辻堂ゆめ「辻堂ホームズ子育て事件簿」第22回「世界が優しくなった」
優しさ溢れ出る世界。
身体はヘトヘトだけれど。
また先日、子ども2人を連れて電車に乗ったときのこと。娘を膝に抱っこ、寝ている息子を背中におんぶして、席に座る。しかし途中で娘の機嫌が悪くなってしまった。大泣きしながら身をよじり、私の膝から下りようとする。走行中の列車の中だ。背中で息子が寝ているから私も身動きを取りづらいし、暴れられると非常に危ない。しかも目の前には、耳にピアスを何個もつけてぶかぶかの服を着た、派手な金髪の若者たちのグループが……。不穏な視線を感じる。いくらあやしても娘の癇癪は収まらない。焦る私。あああ、絶体絶命のピンチ──!
と、下唇を嚙んだそのとき、娘が突然泣き止んだ。え? と顔を上げると、金髪の若者5人組のうちの1人が、娘に向かって小さく手を振っている。「かわいいー。付き合ってください!」「付き合えるかよ。何歳差だよ」「どうだろ、15歳差くらい? いけんじゃね?」「あのー、この子何歳ですか?」と口々に言いあう彼らに圧倒されつつ、訊かれたことに答えると、「まだ2歳かよー!」と若者たちが笑いあった。5人のお兄さんたちはなんと、その後次の駅で私たちが下車するまで、代わる代わる娘の気を引き続けてくれた。最初は金髪のお兄さんたちに話しかけられて驚いていた様子の娘も、別れるときには自分から手を振っていた。ホームに降りた後、後ろからまたお兄さんの明るく無邪気な声が聞こえた。「あ、背中にももう1人いたんだー! 気づかなかった!」。人を見た目で判断しちゃいけないんだなぁ、とつくづく思いながら、改札に向かったものである。
お兄さんたちありがとう。駅やエレベーターで声をかけてくれるおばさま方も、恥ずかしそうに笑いかけてくれるおじさま方も、いつもありがとう。中には心無い人もいるけれど、それはほんの少しだけで、基本的には本当に、優しい世界だ。
最近、私がゴミ箱に物を捨てたり、着替えをしたり、歌を口ずさんだりすると、娘が拍手して「わぁー、じょうず!」と褒めてくれる。穿いてほしい靴下を私が無造作に手渡しただけで、「ありがとうママ!」と吹き替え版の海外ドラマばりの元気さで感謝の言葉を口にしてくれる。
優しい世界だ。
数字を覚えようとしているけれど、4と5と6を毎回飛ばしてしまう娘。おやつのクッキーを数えると、落語の時そばの逆パターンで、7枚しかないクッキーが10枚もあることになる。
優しい世界だ。
娘の髪を初めてポニーテールにしてみる。しかし数時間後、髪ゴムがいつの間にか取れているのに気づく。探してもどこにも見当たらない。買ったばかりだったのに、と落胆する。その水色の髪ゴムが、夜お風呂に入ろうとしたときに、なぜか私が着ていたブラウスの下から発見される。心当たりはまったくないけれど、抱っこしたり一緒にゴロゴロしたりしているうちに胸元に飛び込んじゃったのかなぁ~、そんなことあるかなぁ~、娘がつまんでこっそり入れたのかなぁ~、などと、1日を振り返ってニヤニヤしてしまう。
優しい世界だ。
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「辻堂ホームズ子育て事件簿」アーカイヴ
1992年神奈川県生まれ。東京大学卒。第13回「このミステリーがすごい!」大賞優秀賞を受賞し『いなくなった私へ』でデビュー。2021年『十の輪をくぐる』で第42回吉川英治文学新人賞候補、2022年『トリカゴ』で第24回大藪春彦賞を受賞した。他の著作に『コーイチは、高く飛んだ』『悪女の品格』『僕と彼女の左手』『卒業タイムリミット』『あの日の交換日記』など多数。最新刊は『二重らせんのスイッチ』。