川瀬七緒さん 『テーラー伊三郎』
ミステリ要素は入れないほうがいいかなと思いました。
ミステリ作家で知られる川瀬七緒さんが痛快なエンターテインメントを上梓した。新作『テーラー伊三郎』は田舎の商店街で老人と少年少女が改革に乗り出す物語。しかもそのキーアイテムは、なんとコルセット!
商店街で革命を起こす!?
福島の田舎町の商店街で、一人の老人が改革に乗り出す。仕立て職人の彼が試みたのはコルセット「コール・バレネ」の製造。その美しさに目を留めたのは、一人の男子高校生だった──。川瀬七瀬さんの新作『テーラー伊三郎』は、さまざまな要素の詰まった痛快エンターテインメント。
「編集の方に"書きたいものを書いてください"と声をかけていただいた時、返信で送ったのが"つぶれた仕立て店のじいさんが女の下着を作る"という一行でした(笑)。具体的な内容は決まっていなかったのですが、服飾のことはちょっと書いてみたいという気持ちがありました」
実は川瀬さん、文化服装学院を卒業後、服飾デザイン会社で子供服をデザインしていたという経歴の持ち主。本作ではじめて、服飾をメインテーマのひとつに据えた。
「服飾の仕事自体は地味だし、これといって物語性がないと自分では思っていましたし、身近すぎて裏側を知っているだけに、きれいごとは書けなくて(笑)」
また、二〇一一年に『よろずのことに気をつけよ』で江戸川乱歩賞を受賞してデビューしミステリ作家のイメージが強いが、本作は謎解きの要素を排除したエンターテインメント小説である。それに関しては、「ディテールを考えた時、ミステリ要素は入れないほうがいいかなと思いました」。
商工会が幅をきかせる福島のとある保守的な田舎町。そこに暮らす一人の男子高校生が、名前は海色と書いてアクアマリン、通称アクアだ。女性向けのポルノ漫画を描く母と二人で暮らす彼は、母の仕事を手伝ううちに、いつしか漫画のモチーフに使われる中世ヨーロッパの文化にも詳しくなっている。ある朝通学路にある老舗紳士服店、〈テーラー伊三郎〉に飾られていたのは、美しいコルセット。町は騒然となるが、たった一人、アクアだけは、それが中世の「コール・バレネ」だと気づく。作り主は店主の伊三郎という八十二歳の頑固老人。コルセットで町に革命をもたらそうと息巻く彼に知識を買われたアクアは、店の新装開店を手伝うことになる。
アクアは自分の将来が見えずに諦念を抱えているような少年だ。
「服飾についてプロに語らせるより、分からない者に語らせたほうが読者にも分かりやすいと考えました。それに、保守的な町でアクアマリンという名前をつけられたら、相当辛いですよね。そんな男の子の行く末を見てみたいな、と。母親をはじめ、ちょっと我が強い人間たちの中で、委縮してしまって、優良な人物の枠から外れないように気をつけながら生きているタイプです」
母親の職業についても、学校で嫌な思いをしたことがあるアクア。
「母親の仕事を恥じてはいるけれど、母のプロ意識や本気度は感じ取っているので、完全には嫌いになれない。その狭間で悩んでいます。うちも実家が写真屋で、新しもの好きの父親がチンドン屋を雇ったり、日活映画のような手描きの絵を看板にしたりしていたんです(笑)。私はいじめられませんでしたが、うちが通学路にあったこともあり、立つ瀬がないような思いをしました。そのあたりはアクアに重ねました」
そして彼は、将来についても、何の希望も抱けずにいる。
「今はネットもあるし、やりたいことを見つけやすい一方で、年収など細かく分かるので諦めもはやくなる。生活環境が整わないなかで、進学して何かになりたいという気持ちが湧きづらいのかなと思います」
また、改革を目指す伊三郎については、
「とかくぶっきらぼうで敵だらけ。でも敵を作ることを意に介さない人間。不器用な生き方をしてきたために根は平等で、偏見もなく周りにも流されない、真っ直ぐな目を持っている人ですね」
自分は体制から抜け出すことができなかった、と語る彼。八十二歳になってそう言いだしたのは、
「奥さんを亡くしたことがきっかけのひとつ。たぶん奥さんに頼り切って、自分では何もやっていなかったんです。伊三郎としてもはじめて何もしないまま生きてきたことに気づいたのではないかと思いますね」
彼の言う体制というのは、保守的なこの町だ。舞台となる福島は、川瀬さんの出身地でもある。
「私の生まれた地域がまさにこんな感じだったんです。ショッピングモールに占拠されて商店街の店は次々とつぶれている状態。うちも商売をやっていたから分かるんですが、町という集合体があって、そこからはみ出したらやっていけない。どこかの店が突出して売れる、なんて許されない空気がありました。商工会と通じている税理士なんかもいるので、情報共有もされてしまう。その体制から抜けられない、というのはあるかと思いました」
好ましいのはこの老人と少年が、決して師弟関係や上下関係で結びつくのではなく、あくまでも対等な人間同士として向き合う点。
