辻堂ゆめ「辻堂ホームズ子育て事件簿」第28回「『好き』がはらむエネルギー」
得意なことは、一体何だろう?
見極めるのは難しい。
4月から幼稚園に通い出した娘のほうは、保育参観はまだ先だけれど、本人の言動から園での様子が伝わってくる。歌をうたったり手遊びをしたりするのはもちろん、出席を取るような調子で友達のフルネームを呼び続けたり、「げんきかなー? おねつかなー? よんでみましょう! せーの、●●ちゃーん! はーい! じょーずー!」などと寝る前に一人で延々とコールアンドレスポンスを始めたり、「たいそうならび、●●ちゃんは▲▲くんとおててつなぐ!」「●●ちゃんはぶどうのマーク、◆◆ちゃんはいちごのまーく、■■くんはかにさんのまーく!」などとクラスでのルールを教えてくれたり。特に名前がよく出てくる男の子が一人いて、「好きな男の子かな?」と私が呟くと、そばで聞いていた夫が「許さん!」と肩を怒らせていた。まあとにかく入園から2か月以上経った今でも幼稚園が楽しすぎるようで、毎朝いそいそと園バスに乗って出かけていく。
『好き』という感情は素晴らしい。別に親が手を差し伸べなくても、子どもが勝手に情報を吸収し、他者と関わり、成長していってくれる。
最近、年少さんになった娘を見ていて、好き嫌いや得意不得意が以前よりはっきりしてきたなと感じる。友達の名前を覚えるのは好き。歌も好き、ダンスも好き。文字を読んだり塗り絵をしたり、シールやビーズを貼るなどの細かい作業をしたりするのも大好き。一方で、ブランコは嫌い。座るところまではやるのだけれど、ひと漕ぎもしないうちに下りてしまう。ドライヤーも苦手で、電源を入れると一目散に逃げていく。車に乗っているときにトンネルや高速道路を通るのも苦手。どうやらけっこうな怖がりらしい。先日はお祭り会場でピエロの格好をした人が風船を配っていたのだけれど、他の子どもが喜んでいる中、「こわい……」と引き攣った顔をして後ずさっていた。あとは数字にもさほど興味を示さない。ひらがなやカタカナはあれだけ好きなのに、なんだか不思議だ。
そういえば息子は高い高いが大好きで赤ちゃんの頃からゲラゲラ笑っていたけれど、娘は恐怖で顔を歪めて泣いてしまっていたなー、とか、息子は大人の顔色を窺って愛想よくするのが得意だけれど、娘は真剣な表情で積み木やブロックに取り組む姿のほうがよく見られていたなー、とか、そんなことを思い出す。過去のエッセイにも書いたけれど、子によって気質や趣味嗜好は本当に様々だ。環境で多少変化するのだとは思うが、自分の子たちを見ていると、生まれたときからある程度脳にプログラムされているのだろうという気がする。よく考えると、私も幼い頃から日本語の文字が大好きだったし、クラスメート全員のフルネームにも謎の興味があったし……。
夫ともたまに、そんな話をする。例えば、勉強全般が好きかどうか。夫は好きだという。知識を得るのは面白いと。だから今でも英語だのデータサイエンスだのの勉強や資格取得を欠かさずやっている。私は心底嫌いだ。子どもの頃は、単なる義務だと思ってやっていた。中学生くらいの頃から勉強しない人生に憧れていて、早く大人になりたくて仕方なかった。そのため、社会人になっても勉強し続ける必要がありそうな職業(医師、研究者、中学校や高校の教員、銀行員など)や大学院進学がほぼ必須条件の職業(理系全般、法曹、国連職員など)は真っ先に選択肢から外した。大学に合格したとき、一番嬉しかったのは努力が報われたことで、二番目に嬉しかったのはこれでもう一生数学をやらないで済むことだった。
このことをいくら夫に説明しても、当初はなかなか理解してもらえなかった。でもある日、「調べ物の過程が好きか、結果が好きか」という話題になり、そこでも意見が真っ二つに割れたことから、お互いに対する理解が進んだ。夫は過程が好きだという。調べている最中が一番楽しく、好奇心が刺激されるそうだ。私は逆に、調べた事実を結果に反映させたときに最も充足感を覚える。小説であれば、実際に執筆をするときだ。勉強同様、調べ物をすること自体に楽しみを覚えることはあまりない。いい小説を書きたいから、テーマによっては気合いを入れて調べ物をすることもある、というだけの話だ。
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「辻堂ホームズ子育て事件簿」アーカイヴ
1992年神奈川県生まれ。東京大学卒。第13回「このミステリーがすごい!」大賞優秀賞を受賞し『いなくなった私へ』でデビュー。2021年『十の輪をくぐる』で第42回吉川英治文学新人賞候補、2022年『トリカゴ』で第24回大藪春彦賞を受賞した。他の著作に『コーイチは、高く飛んだ』『悪女の品格』『僕と彼女の左手』『卒業タイムリミット』『あの日の交換日記』『二重らせんのスイッチ』など多数。最新刊は『答えは市役所3階に』。