あさのあつこさん『末ながく、お幸せに』

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母にも娘はわからない

著者近影(写真)
あさのあつこさん

イントロ

シリーズ累計一〇〇〇万部突破の青春野球小説『バッテリー』を始め、 思春期の子供達を瑞々しく描き出す作風で知られるあさのあつこが、 最新作『末ながく、お幸せに』で葛藤を抱える大人達の内面に迫った。

 本を開くと目に飛び込んでくるのは、九江泰樹と瀬戸田萌恵という二人の名前が記された結婚式の招待状だ。「わたしたちが、わたしたちの新たな旅立ちを祝っていただきたいと思う方々だけをご招待した、ささやかな宴です」。本作は、新郎新婦と深い繋がりのある出席者八人を語り手に、連作短編形式で綴られていく・結婚式小説・だ。

「編集者の方から結婚というテーマはいかがですか、とご提案をいただいたんです。たまたま娘が結婚式を挙げた直後で、私にとって生々しい記憶が残っていたんですよ。結婚式って、人がいっぱい集うじゃないですか。でも、高校時代の友達は幼い頃の娘の様子を知らないし、会社の上司の方は、学生時代の娘のことをまったく知らない。娘の人生の一部で濃く交わった人たちが集まって、娘に関する思い出をそれぞれに語る。それをひとつひとつ聞いていくことで出てくる、人としての輪郭ってあるなぁと思ったんです。そして、それを聞いている母親は、赤ちゃんの頃から娘をよく知っているはずなのに・えっ!?・と驚いている(笑)。この面白さを、小説で書いてみたいなと思いました」

「第一話 新婦友人 三杉愛弥」では、高校時代の親友がスピーチに立ち、手縫いのウェディングドレスを巡るエピソードから、新婦の思いやりに満ちた性格が語られる。「第二話 新婦元上司 橋辺洋司」は、左遷され、元上司となった自分にわざわざ招待状を手渡しにきてくれた新婦への感謝の気持ちを胸に、乾杯の音頭を取る。一話ごとに語り手が変わるが、新郎新婦が語ることはない。

「絶対に書かないと決めていたわけではなかったんですが、新郎新婦二人の視点は採用しませんでした。萌恵は優しくてしっかりしていて思いやりがある、そういう一面を持ちながらも、実は非常に意固地であったりとか、あるいは暗い部分を自分の中に抱えていて、それを自分でも消化しきれずに悶々としていたりする。一人の人間の多様性を、本人に視点を取って内側から書くのではなく、外側から小さなピンスポットをいくつも当てていくことで表現することが、結婚式という題材を選んだこの作品にはふさわしかったのかなと思います」

 

「おめでとう」の
裏にある想い描く

 

 本作の醍醐味は、スピーチで実際に発された言葉だけではなく、作中の表現を借りれば「心の裡」にある言葉も丁寧に掬い取っていくことだ。

「結婚式のスピーチってわりと当たり障りがないというか、とてもいい人です、こんなに素敵なエピソードがあります、で終わっちゃうことも多いじゃないですか。でも、その言葉の裏にはきっといろいろな想いがあるはず。そこを探って表現するのって、小説だからできることではないでしょうか」

 そうした特色が強く出た一編は、「第四話 新婦従兄 佐々木慶介」だ。農業を営む慶介は、妻を失い一人娘と二人暮らしをしている。妻の秘密をその死後に知ったことで心に傷を負っているが、萌恵にスピーチを頼まれたことにより、自身の結婚について向き合いはじめる。スピーチのマイクを通して出た言葉は「その、おめでとうございます。あの、ほんとに、よかったです」だったが、心の中ではさらに深い想いを抱いていた。「相手に幸せにしてもらうのではなく、相手を幸せにするのではなく、自分の幸せを自分で作り上げる。それができる者同士が結びあうこと。本物の結婚とはそういうものなのだろう」。萌恵に向かって「本物の結婚をして、本物の夫婦になれる」と力強く背中を押している。

「慶介が語った・本物の結婚・についての言葉は、私にとっても理想ですね。現実にはできていない、という意味でもあります(笑)。でも、こうありたい、という理想を持つことはとても大切なことだと思います。そうしないと、よその誰かが提示した幸せのかたちに巻き込まれてしまう」

