『もものかんづめ』だけじゃない。さくらももこのおすすめエッセイ8選

2018年8月に亡くなった漫画家のさくらももこさん。漫画はもちろん、その唯一無二の文章でも多くのファンを集めました。今改めてさくらさんの文章に触れたいという読者のために、傑作エッセイの数々から特におすすめの作品を選り抜いてご紹介します。

2018年8月、漫画家のさくらももこさんが乳がんのため亡くなりました。代表作である『ちびまる子ちゃん』のファンからはもちろん、さくらさんの他の漫画作品に触れて育ってきた人々や、漫画業界、芸能界の人々からも早すぎる死を惜しむ声が寄せられ、日本のさまざまなカルチャーへのさくらさんの影響力の強さを、改めて感じた方も多いのではないでしょうか。

漫画のみならず、その唯一無二の文章でも多くのファンを集めたさくらさん。今回は、今改めてさくらさんの文章に触れたいという読者のために、傑作エッセイの数々から特におすすめしたい作品を選り抜いてご紹介します。

『もものかんづめ』『さるのこしかけ』『たいのおかしら』──初期3部作

もものかんづめ
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さるのこしかけ
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たいのおかしら
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さくらももこさんのエッセイと聞くとまずこの3冊を思い出す、という人は多いのではないでしょうか。『もものかんづめ』、『さるのこしかけ』、『たいのおかしら』はいずれも、1991年から1992年にかけて発表され、ベストセラーとなったエッセイ集です。

デビュー作の『もものかんづめ』が発表された1991年は、さくらさんの代表作『ちびまる子ちゃん』のアニメが国民的な人気を得始めたころ。さくらさんは初期三部作のエッセイの中で、漫画家デビューや編集者との結婚といった自身の環境の変化にまつわることから、少女時代の思い出、自身が健康オタクであること──など、実にさまざまなエピソードを臨場感たっぷりに語っています。

たとえばシリーズ2作目の『さるのこしかけ』では、エッセイの仕事のため、夫婦でインドに旅行したときのことが綴られます。インドに旅立つ前、編集部の人に旅行会社の“大麻さん”という人物を紹介されたときのエピソードは、こんな風に書かれています。

旅行会社のその人は、ニッコリしながら名刺をくれた。
私と主人は名刺を見て息を飲んだ。
「大麻 豊」
ちょっとアンタ、インドで大麻が豊かなんてそりゃまずいんじゃないの……という、言葉にもならない同じ想いが名刺を見つめる夫婦の間にたちこめていた。

私はこらえていた笑いがついに爆発し、本人の前で床を転げ回って笑ってしまった。ドンドンと床をげんこつで打ちながら、私は「これは本当に本名なんですか? あ、そう、本名、ヒーーッヒッヒッヒ~~うそみたい、あ~~おかしい」と、今思えば申しわけないほど笑ってしまった覚えがある。

そのほか、『ちびまる子ちゃん』とは違って意地悪だった祖父が亡くなったときのことを“家族全員で笑った”と記す「メルヘン翁」(『もものかんづめ』収録)や、健康のため飲尿療法をしていると語る「飲尿をしている私」(『さるのこしかけ』収録)など、初期三部作は、一読するだけでこちらまで笑ってしまいそうになるエピソードのオンパレード。
まるで漫画のような面白おかしい出来事をどこまでも淡々と素直に語る、さくらさんの文章の持ち味を思う存分味わえます。

“まる子だった”日々を綴る──『あのころ』3部作

あのころ
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まる子だった
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ももこの話
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漫画『ちびまる子ちゃん』を読んで育ったという方におすすめなのが、さくらさんが自身の小学生時代について綴ったエッセイ3部作、『あのころ』、『まる子だった』、『ももこの話』です。

父ヒロシとの思い出や校舎の裏に捨てられていた犬の話、山口百恵のコンサートに行ったときの話などは、初めて読んでも面白いのはもちろん、『ちびまる子ちゃん』のファンであれば漫画のエピソードを思い出して2度楽しめるはず。

シリーズ2作目の『まる子だった』には、ノスタルジックなエピソードの数々に混じって、『親の離婚話の思い出』というエッセイが収録されています。
小学3年生の頃に親の離婚話が持ち上がり、母親が家を出ていったという一見“重い”話ですが、さくらさんはあくまで軽妙に当時を振り返り、親が離婚したら楽しい生活が自分を待っているのではないか、という想像をしていたと綴ります。

母と一緒にアパートに引っ越す事になったら、姉もいない事だし私ひとりの部屋がもらえるだろう。まさか六畳一間という事もあるまい。2DKくらいのアパートで、ひと部屋は茶の間兼母の部屋、そしてもうひとつは私の部屋に決まっている。うまくゆけば、小さい室内犬を飼ってもらえるかもしれない。見知らぬ土地で友達もいない私をかわいそうに思った母が、せめて犬ぐらいはと思ってポメラニアンかチワワを買ってくれる可能性は高い。このまま八百屋でみんなで暮らしているより、離婚が決まった方がよっぽど私の夢は叶うではないか。

しかし、この離婚話は結局なくなり、年末には何事もなかったかのように日常が戻ってきたと言います。

レコード大賞も、紅白歌合戦も、ゆく年くる年も、みんなで見られてうれしいなァと思った。ヒロシが酒に酔いながら、ソバを食べている姿も離婚の危機を乗り越えてこそのものだと思うと、ばからしくも有難かった。

