辻堂ゆめ「辻堂ホームズ子育て事件簿」第33回「ぶびなちゃん」
「あたらしいおともだち」とは一体?
母の推理が始まる。
それから約半月後の休日。
そろそろ晩ご飯の準備をしようかな、と私がソファから立ち上がろうとすると、娘が突然訴えかけてきた。
「ねえママ、ぶたにくはきらい。いらない」
なんで、とびっくりしてしまう。娘の大好物は豚汁だ。我が家ではよく豚肉が食卓に上るけれど、娘が残したことなんて一度もない。それなのに、突然どうした?
さらにいえば、牛肉も豚肉も鶏肉もひとまとめに「おにく」と呼んでいる娘が、豚肉だけを切り出して発言したのも妙だ。幼稚園で教わったのか? だとしたら、どんな文脈で?
その瞬間、点と点が繋がった。
「ねえ、もしかして、ぶびなちゃんって豚肉食べられない?」
「うん、ぶびなちゃん、ぶたにくたべられないよ!」
「給食でお肉、残してる?」
「ぶびなちゃん、おにく、たべられないんだってー。●●ちゃんも、たべたくない」
なるほどね。
かつてインドに3年間駐在していた父のことを思い出す。牛肉も豚肉も食べられなくて困ると閉口していたな。牛肉は、牛がヒンドゥー教における神聖な動物だから。豚肉は、豚がイスラム教における不浄の動物だから。
つまり。
「ぶびなちゃん」は、イスラム圏から来た女の子だったのだ!
──と、かっこよく推理できればよかったのだけれど、実はこの会話をした時点で、すでに幼稚園から11月のクラスだよりが配布されていたのである。
『たんぽぽ組に新しいお友達が来ました! モハメド・(中略)・ルビナちゃんです』
そう書かれた文字の下には、中東出身と思しき女の子が可愛らしい笑みを浮かべている写真があった。
ルビナちゃん。それなら女性名っぽいな、とアラビア語の知識もないくせになんだか納得する。さっそく娘に教えた。「ぶびなちゃん」じゃなくて「ルビナちゃん」だよ、と。それからしばらく経ったけれど、今も娘は「ぶびなちゃん」と呼び続けている。ごめんねルビナちゃん。困っていないかしら。1か月近く続いているこの勘違い、いったいどうやって直せばいいだろう……。
って、娘よ。ルビナちゃん、普通に転校生だったじゃん! あさがお組から来たって話はなんだったの!
水玉模様の給食袋の話しかり、3歳児の話は7割ほど正確で、あとの3割はめちゃくちゃだ。前提条件が信用できなくては、正しい推理はできないというもの。私が普段向き合っているミステリというジャンルは、きわめて良心的な登場人物たちにより成り立っているのだと、こんなところで思い知らされる。
日本人ばかりだった幼稚園のクラスに、肌の色や目の色が異なる、新しいお友達を迎えた娘。その外見の違いを無遠慮に指摘したりしないかな、と親としては心配していたのだけれど、ルビナちゃんのことを話すときにそういった単語はまだ出ない。一緒に遊んだとか、給食を食べたとか、あくまで他の子たちと同じクラスメートの一員として捉えている様子。
そのまま違和感を覚えずにいてほしい、と思う。娘の狭かった世界が、自然に広がっていくのは、とても喜ばしいことだ。肌の色や食習慣の違いについて、いつか尋ねられることがあれば、世界地図を広げて説明してあげよう。地球の中で、こんなにちっぽけな日本。ちっぽけな都道府県、市町村。幼稚園、そしてたんぽぽ組。私もアメリカで現地校に通っていたことがあるから、ルビナちゃんの立場に勝手に共感してしまう。
そういえば、私も新学期が来るたびに憂鬱だったな。アメリカ人の先生になかなか名前を正しく呼んでもらえなくて。「Yume」が英語読みだと「ユーム」になる感じ、といえばお分かりいただけるだろうか。英語にない音だから仕方がないと諦めていたけれど、あれ、けっこうしんどかったなぁ。
……あー、やっぱりダメだ。いくら聞き慣れない言語でも、人の名前を間違えるのはやっぱり失礼です! 娘が幼稚園から帰ってきたら、もう一度教え直さなくては。ルビナちゃん、と、早くお友達の名前を間違えずに呼んであげられるように。
※文中に登場する固有名詞は、すべて仮名です。
(つづく)
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「辻堂ホームズ子育て事件簿」アーカイヴ
1992年神奈川県生まれ。東京大学卒。第13回「このミステリーがすごい!」大賞優秀賞を受賞し『いなくなった私へ』でデビュー。2021年『十の輪をくぐる』で第42回吉川英治文学新人賞候補、2022年『トリカゴ』で第24回大藪春彦賞を受賞した。他の著作に『コーイチは、高く飛んだ』『悪女の品格』『僕と彼女の左手』『卒業タイムリミット』『あの日の交換日記』『二重らせんのスイッチ』など多数。最新刊は『山ぎは少し明かりて』。