町田そのこ『宙ごはん』

親も成長する

町田そのこ『宙ごはん』

 孤独の持ち主たちが擬似家族を形成し、回復していく姿を描き出した初長編『52ヘルツのクジラたち』で二〇二一年本屋大賞を受賞した町田そのこが、最新長編『宙ごはん』で再び家族というテーマと向き合った。「ごはん」を共通モチーフにした全五話は、優しさと温かさに加え、人生の苦みもしっかりときいている。


育ててくれた「ママ」と産んでくれた「お母さん」

 自然豊かな地方都市に暮らすヒロインの宙の家族構成は、ちょっと変わっている。育ててくれた「ママ」と、産んでくれた「お母さん」がいるのだ。実は「お母さん」の三つ下の妹が「ママ」で、離れて暮らす「お母さん」とはごくたまにしか会えずにいた。しかし、小学校に上がるタイミングで、「ママ」の一家が外国に引っ越し、宙は残ることを自分で決めた。第一話は、古びた一軒家で突然二人暮らしを始めた、母娘の戸惑いと和解の顛末を追いかけていく──。

 全五話からなる『宙ごはん』は、一話進むごとに時間が数年単位でジャンプする。母娘と周囲の人間関係が、ガラッと変わるのが面白い。

「長い時間軸にわたる物語にすることで、宙だけでなく、『お母さん』である花野さんの成長も描けると思ったんです。成長という意味では、花野さんのほうがダイナミックに変わったかもしれません。最初は家事もまったくしないし子どもにも向き合わないで恋人にうつつを抜かす、ろくでもない大人でしたから(苦笑)。花野さん自身がまだまだ子どもで、大人になりきれていない。親だって未熟で、子どもと一緒に成長していく存在なんだということを伝えられたらと思っていました」

 母娘の関係を繋ぐキーマンが、普段は商店街のビストロで働く料理人・佐伯恭弘(やっちゃん)だ。花野に叶わぬ想いを寄せているやっちゃんは、売れっ子イラストレーターとして忙しくする花野のかわりに台所に立ち、食事を作る。宙がやっちゃんから料理を習い、ふわふわのパンケーキを母に作ってあげるシーンが、第一話のクライマックスだ。

「わだかまりを持っていた者同士が一緒に食卓を囲むことで、和解したり明日もなんとか生きていくための力をチャージする。そんな場面を、各話のクライマックスに持ってくることは最初に決めました。私自身は料理があまり得意ではないですし、最近は仕事の忙しさにかまけて、つい料理の手を抜いてしまっている。でも、ごはんは必ず子どもたちと一緒に食べることだけは守っています。自分は席につかずお皿だけ食卓に出したら、たとえどんなに味は良かったとしても、子どもたちのごはんに対する思いは不満に変わってしまうんじゃないでしょうか。何を食べるかではなく誰と一緒に食べるのかが、ごはんの質を決める一番大事な要素だと思うんです」

終わったと感じても人生は、続いていく

 本作の着想のきっかけは、編集者から「食」にまつわる描写が魅力的だと指摘されたことだったという。ならばと「食」をメインに据え、家族で囲む食卓の様子を「ほのぼのと、優しさたっぷりに」書いていくつもりだったが……完成した小説は読み味がまったく違う。

「タイトルも表紙も可愛くて、当社比一番優しい物語になったのは間違いないんですが、読んでくださった方から〝しんどかった〟〝えぐられた〟〝やっぱり町田臭がした〟と言われ続けて、おかしいなと首を傾げているところです(笑)」

 確かに第一話はギリギリのところでこらえていたが、第二話以降、著者らしい苛烈な展開が炸裂していく。主要人物たちは、時に意外なかたちで退場してしまうのだ。

「子どもの頃を振り返ってみると、〝これで私の人生終わった〟と感じた出来事がいっぱいあったなと思うんです。特に、好きな人や大事な人と別れなければいけない、道を違えなければいけないとなった時の感情は絶望に近かった。その瞬間は本気でそう感じているんだけれども、それでも人生は続いていくんですよね」

 第三話以降も、宙の青春を追う大枠のストーリーの中に、第二話に匹敵する痛みや別れが勃発する。だからこそ、誰かのためにごはんを作り、一緒に食卓を囲む場面の温かさが際立つのだ。にゅうめん、きのこのポタージュ、レタス卵チャーハン……。匂い立つ調理風景の描写も相まって、すべてのメニューが印象に残る。

「幸せな時に食べるごはんって、何を食べても美味しいじゃないですか。だから書かなかったんでしょうね。トラブルをどう乗り越えていくか、誰かの人生にどう寄り添っていくか。〝幸せだったはずなのに、なんでだよ!〟という状況の中でも、滋味を感じられるごはんのことが書きたかったんです」

