で叱られたのは、駆け出し外科医だった30歳のころ。東京下町の救急病院で3ヶ月の修業をした。血の気の多い救急医たちに混じって、毎日運ばれてくる超重症の患者さんの救命にあたる。なにせ運ばれてくる人の半分は心臓が止まっているのだ。心臓の内科、整形外科、外科など多彩なスペシャリスト集団の上司たちは、その肩書に似つかわしくないズタボロのデニムより頑丈そうな青い上下の作業着のような服を着て働いていた。そこに、医者になって4年目、外科医になって2年目の僕は放り込まれたのだった。
救命センターの部長は一風変わった先生で、がっしりとした体格にぎょろりと眼光が鋭い。「料理が上手くない医者は医療も上手くない」そう言っていた部長は、僕ら若手医師に当直医師のための食事を作ることを命じていた。
予算は医師一人500円と決まっていたので、当直する6人分の計3000円を握りしめ、徹夜明けで朦朧とした意識のなかふらふらと駅前のスーパーへ。料理など小学校以来したことがなかったが、麻婆豆腐を作ることにした。僕の大好物だったのだ。クックドゥという、いわゆる料理のタネを買い、あとは豆腐を3丁、ネギと小瓶入りの山椒、つまみの納豆と米を買いこむ。
よろよろ帰院し、救命センターの奥のキッチンで不揃いに切った豆腐とタネを混ぜてフライパンで適当に熱する。箸で混ぜたら豆腐がぼろぼろになったが気にしない。仕上げに、買った山椒と据え置きのラー油を量もわからぬ僕は山ほどかけて完成。実に旨そうだ。
初料理に満足して帰宅すると泥のように眠った。翌朝出勤するなり、「隊長」と呼ばれる救急医から冒頭の言葉を浴びせられたのだ。なんでも当直の医者全員が下痢をしたらしい。そういえば味見も試食もしなかった。疲れた救急医たちが真夜中に激辛麻婆豆腐を食べて辛い辛いと騒いでいた。いまでも忘れられない下町救命センターの修業だったが、料理の腕と医者のスキルはかなりアップした。
中山祐次郎(なかやま・ゆうじろう)
1980年神奈川県生まれ。鹿児島大学医学部卒。都立駒込病院大腸外科医、福島県広野町・高野病院院長を経て、郡山市・総合南東北病院外科医長。著書に『泣くな研修医』『逃げるな新人外科医』などがある。
〈「STORY BOX」2021年1月号掲載〉