 慶介に限らず、結婚式に出席した登場人物達にはみな、かすかな変化が生じている。「第五話 新郎友人 伊藤真澄」が象徴的だ。新郎がヤンチャしていた頃の友人である真澄には、お祝いの場には出づらい理由があった。過ちを犯してしまい、社会からは距離を置いて生きていこうとしていたのだ。

「もともと真澄は欠席しようと思っていたし、ましてやスピーチなんかと思っていたのですが、結婚式に出て自分なりにたどたどしく新郎との思い出を語ることによって、自分自身と向き合うことになったんですよね。あの場でスピーチをしたおかげで、自分の内側に閉じ込めていた思いをやっと、外に出すことができたんです」

 

避けてきた
親子の問題

 

 本誌での連載時は、各短編がはっきり独立しており、連作としての繋がりは弱かった。「あくまでも花嫁である萌恵を主人公にした、彼女の物語というつもりで全体を考え直してみてほしい」という編集者の意見を受け、単行本化にあたり大幅な加筆修正を施したのだ。その際、萌恵には母親が二人いる、という設定がキーポイントとなった。

「生みの親なのに伯母としてふるまう瑛子と、三歳から萌恵を引き取って育ててきた瑛子の妹、良美の視点から、萌恵という女性を多角的に語ってもらおうと思いました。一方で、他の登場人物達にも各々にとっての親と子の問題を・透かし彫り・のように語ってもらうことにしたんです。初めからほぼ書き直すつもりで原稿と向き合った結果、時間がかかってしまいましたね。連載を終えてから本が出るまでに、六年も経ってしまいました」

 これまでの作品において、親と子の関係はできるだけ描写を避けてきたと言う。

「私自身が親との関係をちゃんと清算してないというところも大きいと思うんです。小説の中でその関係を出すとズルズルッと深みに引き込まれてしまう。登場人物から親に対する恨みつらみが溢れ出してきて、作品を冷静にコントロールできなくなってしまうんです」

 

縛るのではなく
解き放つ関係に

 

 しかも今回は、親子関係の中でもひときわ繊細な、「母と娘」を描かなければならなかったのだ。

「私は息子も二人いるんですが、母と息子の関係は、相手は異性だしわからない部分があってもしょうがないよねと、こちらもある程度慎重になるんです。でも、娘相手だと意外と乱暴に、わかったような気になるんですよね。・あなたの悩みはお母さんも経験したことあるよ、こうすればあなたは幸せになれるよ・って指示を出してしまいがちで、娘からすればそれはすごくしんどい」

 母と娘は一体どのようにすれば幸せな関係を結ぶことができるのか? ひとつの可能性が、最終話に当たる「第八話 新婦母 瀬戸田良美」で示されている。

 萌恵が新たな家庭を築いていく、始まりの一歩を目の当たりにすることで、母は娘への視線を変化させる。

「母と娘には切っても切れない絆があるけれども、娘とはいえ他人である以上、わかった気になってはいけないしどうあがいたってわからない存在なんだと認識する。そのことから、相手を縛るような関係ではなく、相手を解き放つような関係が始まるかもしれないなと思うんです」

 スタートラインに立ったのは、新郎新婦だけではないのだ。

「他の登場人物達も、今いる場所から一歩前に出るきっかけが得られたんじゃないか、と感じていただけたら嬉しいですね。自分がどう生きてきたか、あるいは、どう生きていきたいか。結婚式って、本気で相手を祝う気持ちがあればあるほど、自分というものの重みを見つめ直すチャンスだと思うんですよ。その重みを知っているかどうかが、のちの人生を大きく変えてくれるのではないでしょうか」

著者名(読みがな付き)
あさのあつこ

著者プロフィール

1954年岡山県生まれ。小学校講師を経て、91年『ほたる館物語』でデビュー。97年『バッテリー』で第35回野間児童文芸賞、99年『バッテリー・』で第39回日本児童文学者協会賞、2005年『バッテリー』全6巻で第54回小学館児童出版文化賞を受賞。「バッテリー」シリーズは累計発行部数1000万部を超える大ヒットに。近著に『薫風ただなか』『花を呑む』など。

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