そう綴るさくらさんの筆致は、ここでもあくまでドライ。ドラマティックな出来事を決して感傷的に書かない彼女のエッセイには、それでもなぜか読者を引き込んでしまう、独特の魅力があります。

さくらさんが愛したカメやインコ、犬との思い出──『ももこのいきもの図鑑』

いきものずかん
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『ももこのいきもの図鑑』は、大の動物好きであるさくらさんが、子どもの頃から大人になるまでの間に触れてきたさまざまな“いきもの”との思い出を語ったエッセイ集です。

小学生の頃、お祭りで姉妹そろって買ってもらったカラーのヒヨコ、さくら家で飼われていた金魚やジュウシマツ、大人になって友人と見に行ったホタルといった多種多様な生き物にまつわるエピソードが、オールカラーの愛らしいイラストとともに綴られています。

本作で特に面白いのが、高校生の頃から実家で飼っている「犬」との思い出。さくらさんも母親も大の犬好きのため、徹底的に甘やかされて育ったその犬は、“とんでもなくバカ”に育ったとさくらさんは綴ります。

これが人間の子供であったら、金はせびるわ万引きはするわ女は泣かすわシンナー遊びはするわの大馬鹿息子になったであろう。

ある日私が犬に背を向けて立っていると、犬が私の尻をクンクンと嗅ぎながら鼻で突ついてくるので、「うるさいねぇ、そんなに尻が好きなら一発お見舞してやるよ」と言いながらオナラを一発してやった。(中略)
犬は一向にダメージを受けておらず、ダメージどころか歓喜にあふれた表情でますます鼻息を荒くしているではないか。どうやらオナラの全てを吸いつくそうとしているらしい。

あまりのぞんざいな扱いに時には「やりすぎでは」と思うほどですが、さくらさんのエッセイを読んでいると、それも愛ゆえの書き方なのだと気づかされます。せっせと世話をしていた生き物が死ぬたびに泣いて悲しむさくらさんの姿は、お調子者でありながらも健気な『ちびまる子ちゃん』のまる子のイメージに、そのまま重なるようです。

さくらさんの“詩”の世界を堪能できる、『まるむし帳』

まるむし帳
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1991年、エッセイ集、『もものかんづめ』が注目を集める傍らで、さくらさんがひっそりと発表していた“詩画集”が『まるむし帳』です。
自身が高校生の頃から大人になるまでの間に書いた短い詩にイラストをつけたという本作では、詩人としてのさくらさんの表現を楽しむことができます。

たとえば、“犬の目”という詩はこんな風に綴られます。

犬の丸い目が
ちらりと私を見たとき
うすい獣のにおいと一緒に
犬が笑う感じがしたよ。
どこまでも黒い犬の目は
湖の底までつながっていて
さみしさを呑みこみながら
鎖におとなしくつながれている。

短いながらも哲学的で硬派な詩の数々からは、『ちびまる子ちゃん』のユーモラスであたたかい印象とは少し違ったさくらさんの姿が浮かび上がってきます。
本作の巻末では、詩人の谷川俊太郎氏と対談をしたさくらさんが、“詩”についてこんな風に語っています。

さくら 作詞はやっぱりつくるという気持ちでつくっていくものなんですけれども、詩はつくるとかいう気持ちではないですね。(中略)

谷川 『ちびまる子ちゃん』なんかはどうなんですか。つくるという意識なんですか。

さくら それはつくるという意識ですね。ほんと、商売なんで(笑)。

さくらさんは『ちびまる子ちゃん』のヒット後、エッセイや詩画集、幼い頃から大好きだったという漫画『ピーナッツ』の翻訳、すべて自分で企画・編集をおこなう“ひとり雑誌”『富士山』の制作など、活躍の場を次々と広げていきました。
強い毒や哲学が随所に散りばめられた、決して子供向けとは言い切れない作品群は、さくらさんがただ“懐かしさ”を描く作家ではなく、あらゆる物事の素晴らしい観察者であったことを物語っています。

あわせて読みたい:谷川俊太郎の“スゴい”詩7選

おわりに

さくらさんはエッセイ『たいのおかしら』の中で、子どもの頃に近所から恐れられていた“小杉のばばあ”という老婆が亡くなったエピソードに寄せて、こんな言葉を記しています。

小杉のばばあはもういない。死ぬという事はいなくなる、そういう事なのだ。花も小屋も木も、全部置いたままいなくなってしまった。
私もいつかいなくなる。あと五十年後かもしれないし、もっと早いかもしれない。死ぬ可能性は次の瞬間にもある。今生きている事はあたり前ではなく、可能性の高い偶然にすぎない。(中略)
死ぬ可能性をも含む生きている時間を、私は本当に貴重だと思う。

“可能性の高い偶然”の中でさくらさんのエッセイに出会えることは、私たち読者にとっても幸運なことだ、と思わされます。これまでさくらさんの文章に触れたことがないという方は、今回ご紹介した素晴らしいエッセイの数々に、ぜひ手を伸ばしてみてはいかがでしょうか。

初出:P+D MAGAZINE(2018/10/21)

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