源流の人 第36回 ◇ 諸橋仁智(弁護士)
「元ヤクザ」弁護士だからこそ見えること、言えること
地方の公立校の優秀な高校生が、予備校に通ってから雀荘に入りびたり、すぐにドロップアウトして反社会的勢力の一員に。しかも、覚せい剤中毒に陥り、渋谷駅前で騒ぎを起こし「組」を破門され、精神科病院へ強制入院、そして「塀」の中へ。
ほんのちょっとしたボタンの掛け違いで、かくも容易に、急速に、暗闇に落とされてしまうのか。けれども、彼はそこから一念発起し、司法試験に合格し、現在は弁護士として、人生を歩み直している。著書には、そんな諸橋にしか発信できないメッセージが、赤裸々で率直な筆致で綴られている。
東京・浅草エリアにほど近い事務所で迎えてくれた諸橋は、こう語った。
「被告人質問で、司法試験を目指すと宣言した時、裁判官が『君ならできると思いますよ。頑張ってください』と言ってくれました。その一言が、ずっと僕の支えになった。嬉しかった」
大事なのは「共感する」こと
2023年4月、諸橋は独立事務所を開業した。きっかけの一つは、その半年前に YouTube 番組「丸山ゴンザレスの裏社会ジャーニー」に出演し、元・ヤクザ、元・覚せい剤中毒という自身の経歴を告白したことだった。自らの半生を明かし、同じような境遇に苦しむ人たちの励みになれば。その一心だった。
「『裏社会ジャーニー』を観ました、っていう人からの依頼がたくさん来ます。一番多いのは、親御さんから、『うちの息子に面会してきてほしい』という依頼です。薬物や窃盗、何回も何回も、刑務所に行ったのに、またやってしまう。『面会して先生とお話しすれば、息子も何か思うところがあるんじゃないか』。そういう依頼は多いですね」
自らの経歴を明かしたうえで、諸橋が面会に行く。すると、明らかに、アクリル板の向こうの表情が変わる。「こんな先生、初めてだ」「気持ちがわかってくれる先生だ」。そんな反応を得るという。
「でもそれで彼らがやり直してくれるかどうかはわかりません。ただ、彼らの反応としては、『ようやくわかってくれる先生が来て、しかも表面的な部分じゃなく、なぜ、そっちに走っちゃうのか、本音の、根っこの部分にアクセスして聞いてくれた』となります」
振り込め詐欺の「闇バイト」の逮捕者に面会する時、諸橋は常に心掛けていることがある。それは、まずは「共感する」ということだ。彼は言う。
「『やっちゃったね、しょうがないよね』って。振り込め詐欺に『共感する』だなんて、ちょっとどうかと思うんですけど。『でも、僕はわかるよ』と。お金を取りに行っちゃって、捕まっちゃって、『やっちゃいけないんだけど、わかるよ』って言います。そうすると、今までの他の弁護士にはない態度だということで、心を開いてくれることが多いです」
振り込め詐欺という犯罪が、もし、自分の若い頃にあれば、きっと自分も手を染めていただろう。諸橋は敢えてそう告げる。そして「やったことは酷いことだし、反省するべきだけど、僕はその気持ちがわかるよ」と伝える。そのうえで、必ず諸橋はこうも伝える。
「ここからだね。人生は終わりじゃない。まだまだ、始まってもいないよ」
彼らの多くは、表面上は「犯罪だと気づかずにやってしまった」と供述するという。でも、諸橋は知っている。
「犯罪だとわかっていたはず」
悪いことだとはわかっている。けれど、どうしても飛び込んでしまうのだ。「親に怒られた」「恋人に振られた」──そんな理由から自暴自棄になった時、つい、親や周りの人たちの嫌がることをしたくなってしまう。それが、諸橋にはわかる。そんな時、「悪」にアクセスしてしまうことも、諸橋にはわかる。もちろん、アクセスしないことが世の常だ。だけれども、ついカッとなった時、リスクがわかっているのにもかかわらず、飛び込んでしまう。そんな所業も、諸橋にはわかる。
「僕はそういう経験をしてきたから、それがわかる。最も重要なことは、『わかってあげる、共感してあげる』ことだと思っています」
被疑者との面会の後、実際に「あの先生にもう1回来てもらいたい」と懇願され、弁護側として従事したケースもあった。
