辻堂ゆめ「辻堂ホームズ子育て事件簿」第32回「消去法で残っただけの親」
どうやって仕事と育児を
両立していたんだろう。
そんな中、作家の仕事としては、新しく始まる新聞連載に向けての準備をしている。6月に息子が1か月で3回も熱を出して保育園を休みまくったこともあり、この秋はスケジュールにほとんど余裕がなく、子どもたちが熱を出して園から突発的な呼び出しが来ないか、毎日冷や冷やものだ。自由業の私ですら苦労しているのだから、フルタイムの社員として外で働くお母さん方やお父さん方はどれだけ大変な思いをして仕事を調整しているのだろうと、たまに自分の会社員時代を振り返って恐ろしい気持ちになる。
子どもたちが健康に過ごしている隙に、と急いで取材に駆け回る中で、父方の叔母から話を聞く機会があった。彼女は大手広告代理店の現役社員で、当時まだ数が少なかった女性総合職として華々しく入社したのちに、働きながら3児を育てたワーママだ。令和の時代でも家事育児と仕事の両立には困難が伴うのに、今から20年以上も前に叔母はどうやってそれを実現させていたのだろうとふと疑問に思い、小説を書く上で必要な広告代理店の業務に関する知識に加え、彼女自身のこれまでの歩みについても教えてもらうことにしたのだった。
細かい内容は小説の内容にも関わるので割愛するけれど、取材中に叔母が口にしたことの中で、最も心に残ったのが以下の言葉だった。
「私の母、つまりあなたのおばあさまが、学校の成績はよかったのに『女は大学なんて行く必要ない』と明治生まれの父親に言われて、洋裁の学校に行った人でね。だから私には、『今は女性が活躍する時代。結婚して子どもができたら私が面倒を見るから、あなたは自由に働いていいのよ』ってずっと言ってくれてたのよ」
なんと理解ある母親に恵まれたのだろう──と、叔母と同じワーママとして感動する。だけどよく考えたら、父方の祖母は、私が生まれる前に病気で亡くなっている。当時叔母は20代後半。まだ結婚もしていなかったはずだ。
すると叔母は、こう付け加えた。
「母が生前そう言っていたことを義母に話したら、義母がこう言ってくれたの。『あなたは若くしてお母さんを亡くしているから、私のことを本当の母親だと思ってくれていいし、私もあなたに本当の母親のつもりで接します。だから子どもが生まれても、仕事はやめないでほしい。あなたのお母さんがしたかったことを、私はあなたにしてあげたい』って。それで育休明けからは、義母がほとんど面倒を見てくれたのよ」
ワーママ第一世代の叔母が、同僚のママさんらとともに社内で人事と掛け合ったこともあり、第2子が生まれるまでには時短勤務や育休期間の制度が拡充され、全面的に義母に頼らずとも仕事と育児の両立ができるようになったらしい。それでもたぶん、子どもたちが体調を崩したときや、仕事が忙しいときなどは、その都度義母に助けを求めていたのだろう。今の時代でも病児の預け先は非常に数が限られていて、基本的には親が仕事を休まざるを得ないのだから、叔母が子育てをしていた頃は言わずもがな、だ。
もちろん、祖父母の助けを得るには近くに住んでいないと難しいなど、制約は存在する。だけどこれって、現代の親たちにとっても必要な視点なのではないか、と思わず考えてしまった。
一人、または夫婦二人きりで子育てをしないこと。
できるのが当たり前だと思わないこと。
親の義務という言葉に縛られ、抱え込みすぎないこと。
双葉社
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「辻堂ホームズ子育て事件簿」アーカイヴ
1992年神奈川県生まれ。東京大学卒。第13回「このミステリーがすごい!」大賞優秀賞を受賞し『いなくなった私へ』でデビュー。2021年『十の輪をくぐる』で第42回吉川英治文学新人賞候補、2022年『トリカゴ』で第24回大藪春彦賞を受賞した。他の著作に『コーイチは、高く飛んだ』『悪女の品格』『僕と彼女の左手』『卒業タイムリミット』『あの日の交換日記』『二重らせんのスイッチ』など多数。最新刊は『サクラサク、サクラチル』。