辻堂ゆめ「辻堂ホームズ子育て事件簿」第27回「夫婦は仕事のパートナー その2」
試行錯誤した結果、
それぞれの個性をフル活用!?
2023年5月×日
ゴールデンウィーク明け初日、月曜。雨だ。
先月から幼稚園ママデビューした私は、娘とともに毎朝近所のマンション前に通っている。そこに園バスが停まるのだ。同じバス停から子どもを乗せるママさんは私のほかに2人いて、会うたびに少し立ち話をするのだけれど、彼女らはともに西日本の出身だそうで、この大型連休にはそれぞれ子どもたちを連れて帰省したという。1人は電車と新幹線で、片道6時間半かけて。もう1人は車で、仕事帰りで疲れて寝ているご主人を横目に、あまりの混雑でサービスエリアにも止まれないまま、夜9時から朝4時まで徹夜で運転し続けて。「眠い~。事前に買い込んでた酸っぱいグミ、全部食べ切っちゃったわ~。ちなみに帰りは浜松で松潤が参加するお祭り渋滞にぶつかってね、12時間かかったよ!」と朗らかに笑うNくんママを見て、同じ母として心の底から敬服するとともに、連休中に県境を跨ごうともしなかった自分のあり方を見つめ直した──そんな朝である。
仕方ないじゃん、と心の中に潜む悪魔がふてくされながら言っている。親戚はみんな関東だから遠出する理由もないし。というか、混雑してる場所に行くのって疲れるし。夫も私もインドア派だし。休日は家でゴロゴロして、せいぜい近くのファミレスでお昼ご飯を食べるくらいが一番楽しいんだよ~……って、それは親の言い分であって、子どもにしてみれば、自然と触れ合ったりテーマパークで遊んだりしたほうがよっぽど楽しいに決まっている。赤ちゃんのうちは記憶に残らないだろうし遠出は最低限でいいやと思っていたけれど、気づけば娘は年少さんだし、息子も1歳半を前にすたすた歩き始め、言葉が遅かった娘より約9か月も早く「パパ」「ママ」「アンパンマン」「きいろ」「おちゃ、のむ」などと喋り始めているではないか。……ごめん。来年ね、来年はちゃんとするから!
この連休は、夫だけが遠方に遊びにいく用事があり、3日ほど家を空けた。その間、私は子ども連れで友人と遊ぶ予定がいくつか入っていたため、実家には帰らず自宅で子どもたちと過ごすことになっていた。
出発する前日、夫は1日中キッチンに立ち、次から次へと料理をしていた。自分が不在の間に子どもたちや私が食べるものを作り置きするためだ。ミネストローネやほうれん草のソテーを小分けにして冷凍し、豚汁を鍋いっぱいに作り、私の大好物のガパオライスのひき肉部分をタッパーに詰めて冷蔵し……。
1年半ほど前、『夫婦は仕事のパートナー』と題した第8回のエッセイにもちらりと書いたけれど、我が家の料理担当は夫だ。うちは夫婦共働きで、お互いの労働時間や収入にもそれほど大きな差はないので、家事も生活費もすべてきっちり折半している。でも、この「折半」というのが難しい。生活費は月1で精算して1円単位で割り勘しているから問題ないものの、その点家事は面倒だ。労働量を容易には数値化できないし、個々のタスクの負担の大きさも、人によって感じ方が違う。
結婚当初は、すべての家事を〝一緒に〟やっていた。買い物も料理も皿洗いも洗濯も掃除もゴミ捨ても、夫婦が2人とも家にいるときに、協力して一気に片付けるのだ。確かにこれなら負担は綺麗に「折半」されていると推定できる。だけど次第に、お互いの得手不得手や好き嫌いが浮き彫りになってきて、「負担は平等かもしれないけど、これってある意味非効率的じゃない?」という疑問が生じるようになってきた。
例えば、私は料理がものすごく嫌いだ。それに付随する買い物もやる気が起きない。なぜって、料理というのは、あらゆる家事の中で圧倒的にコストパフォーマンスが低いように思えるからだ。献立を考え、食材を購入し、包丁で切り、鍋に入れ、加熱されるまで待ち──とにかく準備にかかる時間が長すぎて、投資した分を到底回収できる気がしない。世の中には便利でお安いレトルト食品や冷凍食品がこんなにあふれているのに、今どき一から料理をするなんて前時代的すぎる! などと、〝費用対効果〟なる言葉に蝕まれた頭で考えてしまう。
光文社
東京創元社
\毎月1日更新!/
「辻堂ホームズ子育て事件簿」アーカイヴ
1992年神奈川県生まれ。東京大学卒。第13回「このミステリーがすごい!」大賞優秀賞を受賞し『いなくなった私へ』でデビュー。2021年『十の輪をくぐる』で第42回吉川英治文学新人賞候補、2022年『トリカゴ』で第24回大藪春彦賞を受賞した。他の著作に『コーイチは、高く飛んだ』『悪女の品格』『僕と彼女の左手』『卒業タイムリミット』『あの日の交換日記』『二重らせんのスイッチ』など多数。最新刊は『答えは市役所3階に』。