『百日紅』の著者 江戸文化研究家 杉浦日向子おすすめ4選

江戸文化研究家、漫画家、エッセイストとして、2005年に早逝後も根強い人気のある杉浦日向子。呉服屋の娘に生まれ、若い頃、江戸時代考証のカルチャースクールに通ったことがきっかけで、江戸文化に興味を持つようになったという著者の、おすすめ作品4選を紹介します。

『お江戸風流さんぽ道』――江戸の粋を現代に伝えるエッセイ集


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 江戸人の食、娯楽、嗜好などにおける「風流」や「粋」を探求する1冊です。
 たとえば、江戸の代表的な食べ物である蕎麦。

江戸前の蕎麦は食事の扱いではありませんでした。嗜好品の一種で、喫茶店のコーヒーや、サロンの一服、大人のくつろぎの小道具だったわけです。麺をたぐって、「するするっ」と軽く音を立て、繊細な蕎麦の香りを空気と攪拌かくはんすることにより増幅させて楽しみます。麺につけるつゆが少しだと、「するするっ」といきます。つゆだくさんだと「ずるずるっ」となり、下品で野暮ったいといわれます。

おいしそうな描写に、思わず蕎麦が食べたくなるほどです。
また、「粋」という言葉について考察を巡らせています。

いき」というのは、呼吸の「息」に通じるんです。ということは、上方の「すい」は、「吸う」に通じます。上方の「粋」は、身の回りのあらゆるものを自分に取り込んで、血肉として自分を磨いてゆく。習い事をしたり、情報を集めたり、人の間でもまれて身の内に吸収して、「粋」になっていく。おしゃれにしてもそうです。白粉おしろいを塗る、着物を重ねるというふうに、どんどん載せていく、プラスの美学なんです。これが、「いき」になると、マイナスの美学ということになります。「粋」は「息」だといいましたが、この、身の内から外に出していくというのが、江戸の「粋」なんです。こそぎ落としていく、背負い込まない、そうやってぎりぎりのところまで削り取っていって、最後に残った骨格のところに、何か1つポッとつけるのが、江戸の「粋」なんです。

 江戸っ子は宵越しの金は持たぬ、という気風も、この箇所を読めば納得できるでしょう。
 また、江戸時代は独身者が多く、外食がさかんだったという一節がありますが、こうした箇所を読むと、結婚しなければならないとか、食事は家庭で作らねばならないなどといった、私たちが常識だと思い込んでいる事柄が、それほど昔から当然だったわけではないことが分かり、自身を相対化する視点が生まれ、少しプレッシャーから解放されるかもしれません。

百日紅さるすべり』朝吹真理子推薦 浮世絵師・北斎ほくさいと娘・お栄の不思議話


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 葛飾かつしか北斎ほくさいの娘・お栄は23歳。父とあばら家で起居を共にし、浮世絵の創作を手伝っています。その腕前は、父の代筆が務まるほど。端正な美人画を描くのが得意で、男女の枕絵は少々苦手。その理由を北斎は、

“てめえのつらがまずいもんだから神仏に願をかけるみてえに(美人画を)描き込むのよ。(枕絵は、男女のことを)知りもしねえくせに描くからボロを出す”

と言ってのけます。周囲の人は、嫁入り前の娘に枕絵を描かせるなんて、と呆れていますが、北斎はなんのその。堅物で男に縁のないお栄が、写実的な男の絵を描くために、陰間かげま(当時の言葉で男娼のこと)を買うべきか悩む場面は実にユーモラスです。
 北斎は口が悪く、地黒で器量の悪いお栄が白粉を塗った顔を、「灰まぶれのカナブン」などと言いますが、お栄が殿様に献上した地獄絵図があまりにも上手すぎて絵の中から鬼が飛び出して来たときには、その絵に「ある物」を書き加えて騒動を収めたり、自身が仕上げにかかっていた龍の絵に、お栄がうっかり煙管の灰を落としてしまって絵が台無しになったときには、「龍だけに、どこかへ飛び去った」と、とぼけてみせたりする一面も持っています。
 本作では、描かれた人や動物が絵の中から飛び出したり、反対に、人間が絵の中に引きずり込まれたりすることを、一切の説明は加えず、不思議は不思議のまま描きます。杉浦日向子を敬愛しているという芥川賞作家の朝吹真理子は、本作の魅力を、「近代以前の時代の不思議との近さにある」と言います(2020年6月19日、青山ブックセンター本店で収録のYouTube動画「本屋の歩き方」Vol.2より) 。本作には、例えば、臨終の母を背負って走った娘の肩に、母の死後もなお母の両手の遺骨がめり込んでいることや、寝ている間に勝手に腕が伸びて、手指が野原を駆け回るので、腕にびっしり経文を書いて鎮めたことなど、怪奇現象が出てくるのですが、作中人物たちは、「そういうこともあるだろうな」くらいのスタンスです。現代人は、不思議なことに出会うと、理由をつけて納得したがりますが、江戸人は、人知を超えたものの前ではもっと謙虚だったのかもしれません。
 朝吹真理子はまた、本作の特徴を人がすぐ死ぬことにあると指摘します。自害や心中も含め、人々があっけなく死に、死へのハードルが現代より低いことをうかがわせるのですが、それと同時に、死者は幽霊となってこの世にしばしば現れ、生きている人たちはそのことをすんなりと受け入れています。生死の境界が曖昧な点は、現代人には想像もつかないような死生観があったことをほのめかしています。
 また、創作論としても読みどころのある1冊です。自分の絵は先達の真似に過ぎないと悩んでいた駆け出しの絵師が、その先達も最初は先行作品の模倣から出発したことに気づいた際に、同業の者から掛けられた言葉があります。