「情状証人になったこともありました。彼の場合は、これから刑務所に行くので、『中で勉強して、できれば司法試験を目指したい』と言ってくれました。本気ならばきちんとサポートしたい。出てきたら、とりあえず僕の運転手とかからになるけど、そういうのでよければ雇います、という感じですね」
いっぽう、塀の中には「いない」人たちから、諸橋のもとに相談が来ることも多いのではないか。つまり、依存症の人たちだ。そう問うと、諸橋は一瞬、呼吸を整えてから、こう答えた。
「『やめられない』っていう相談……、あります。たしかに、届きます」
たとえば、覚せい剤。諸橋が使用をやめた頃よりも、今の社会のほうがはるかに厳しい状況にあるという。それは、スマホでいとも簡単に購入できてしまう、という点だという。諸橋は言う。
「僕の時は、売人と連絡を取って、待ち合わせして、受け渡しをする、だったんです。でも今の子たちは、スマホ1つ(の操作)で届いてしまう。覚せい剤乱用への入り口を抱えて生きているようなもんですよね。スマホを持たないで人生を送るのは無理だから、僕の頃とはかなりレベルが違うと思います」
ドラッグ、アルコール、ギャンブル。
さまざまな依存症を抱える人々からのSOSが、諸橋のもとに来る。
「自分の気持ちの強さだけでやめるのは無理だから、それをまずあきらめなよ、と言います。気持ちを強く持てばやめられるって、本人も、周りもそう思っている。気持ちの強さと戦おうとするのは大きな間違いだし、そう思うと、やっちゃった時に、自分の罪悪感で、さらに突っ走ってしまう。どうやって、走らないように周りの環境を持っていくか、だよと」
たとえば、アルコール依存症の人に対しては、コンビニ店内の歩き方からアドバイスしていく。とにかくアルコールの陳列がある冷蔵庫が目に入らないようにする。近づかない。「今日だけ、まっ、いいか」などと理由をつけて飲んでしまうことのないよう、スイッチが入らないように、習慣づけることだ、と諸橋は語る。
博打も、ドラッグも酒も、ひとりでいる時に手を出してしまいがち。諸橋の考えは、「人間関係で寂しくなければ、意外とやらない」ということだという。
「寂しいと、やってしまうんです。だから、なるべく寂しくない状態にしていく。悩みを打ち明けられる人をつくって、頑張りな、と言ってくれる関係を構築するべきだよって言っています」
チャレンジを妨害する同調圧力の怖さ
「ヤクザへの道は、すごくスムーズでした」
18歳から20歳の頃を振り返り、諸橋はそう語る。福島県いわき市に生まれ、地元の有名公立高校を卒業したものの、大学受験に失敗。諸橋は上京する。都内の予備校に通うあたりから、みるみる周囲の人間関係が変わってしまった。彼は振り返る。
「最初は、ドラッグをやる人間など、誰ひとりいなかった。それが、1割、2割……と増えていき、気づいたら、自分の周りの半分以上が薬物に手を染めている人ばかり。そんな人間たちに囲まれていると、会話でドラッグの話が出てくるのが当然になっていくんです。もう、そうすると、ドラッグをやらない人たちは近づいてこなくなる」
そしてとうとう、諸橋は、ドラッグを「売る側の人間」になってしまった。
「ドラッグを売る人間が周囲の過半数になって、気づいたら、ヤクザばかりでした。もうそうなると、それが普通の感覚になってしまったんですね。人間関係の構成が変容してしまいました。あっという間に」
その日々については、著書に詳しく記されているので、ここでは省く。ドラッグを使用し東京・渋谷のスクランブル交差点で暴れているところを、警察に捕まり、措置入院。そして逮捕。当時を過ごした渋谷の街を、弁護士になってから久しぶりに訪れた諸橋は、深い感慨を抱いた。
「それは、渋谷警察署に接見に行った時のことでした。東京の弁護士になってすぐ、国選弁護人として面会に呼ばれて行ったんです。昔、逮捕された時に、母が面会に来てくれたことがあった。受付で『福島県いわき市から来た』って母が住所を書いたら、受付のおまわりさんが『スーパーひたちで来たんですね。僕もいわき出身なんですよ』って。母は驚いちゃって。きっと、母をなごませるために言ってくれたんでしょう。すごく記憶に残っていました」