 ごはんによって心を回復させるのは、宙や花野だけではない。各話ごとにメインとなる人物が登場し、それぞれの人生の中でこうむってきた「呪い」が描き出され、やがて晴れていく。小学校に上がる前まで宙を育てていた「ママ」──風海と数年越しで再会する第四話はスリリングだ。一緒に暮らしていた頃は、宙にとって風海は子ども思いで優しい理想の母だった。しかし、宙はさまざまな人生経験を得て内面的に成長していたために、風海は家族にまつわる「呪い」を抱えており、人間性に問題があると気付いてしまうのだ。

「私も第一話を書いている時は、風海ってすごくいいお母さんで、理想だわと思っていたんです。だけど時を経て再登場してもらったら、あらあら、そういう人だったのね、と(笑)。人は良い方向にも変わるけれど、悪い方向にも進んでしまうことがある。そこにはその人なりの、そうなってしまった理由がある。その理由まで想像することができれば、相手に歩み寄っていけるんだろうなと思います」

 家族にまつわる風海の「呪い」は、姉の花野の人生にも忍び込んでいる。その「呪い」をいかに断ち切るかは、娘である宙の人生にも関わってくる。最終第五話で、鮮やかにそれを描く。

本屋大賞を受賞したことで得られた実感を小説の中に

 本書は著者最長の長編小説となったが、一話ごとに物語にエンドマークが付く、短編集のような醍醐味も兼ね備えている。「短編と長編、両方のおいしいとこどりですよね」と本人も語る。

「もともと私は短編の賞でデビューして、三作目まではずっと短編を書いてきました。ようやく長編に挑戦する実力がついたかなというところで、初めて書いた作品が『52ヘルツのクジラたち』でした。ただ、続く『星を掬う』も含めて、短編ではできていたことが長編では、思うようにいかないという反省もありました」

 一人称の主人公に長い時間をかけて入り込んでいくと、どうしても周囲の登場人物の掘り下げが手薄になってしまう感覚があったそうだ。

「主人公と自分との距離が近すぎたんです。だからこそ出せた良さもあったと思うんですが、今回は冷静に小説全体を俯瞰して見ることができました。というのも今回は書き下ろしではなく連載で、準備期間なども含め、ここまで長い時間一つの作品に向き合ったのは初めてだったんです。パン生地を寝かせるみたいに、原稿をあえて寝かせる時間もありました(笑)。そうするうちに、いろんな人のいろんな事情が見えてきたんです」

『52ヘルツのクジラたち』で本屋大賞を受賞し、人生も大きく変わった。そこで得た実感が、本作に活かされていると言う。

「私は子どもの母親である前に、一人の人間なんですよね。自分の夢を叶えたい、叶えた夢を大きくしたいとやっていく中で、子どもに小さな我慢をたくさんさせてきてしまった自覚がありました。申し訳ないなと思っていたんですが、本屋大賞をいただいた時に〝ママがやっていることはカッコいいよ〟と子どもに言われて、書き続けてよかったと思いました。宙が仕事を頑張る花野さんに対して、自分を構って欲しいと思うのではなく、頑張っているなって感じる部分は、自分の子どもたちからもらった言葉が反映されていると思います」

 本作に反映された実感は、もう一つある。

「宙と花野のような、なんでも言い合える友達同士に近い関係は、私自身は母と築くことができませんでした。正直なところ、距離を感じることもありました。私が作家を目指している時も、〝子どもを優先すべきじゃないの?〟と言われたこともある。でも、これは本屋大賞を取る前からかな、私の仕事を認め、すごく応援してくれるようになりました。家族との関係や、家族に対する感情ってなかなか変わらないものだと思う人もいるかもしれませんが、きっかけがあればいつだってガラッと変わるんですよ」


宙ごはん

小学館

宙には、「ママ」と「お母さん」がいた。二人の母がいるのは「さいこーにしあわせ」だった。しかし、宙が小学校に進学する際、「ママ」は夫の海外赴任に伴いシンガポールへ。残された宙は、お母さん・花野とともに新生活をはじめる。ごはんも作らず子どもの世話もしない花野に不満を募らせていく。そんな宙の心を温めるのが、花野の中学時代の後輩・佐伯の料理だった。


町田そのこ(まちだ・そのこ)
1980年生まれ。福岡県在住。2016年「カメルーンの青い魚」で第15回「女による女のためのR−18文学賞」大賞を受賞。17年、同作を含む短編集『夜空に泳ぐチョコレートグラミー』でデビュー。『52ヘルツのクジラたち』で21年本屋大賞を受賞。著書に『ぎょらん』『うつくしが丘の不幸の家』『星を掬う』、「コンビニ兄弟」シリーズなどがある。

(文・取材/吉田大助 写真提供/藤岡雅樹)
〈「STORY BOX」2022年6月号掲載〉

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