浅倉秋成『俺ではない炎上』

俺は悪くない?

浅倉秋成『俺ではない炎上』

 就職活動を題材にした『六人の噓つきな大学生』が二〇二二年本屋大賞をはじめ各種文学賞にノミネートされた浅倉秋成は、いま最も勢いのある作家である。レジェンドの小畑健とタッグを組み、自身は原作を手がけた漫画『ショーハショーテン!』も大きな話題になっている。最新作『俺ではない炎上』は、ネット炎上を題材にした逃亡者モノだ。もちろん、作家ならではの社会批評も随所に光る。


明日は我が身かもしれない

 デビュー十年目の挑戦だ。青春ミステリーの書き手として名を馳せた浅倉秋成が、ガラッと作風を変えてきた。

「青春ものを書く人というイメージの裏には、〝若い子が手に取る本でしょ?〟というイメージがあると思うんです。これからも作家を続けていくためには、老若男女全ての層に響くようなものを世に問うていかなければいけない。僕自身の関心事の中から一番大きなパイが取れるものはどれかなと考えていった結果、ネット炎上という題材に辿り着きました。いつどこで何がきっかけで起こるかわからない、ネット炎上における〝明日は我が身かもしれない〟という恐怖は、あらゆる世代に訴求するものではないかと考えたんです」

 その題材に、逃亡者モノというサブジャンルを融合させた点が新基軸だ。

「〝ネットでなぜか自分が燃えている。逃げなきゃならない〟というところまでが、最初の着想でした。逃亡者モノはエンタメとして人気があるジャンルですし、前作の『六人の嘘つきな大学生』がほぼ密室の会話劇だったので、次は主人公を縦横無尽に移動させたかったのかもしれません。今はだいぶゆるくなってきましたけれども、コロナ禍で〝外に出たら悪〟みたいな世間の空気があったじゃないですか。これは物語の舞台をコロナ禍にしなかった理由でもあるんですが、主人公がノーマスクで外を走り回っている姿に対して、読者の方はちょっとだけ自由を感じるんじゃないか。まあ、主人公が陥っている状況は一切うらやましくないんですけどね(笑)」

世代間による対立は炎上の燃料にもなる

 大学四年生の住吉初羽馬がスマホを凝視している場面から、物語は幕を開ける。若い女性の死体と思われる画像に短いコメントを付けた、「たいすけ@taisuke0701」という見知らぬアカウントによるツイートは、いたずらとは思えないものだった。吟味のすえにツイッターのリツイートボタンを押すと、瞬時に反響があった。〈自分が開いた店に大行列ができたような自己肯定感が胸を震わせる〉。

「ネットに対して冷笑的な人でさえ、〝これは本物だ〟と前のめりにならざるを得ない案件にしようと思いました。まだ二十六リツイートだし、ここで俺が反応すればこの案件のファーストペンギンになるかもしれない、早くやらなきゃ出し抜かれちゃう……という謎の焦りを、読者にも一緒に体験してもらいたかった」

 ツイートはまたたく間に一一万五千リツイートを記録し炎上状態となり、ネットに棲息する特定班が「たいすけ@taisuke0701」の正体を暴きにかかる。そのアカウントは十年前に開設されており、過去のツイートがヒントとなった。大手ハウスメーカーの支社営業部長、山縣泰介だ。無数のツイートを鏤めて表現された炎上の推移は、迫真性に満ちている。

「炎上の事例を山ほど日常で見てきていますから、どんなふうに燃え広がっていくのかという様子はスッと書けました(笑)。主人公を五十四歳の男性にした理由は、ネット適性が高い若者たちとの間の世代間対立もテーマにできると思ったからです。〝上の世代が起こした面倒が、下の世代に降りかかっている〟という被害者意識って、炎上の燃料としてよく使われるんです」

 炎上確定後、語り手は初羽馬から山縣泰介本人へと代わる。泰介はそもそもツイッターの仕組みすら知らなかったが、アカウントの持ち主であると周囲に疑われ、公園で若い女性の死体が発見されてからは殺人犯だと断定されてしまう。そして──逃げることを選ぶ。

 物語はその後、複数の語り手をバトンタッチする群像劇形式で進んでいく。

「警察官を登場させたのはこの作品が初めてでした。主人公は逃げなきゃいけないけれど、警察は追わなきゃいけない、どっちもバカじゃいけない。主人公の側が一手を打った後に、将棋盤の反対側に回って警察の側から最善の一手を探る。勝ってもいけないし負けてもいけないという緊張感を終盤まで維持できるよう、シミュレーションを繰り返しました」