「伊三郎が伝承する気がないので対等になったともいえますね。アクアに対して、自分の生きづらさを重ねているのかもしれません。人とコミュニケーションをとるつもりがないまま生きてきた伊三郎と、人とうまくやるのがコミュニケーションと思っているアクアが、お互いに補いあうのがコミュニケーションだと分かっていく」
また、改革に参加するのが、ズーズー弁を話し、スチームパンクのファッションに身を包み独自の道をいく女子高生、明日香だ。
「田舎って、こういう子がいるんです。私の同級生にも、腰まで髪を伸ばして、すごいミニスカートをはいて通ってくる子がいました。誰とでもつるむわけでなく独自の世界を持っていて、密かに憧れていました。明日香も自分の世界を持っていて、その中で生きていけば幸せという子。でもそれが彼らと関わることで、現実は空想よりもこんなに面白い、と気づいていく」
彼女は「伊三郎じいちゃんのコルセットを見て思ったのは、すごくきれいで完璧なんだけど、町の景色がまるっきり見えてこないってことなんだ」と語る。
「服装ひとつとっても、なぜその服なのか、突き詰められるタイプ。完全に芸術家肌です」
彼らと敵対するのが、商工会の面々のほか、住人たちの行動を監視し、自分の理想の風紀を守ろうと口を出してくる元小学校教員の真鍋女史。
「彼女も田舎で教員をして、独身を貫いて、となるととんでもなく嫌なことがあったと思います。自分が生きていくために、女性の自立を説かなくてはいけなかった。完全なミサンドリスト、男性憎悪の人ですよね」
この女史、後半には実に腹の立つ行動をとってみせるのだが、アクアたちはどう立ち向かうことができるのか。
ファッションとしてのコルセット
そして重要なモチーフが、コルセットである。女性を縛り付けていた下着、というイメージも強いが、それで改革を目指すというのがユニーク。
「私が学生の頃は、周りに固定観念がない人間が多くて、なんでそんな服作ったの? と言いたくなる人ばかりでした。でも服飾の面白さって、そういうところにある。今の市場は決められた流行のラインから外れないようにする傾向がありますが、服飾の本来の楽しさも書きたかった」
自身も学生時代に、人に着せるためにデニムのコルセットを作ったことがあったという。
「図鑑を見てつねづね思っていたのは、十八世紀のヨーロッパは下着として内側に着るものでもものすごく手間暇かけて豪華に作っていたということ。それこそ表に出さないともったいないくらい。それで、下着ではなく、服の上にコルセットを着る、ことを考えてみました」
彼らが提案するのは、下着というよりファッションとして楽しむコルセット。では、革命自体はどう展開させようと考えたのか。
「コルセットは伊三郎の生き方がまさに出ているもの。だから単にポッと出て流行るとか、売れるだけのことにはしたくなかったですね。それと、革命を成功に導くためには、最後にアクアには、具体的でなくても、何かをやりたいという気力が見えてほしいと思いました」
まだまだ何かできる。それはアクアたち若い人だけでなく、商店街の老人たちにもいえることだ。
「老人って過去ばかり見て生きていますが、伊三郎の行動に関わる人たち全員が、未来を見るようにしたかったですね。普遍性に閉じ籠もらずに独自性に目を向けていく」
現代の話であるだけに、震災にも触れられる。実はこのことをしっかりと書いたのもはじめてだ。川瀬さんは当時地元にはいなかったが、実家に帰るたびに感じたことがあった。
「マスコミと広告代理店が何かを作り上げているなと感じました。いろんなところから物資も届いてそれは本当にありがたかったんですけれど、役所や官が中心になって“元気を”“絆を”と言われるのは、何か根本的な部分をおざなりにして誤魔化されている部分がある気がしました。全員ではないですけれども、もう自力でなんとかできる状況は通り過ぎていて、にっちもさっちもいかない人も多いんです。だからこそ、“みんなを笑顔に”という発想が嫌でした」
そういうこともあって、地元の人々が立ち上がる話になったのかも?
「それもありますね。こういう仕事をしている以上は、頑なに地元や震災のことを無視することはできないと思っていました。この小説で、震災で傷を負った人たちが元気になれるかどうかは分からないけれど、何かを感じてもらえたら嬉しいです。決して忘れているわけではないので。でもまあ、ものすごい書きようなので地元の人が読んだら怒る部分もあると思うんですけれど(笑)」
読んでスカッとしてもらえるものが書きたかった、と川瀬さん。今回エンタメを書いてみて思ったのは、
「ミステリは事件が起きて解決までの経緯を理詰めで書いていたところがあるんですが、今回エンタメを書いてみて、頭を使う場所が違うのを感じて。それが新鮮で、楽しいなと思いました。服飾に関しても、また違う視点から書けるのかなと思ったし、それに限らずいろんなことに興味があるので、またそういうものを書いていきたいです」