【著者インタビュー】高橋秀実『おやじはニーチェ 認知症の父と過ごした436日』/小林秀雄賞作家が認知症の父の言動に日々目を凝らし、物事を一から考える

大動脈解離で急逝した母の命日、18年12月8日から、当時87歳で取り残された父の命日、20年2月16日まで。認知症の父の言動を、著者ならではの先入観とは無縁の切り口で綴った介護の記録。

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結局、おやじはおやじ――変わっていく認知症の父に戸惑いながらも寄り添った小林秀雄賞作家が綴る介護の記録

おやじはニーチェ 認知症の父と過ごした436日

新潮社 1815円
装丁/新潮社装幀室 装画/ながしまひろみ

高橋秀実

●たかはし・ひでみね 1961年横浜市生まれ。東京外国語大学モンゴル語学科卒。テレビ制作会社を経てノンフィクション作家となり、92年『TOKYO外国人裁判』を刊行。2011年『ご先祖様はどちら様』で第10回小林秀雄賞、13年『「弱くても勝てます」開成高校野球部のセオリー』で第23回ミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。著書は他に『からくり民主主義』『趣味は何ですか?』『損したくないニッポン人』『やせれば美人』『定年入門』『道徳教室』等。180㌢、85㌔、O型。

正常な認知が単なる約束事であるならば認知症的な状況こそがノンフィクション

 昨年映画化された『はい、泳げません』や『弱くても勝てます』等々、高橋秀実作品の魅力はその唯一無二な切り口と、先入観の類と無縁でいられる、飄々恬淡ひようひようてんたんとした姿勢にあると思う。
 その作家性は本書『おやじはニーチェ』でも発揮され、大動脈解離で急逝した母の命日、18年12月8日から、当時87歳で取り残された父の命日、20年2月16日まで、父の言動に日々目を凝らした著者の物事を一から考える姿勢が印象的だ。
 それこそ「認知症」とは記憶障害や見当識障害等の症状群、、、を意味し、〈病名ではない〉という。だとすれば〈そもそも、どう認知することを「正常な認知」というのだろう〉と、そもそも、、、、に拘るのが高橋流で、ひいては認知や愛や人間存在の謎へと、古今東西の哲学者の言葉を携えた著者の思索はとめどなく広がっていく。

「そもそも認知症ってよくわからないなと思ったのは、要介護認定の調査員の方がテストにいらした時です。
『今、季節は何ですか?』と訊かれた親父はすぐさま『施設?』と私を振り返り、私は私で『あれ、今、いつだっけ?』と妻の方を見た。これは〈取り繕い反応〉と同様、認知症の確定要素とされる〈頭部振り返り〉という現象で、となると私の認知も相当に怪しい(笑)。
 しかも『じゃあ春夏秋冬だと?』と訊かれると、親父は〈それは別にどうってことないです〉と答えた。確かに通常なら『冬』や『春』と答えるのが正解。でも季節に対するスタンスを問うなら、それも一理あるなと。
 あと親父は『100引く7は?』という質問でも〈じかに引いちゃうのか?〉と訊いたりして、これはもしや哲学的な問いかけなのかと、その一理、、を追求してみたくなったのが発端です」
 ちなみに全てが母任せで、自立していない父のようなケースは、海外では〈重大な「認知欠損」〉と評価されるらしい。つまり〈母の不在〉が顕在化させた認知症とも言え、アルツハイマー型やレビー小体型の他に〈家父長制型認知症〉もあるのではないかと、高橋氏は書く。
「実は認知症の確定診断は解剖して初めて可能らしく、親父は断然、母親依存型の生活習慣病だろうなと。
 親父は元々〈ボケているのかとぼけているのか〉よくわからない認知症的な行動様式の人間で、『これは何?』と訊いても『へえ』とか『ほお』とか、まるで埒が明かないんです。でも待てよ、確かアリストテレスが『これは何か』という問題は難しいと言っていたなあと思い出しまして。
 私も脱ぎ捨てた靴下を持った妻から『これは何?』とよく訊かれますけど、『それは靴下です』なんて言ったら即アウト。『どうもすみません』と謝るのが、この場合は正解なんですね(笑)。つまり『これは何か』のこれの名前を答えることが正解とされているだけ、、、、、、、、、、で、答えは無限にある。
 正常な認知というのも実は単なる約束事にすぎないとすれば、正常な認知とはフィクション。認知症的な状況こそノンフィクションと言えます。この本も認知症のノンフィクションではなく、認知症自体がノンフィクション、、、、、、、、、、、、、、なんです」

哲学の言葉がすっと腑に落ちた

 当初こそ父の言動に振り回された著者も、〈メモしてないの?〉という妻の指摘以来、ノートを常に携帯。発言を逐一書き取ることで、自身も楽になったという。
「面と向かうと何かイラッと来るんですよね、うちの親父は。でもメモを取りながらだと目を合わせなくて済むし、親父の言いたいことや一理についても一呼吸おいて吟味できたんです。
 例えば〈俺に言わせりゃ〉というのが親父の口癖で、こちらの話を一度否定しないと話が出来ないところがある。『確かに寒いよ。でも俺に言わせりゃ寒い』みたいに(笑)。なんでいちいち否定するのかと考えていたら、『あらゆる規定は否定である』という哲学の言葉が、すっと腑に落ちたんです」
 認知症という呼称は04年、厚生労働省が作成した〈行政用語〉で、古代では痴呆は医学対象ですらなく、契約や相続に関わる〈社会的・法的問題〉だったとか。
「母が死んで私がまずしたのもご近所への挨拶回りで、『父が認知症で』と言うと皆さん、『わかるわ』『見ててあげるから』って、一言でご理解いただけたくらい、社会的に通用する言葉なんです。しかしウチで親父と2人きりの時は認知症も何もなく、全てを認知症のせいにしすぎると、父は昔からこうだという連続性を見失いがち。私も一時は哲学や思想方面に暴走してしまいまして。〈『存在』とか言ってる場合じゃないでしょ〉という妻の喝のおかげで、目が覚めたわけです(笑)」
 患者には優しく、『大丈夫』と声をかけるといった介護上の大原則も、夫人は〈大丈夫ではありません〉と一蹴。時には「ご自由に」と突き放し、過剰にかまわないことで、母の不在を思い知らせるなど、生活者ならではの確かな目が素敵だ。
「親父は戦争の影響で小学校もやめちゃっていたから、知識や教養で武装しない分、力関係には敏感なんですよ。表面的な優しさや甘言より生きるために真に頼りになる相手を動物的に嗅ぎ分けるタイプで、実はニーチェもそうだったんですよね。そうか親父はニーチェだったのか、いやソクラテスかサルトルかっていうくらい、哲学とは親父のことであり、認知症のことでした」
 学生時代は嫌悪すらしたというヘーゲルやデカルトやハイデガーがすんなり理解できたのも、父を知りたいという思いの強さゆえか。確かに認知症や数々のお約束事を超えた関係性の中に、この父と息子はいる。

●構成/橋本紀子
●撮影/国府田利光

(週刊ポスト 2023年2.24号より)

初出:P+D MAGAZINE(2023/02/18)

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