 この徹底的なシミュレーション作業は、著者の十八番だ。

「プロットを考えに考えて、プロット自体が原稿用紙百枚ぐらいになってから書き始めるタイプなんです。そこで題材を噛み尽くしているから、いざ書くとなるとほとんど味を感じない(笑)。ただ、本当に無味だと書き続けるのが厳しいので、ちょっとでも味がするところを探しながら書いていく。そうすると、初読の人にとっては結構味がする状態になっているようなんです」

あらゆる世代に共通する「自分は悪くない」思考

 真犯人は誰だ? なぜ山縣泰介を狙ったのか? 著者らしいミステリー的な仕掛けも盛り込んだ物語には、燃やす側と炎上する側、逃げる側と追いかける側……さまざまな心情が顔を出す。中でも印象的なのが、主人公が長年連れ添ってきた妻・芙由子の心情だ。夫が殺人を犯した可能性を警察に突きつけられた際、揺らいでしまう。

「例えば自分の大親友が痴漢で捕まった時、〝こいつは絶対にやってないです!〟と自信を持って言えるかというと、意外と難しいのかもしれないと思うんです。人間、何を秘めているかわからないじゃないですか。その人についてよく知っている方が、そういう想像が働きやすいんじゃないか。逆にその人のことをまったく知らない方が、一元的なレッテルを貼れるというか、安易な結論に飛びつけると思うんです」

 老若男女さまざまな人々が登場する群像劇にしたことで、あらゆる世代に共通する心情を炙り出すことにも成功している。

「全世代の登場人物が何かしらのかたちで〝自分は悪くない〟と言っているんです。外の集団に原因を帰結させて、自分以外の誰かがこの世界の足を引っ張っているという言い訳をしたがる風潮は、今の世の中を見ているとものすごく感じます。誰々が悪い、そこから敷衍して今の社会のこういうところが悪い、と指摘することに意義がないわけではない。でも、それを自分が成長しない言い訳に使うのは違うんじゃないか」

 人間は、とかく言い訳をしたがる生き物だ。自分が悪かった、間違っていたという事実に直面しても、簡単には正せない。作家自身、そのことを自覚している。

「僕、この間まで喫茶店で電話しちゃいけないって知らなかったんですよ。電話を滅多にしないので、電話のルールというかマナーを意識することが今までなかったんです。ところがある時、喫茶店で仕事中に電話がかかってきて、珍しいこともあるもんだと思いつつ出たんですね。そうしたら店員さんがやって来て、〝電話は外でしていただけますか?〟と言われた瞬間、ムッとしちゃったんですよ。〝いや、横のおばちゃんは大声でしゃべってるし、こっちは小声でしゃべってるしマスクもしてるし……〟といろんな理屈がブワーッと脳内で紐付いていったんです」

 まさに「自分は悪くない」状態だ。

「後で猛烈に反省しました。ルールの是非については議論の余地があります。その場ではダメだとされているルールを犯してしまった僕が一〇〇%悪いんです。でも、人はいかに感情本位でしか動けないか。相手が不快に感じている原因を認めず、自分に非がないかのような理屈を後付けしていくというのは、人間の本能かもしれません。そこからどうやって抜け出すかは、みんなで取り組んでいくべきテーマだと思うんです」

 そのテーマは、『俺ではない炎上』の後半部に練り込まれている。ネット炎上という現代的な題材を取り扱った本作は、人間の本能の部分、感情と論理の普遍的な関係性にフォーカスを当てているのだ。だからこそ、「老若男女全ての層」を対象とする作品となった。

「世の中がこんなふうにギスギスしていることに対して〝自分は悪くない〟とするのではなく、〝自分にも原因がある〟とみんながほんの少しずつ考えることで、いい方向に進んでいくんじゃないでしょうか。その一助に、この小説がなれたらいいなという野望はあります。究極の目的としては、社会貢献がしたい。自分が小説を書く意味は、きっとそこにあるんじゃないかと思うんです」


俺ではない炎上

双葉社

外回り中の山縣泰介のもとに、職場から緊急の電話が入った。「とにかくすぐ戻れ」。どうやら泰介が「女子大生殺害犯」であるとされて、ネットに素性が晒されているらしい。当該アカウントはツイッターで犯行を自慢していたようで、巧妙になりすましている。会社も家族も言い分を信じてくれないなか、泰介は必死の逃亡を続ける。


浅倉秋成(あさくら・あきなり)
1989年生まれ。2012年に『ノワール・レヴナント』で第13回講談社 BOX 新人賞 Powers を受賞し、デビュー。21年に刊行した『六人の嘘つきな大学生』が山田風太郎賞候補、本屋大賞ノミネート、吉川英治文学新人賞候補となるなど話題に。その他、『フラッガーの方程式』『失恋の準備をお願いします』『九度目の十八歳を迎えた君と』など。

(文・取材/吉田大助 写真提供/藤岡雅樹)
〈「STORY BOX」2022年7月号掲載〉

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