弁護士になった諸橋が、渋谷警察署の受付で、弁護士として自分の名前を書いた。「ついに、この地に来たか」。諸橋は、胸がいっぱいになった。
面会部屋に入ると、以前は「あっち側」から見えていた景色が、「こっち側」になった。地続きの、同じ空間ではあるが、アクリル板を挟んだ「あっち側」と「こっち側」との間にある谷は、深く暗い。面会を終え、再開発で変貌した渋谷の街を歩きながら、自らが年月を経て社会に復帰できたことを、諸橋は痛感したという。
ただ、この国では、諸橋のように、セカンドスタートを切れる人間は稀だ。社会の目は厳しい。諸橋の著書で驚いたのは、「銀行口座ひとつ、満足に開設できない」という状況だ。そのうえで、として、諸橋はこう訴える。
「一番問題だと思うのは、ネット言論も含め『99%無理だ』『絶対無理だ』という一方向への同調圧力です。この同調圧力が強すぎます。チャレンジを応援しようという雰囲気がない。『バカなことを言うのはやめろよ』と、身近な人が言うんです。『司法試験なんてバカなこと言わずに、働けよ』って。それは別に僕の足を引っ張ろうと思っているのではなく、良かれと思って言う。現実を見ろよ、みたいな風潮がすごく強いんです」
インターネット上でそうした意見が目に飛び込んできてしまうと余計に、「そんなの無理だ」という方向に流されてしまう。社会に復帰しづらい今の風潮は、社会の一人ひとりの考え方や発言が影響している。そう諸橋は感じている。同調圧力はネット言論によって増幅され、目立とうものなら、再チャレンジできない。頑張ること自体が「恥ずかしい」といった風潮が強まっている。
「ヤクザがカタギになるなんて無理」
「覚せい剤なんかやめられるわけない」
ブログで司法試験の勉強報告をしていた諸橋自身、そんな声をネット上で浴びせられることがあった。ただ、いっぽうで、福島の母親は、ずっと息子のことを励まし続けてくれた。
「それは、母は、僕が人とは違うんだって知っているからです。子どもの時から何かちょっと違う。とんでもないことするってわかっているから、だから、『可能性はある』って思ってくれていたんじゃないですか。ヤクザから司法試験なんて、極端だからこそ、僕ならやりかねないって思ってくれたと思う」
「シャブ中」でヤクザもクビになり、精神科の病棟では死のうと考えていた。そんな日々から、「司法試験を受ける」という目標を持つようになった。母親は、それだけでも、とても喜んでくれたのだった。
運命の1冊との出会い
「塀」の中にいた諸橋が手に取って、司法試験を受けることを決めた1冊がある。
大平光代による自伝『だから、あなたも生きぬいて』(講談社、2000年刊)だ。壮絶ないじめを受けた過去から、非行に走り、そこから立ち直って司法試験を受け、弁護士になった人物だ。諸橋は振り返る。
「大平先生のようになりたい、って思って、僕も本を書くことにしました。『中』にいるような人に、『俺も!』って思ってもらいたい。そんな目標を思い描いていたんです」
大平自身には、諸橋が弁護士になってから一度、会いに行ったという。大平は、自著が諸橋のゆく道を照らした契機になったことを喜びつつも、いっぽうで、「ヤクザ」の過去は口外しない方が良い、との助言を諸橋に与えたという。でも、諸橋は、過去を公にすることに踏み切った。ひとえに、大平がしてくれたように、自身も、誰かのゆく道を照らしたかったからだ。弁護士になってから8年が経過していた。
「いつか、言いたいなと思っていました。むしろ、8年もよく黙っていたなと思います」
諸橋は自分自身のことを、「リスクを平気で負担して行動してしまう特質」があると分析しているという。それは、ありえないほど自己肯定感が強いからこそ、そうなってしまうのか。それとも逆に、自分を大事にしないからこそ、飛び込めてしまうのか。そう聞くと、彼は即座にこう答えた。
「自分を大事にしていないと思います。リスクを負った時のヒリヒリ感、大きなリスクを背負うことに魅力を覚える感じが強いと思う。僕が抱える問題はそこなんだろうなと思います。ただいっぽうで、いい言葉で言えば、チャレンジ精神が旺盛。でも家族ができて、歯止めができました。ひとりだった時は『自分が死ねばいいや』みたいな感じだった」