「はじめァまねでもしまいにゃひとからまねされるようになりゃかまわねえ」

これは、現在芸術を志す人にも響くのではないでしょうか。

『一日江戸人』江戸の生活を一日体験。衣食住から遊興、結婚、旅行まで


https://www.amazon.co.jp/dp/4101149178/

 衣食住から遊興、結婚、旅行まで、江戸時代へタイムスリップして体験入門できるエッセイです。
 たとえば、「生涯アルバイター」と題された章。

惚れっぽく飽きっぽい江戸ッ子は「この道一筋」が苦手なようで、定職など持たずにブラブラその日暮らしをしていました。毎年江戸で一旗揚げようと、地方の人が流入して来ます。武士は武士で役職をめぐる功名争いに余念がありません。そういう出世欲のギラギラした人々を間近で見ているせいか、江戸ッ子は妙に恬淡てんたんとして醒めています。執着がない分、名人気質も育たなかったようですが、そのかわりアマチュアリズムの楽しさ、身軽さは町にあふれていました。なかでも呆れたバイトは素人の医者。当時のお医者さんは無許可でなれましたし、剃髪ていはつしていたので「髪を結うのが面倒になったから医者でもやるか」とか言って、頭を剃って開業するんですからヒドイものです。

 仕事がないのなら、自ら考案してしまう機転の利き方は、先行きが不透明なこの時代に必要な精神かもしれません。
 著者自身も、生きながらにして江戸の粋を体現しているような人だったようです。歳をとってあくせく働くのは無粋であるとの江戸っ子の考えを踏襲するかのように、惜しまれつつも早晩隠居宣言してしまったこと。その陰に癌の闘病生活があったことを多く語らず、46歳の若さであっけなくあの世へと旅立ってしまったこと。江戸の死生観に通じていた著者のことですから、死を取り返しのつかない失敗だなどと、むやみに悲観せず、淡々と受け入れていただろうこと。読者は、こうした彼女の気風のよい生き方を含めて、作品世界に魅了されているのではないでしょうか。

『4時のオヤツ』小腹の空いた4時に食べたい、大人のための甘辛おやつ


https://www.amazon.co.jp/dp/4101149194/

 3時のおやつが子供のものなら、4時のおやつは大人のもの。アイス最中、クリームパン、稲荷ずしなど、おやつにまつわる日常のワンシーンを切り取った、ショートショート集です。

 例えば、夜の会食前に、蕎麦屋に入るシーン。

「蕎麦屋、行こう」
「なにソレ。今日はゴチソウ食べるんじゃなかったの?」
「まだ、5時前よー。予約は7時。前菜に、蕎麦屋の卵焼きで小ビン1本、セイロ1枚たぐって、それからメイン・ディッシュ」
「今夜のメインってなんなのよ」
「じゃーん。お寿司。あんたら、大食いだから、アゲゾコして行かないとね。カシコイ幹事はチャーンと考えてるんだって」
「夕食なのに、待ち合わせ4時って早いと思ったんだ」

 大食いの友人が、寿司屋でたくさん注文すると財布が痛いので、事前に蕎麦屋で腹ごしらえしてから寿司屋に向かう、ということらしいのですが、江戸時代、蕎麦は本来間食だったことを考えると、蕎麦屋はこうした使い方をするのが正しいのかもしれません。
 他に、和菓子の好きな人なら誰でもしたことのありそうな、粒あん派か、こしあん派か談義や、カステラのカラメルの部分を、家族に食べられる前に、こそげ落として独り占めしてしまいたい心理など、思わずにんまりしてしまうシーンが満載です。

おわりに

「蚊帳をめくって出入りするような気軽さで、現代と江戸を自由自在に行き来していた人」とは、前出の「本屋の歩き方」で朝吹真理子が杉浦日向子を評した言葉です。杉浦日向子の作品からは、膨大な資料を調べた苦労など微塵も感じさせず、江戸時代を実際に見て来たかのように、あるいは、彼女自身が江戸から現代へタイムスリップしてやって来た人ではないかと思わせるほど、当時の人々の生活実感を伝えてくれます。そんな軽妙洒脱な作品世界を愉しんでみてはいかがでしょうか。

初出:P+D MAGAZINE(2022/06/01)

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