著書を読むと、「よく生きていたな」「よく死ななかったな」と感じる場面が多々ある。たとえば、薬漬けになったある日、諸橋が、屋上で飛び降りようとする人を説得していたつもりが、実は、その人から飛び降りないように説得されていたことがあったのだ。
「歯止め」となるのは、家族だけではない。自分の居場所、自分の所属するコミュニティをつくることだと諸橋は強調する。
「それぞれの生活で環境に合ったものを見つけてもらえれば、とは言いたい。自分の居場所ですよね。仕事がない、とは皆、言うけれど、これだけ人手不足の世の中では、確実に仕事はあるはずです。自分を認めてくれて、過去も丸ごと引き受けてくれて、わかり合って、声をかけてくれる居場所。社会から排除されたと感じるならば、依存症の人たちでつくる自助グループが全国にあります」
そうした人たちの集まりに参加することで、仲間をつくって、居場所をつくって、またやらないように、日々を重ねていく。自分の努力では勝てないことを認めている仲間。近づいただけでも駄目だってことをわかっている仲間──。
自分を偽らずに生きていくために
ひとたび覚せい剤に手を染め、そこから身を遠ざけた人の多くは、こう語る。
「もう、二度とやりません」
諸橋は、極めて強いメッセージを発信している。
「本当はまたやりたい気持ちはいつでもある」
でも、その気持ちをとどめて弁護士活動を続けている。そんな彼の姿が、依存症で苦しむ人々にとって、どれほど強いメッセージになっているだろう。諸橋はこう話す。
「そんなことを言って怖がられたり、心配されたりするわけだから、言わないでおこうと控えたい気持ちはある。でも自分が言わないと、たぶん、もっと皆、言いづらい環境じゃないですか。だから自分は絶対、先頭を切って言うべきだと思うから、言っています。『本当はね』って」
こんなことを言ったら、ほとんどの人からは怒られる。でも、これは、「やっていない人」には、わからない。諸橋はだからこそ、そういったところも理解してもらえる、自助コミュニティに身を置くべきだ、と訴えかける。また、自分が入っている地元の消防団や町会の人たちは、「そういう前提」で諸橋と付き合っているという。ハレモノに触るような雰囲気ではない、と彼は言う。
「自分を隠して人間関係をつくってしまうと、だんだん自分を偽って生きていくようになります。それがストレスになって、バーッて走ってしまう。そういうこともすべて打ち明けられるコミュニティがあれば、と思います。ただ、正解はわかりません。僕は結果としてそれをさせてもらっているだけです」
しかも、今の諸橋の立つ場所はゴールではなく、むしろスタート地点である。この立ち位置を、ずっと続けていかなければならない。過去から立ち直り、過去を打ち明け、社会的に認められるようになった立場の諸橋には、コミュニティを自ら開拓し、中に引き込めるなら引き込んでいく責務もあるだろう。「認めて、受け容れ合う」。皆と共有していけるような場所だ。彼は言う。
「僕は精神科に入院していたことも、もう本当、声高に言っています。皆、恥ずかしい人生のヒストリーみたいな感じに思っている。皆が隠すから、本当に病院に行くべき人が行けていない。精神科病院に入院して、僕は社会復帰している。何も恥ずかしくない。治療が必要ならば行くべきです。自分は今も薬を飲んでいますって言っています。社会的にも認知を広げて、同じような問題を抱える人に『恥ずかしくないよ』って言う立場だって思います」
著書が出てから、同業の弁護士の反響を多くもらったという。
「今まで長く弁護してきたけれど、『塀の中』にいる人と本当に共感し話ができたわけじゃなかった、本を読んでそれに気づかされたという声を多くいただきました。ドラッグに対し、どうして止められないのか、それから、不良になっていく過程がよくわかったとも言われます」
諸橋は言う。
「エリート街道で失敗を起こさずに来た人より、きっと話しやすい。法律相談に来る人って、人生に失敗している状況が多いじゃないですか。そういった時、僕だったら、親身になって聞けるんじゃないか、って」
諸橋と話していると、いわゆる「弁護士先生」と話している雰囲気が、まるでないことに驚く。いっぽう、「元ヤクザ」だというのも、あまり想像がつかない。「下町の兄貴」と喋っている感じだ。彼のキャラクターや性格、その物腰が、人を呼び、輪をつくり、受け容れられ、受け容れていくのだろう。
諸橋が、このような発信ができるように背中を押されたのは、ひとえに、自身が覚醒剤取締法違反の裁判の被告人質問で司法試験を目指すことを告げた時、彼に対してかけられた裁判官の言葉だった。
「君ならできると思いますよ。頑張ってください」
諸橋は言う。
「僕は本当に、裁判官のこの説諭(判決を言い渡した後に被告人にかける言葉)を聞いて、強いイメージで『やり直す』って意欲を持てました。裁判官にしてみれば、たくさんの裁判の一つに過ぎないかもしれません。けれども、当事者からすれば、裁判官から発される言葉って、一生抱えて生きていくぐらいの言葉だったりする。刑事裁判を受ける人は、それぐらいの気持ちで言葉を聞くべきだし、その後の人生で非常に強い支えになるはずです」
いま、諸橋のように、反社会的勢力から足を洗い、社会に復帰し、社会へ発信する人たちが増えている。
「僕の発信を見て、ヤクザをやめる人も出てくると思います。ヤクザを排除するだけじゃなく、ヤクザをやめた後、こういう人生を送っていますよ、って道を示すことで、彼らに決意を促すパワーになれたらと思います。ヤクザが不合理だっていうことと、やめてもやり直せるっていう道を両輪で示したい」
「立ち直ることをあきらめてはいけない」
インタビューの最後、このところ報道の続く「闇バイト」問題について、諸橋に問うてみた。高額な報酬と引きかえに、犯罪行為に「バイト」のように気軽に手を染めてしまう。「半グレ」などという言葉が世間に浸透してしまっている。白昼堂々と銀座の宝石店に強盗に入る姿などを見ていると、人生を台無しにしかねないのに、なぜ、こんなことに絡め取られてしまうのかと、疑問を抱く。
諸橋はこう語る。
「確実にネットの進化のせいだと思います。昔は、悪事に携わる人間と関われる人間は、一部しかいませんでした。若者の中でも不良で、さらに上の層でないと繋がれなかった。ところが今は、ネットで全部の層がまんべんなくアクセスできてしまう。そうすると、裏社会の誘いがあれば、すぐに行動できてしまうようになってしまった」
ネットが媒介し、アメーバのように「悪」の繋がりが広がっていく。「犯罪組織」というような、カッチリとしたものではなく、犯罪ごとに人間が集まっていく。あたかも映画「オーシャンズ11」のように。以前は、人間関係だけが唯一の手段だったが、インターネットが広く普及してからは、ヤクザが本来得意としていたフェイストゥフェイスのネットワークが不要になってしまった。諸橋はこう訴える。
「『半グレ』という集団は、『半分グレている』というよりはむしろ犯罪集団の進化バージョンで、ヤクザのような縛りがなく、自由に活動することができるようになりました。ヤクザのほとんどは、もう完全に凌駕され、利用されています。そういうテクノロジーを駆使した中で犯罪を行う彼らに、どう対処していくか。Google や Twitter(現在のX)といったプラットフォームで、情報を遮断できないものに関し、政府が関与し、撲滅していく。そういう犯罪を決して許さない。そうするしか思いつかないです」
インタビューの最後の最後、諸橋はこう切り出した。
「僕は絶対言うべきだと思いますから、言いますけど、……闇バイトをやったからって、人生は終わらないです。それだけは本当に、僕はわかっていますから。人生は終わらないです。彼らの人生は……。立ち直ることをあきらめてはいけない」
諸橋の目には光るものがあった。
諸橋仁智(もろはし・よしとも)
1976年、福島県いわき市生まれ。高校卒業後、予備校時代の友人に誘われて覚せい剤に手を出し、ヤクザの道へ進む。数年後に覚せい剤の深刻な中毒症状に襲われ強制入院、その後逮捕を経験。弁護士として再出発することを誓い、2013年に司法試験に合格。23年には初の著書『元ヤクザ弁護士 ヤクザのバッジを外して弁護士バッジを付けました』を刊行。弁護士としての業務のかたわら、自身の経験を活かした情報発信を各メディアで精力的に行う。