著者の窓 第49回 ◈ 森 バジル『探偵小石は恋しない』

恋愛嫌いな探偵の不倫調査というユニークな設定
──『探偵小石は恋しない』は『STORY BOX』に2024年から25年にかけて「探偵・小石の色恋推理」のタイトルで連載されていた作品です。恋愛に興味がない探偵が、色恋にまつわる謎を解決していく連作というアイデアは、どのように生まれたのですか?
連載開始にあたって、ふたつアイデアを用意していたんです。A案が自分にとっての本命で、もうひとつB案として「推理小説の名探偵に憧れているのに、不倫調査の依頼ばかりが来る探偵」というアイデアを持っていきました。当然A案が通るだろうと思っていたら、担当さんから「B案の方が面白い」と言われて驚きました(笑)。松本清張賞をいただいた『ノウイットオール あなただけが知っている』という作品は5つの短編からなる連作なんですが、その1話目の探偵もののテイストも好きだと言っていただいて、恋愛テーマを扱った探偵もの、というコンセプトがその際に決まりました。
──探偵事務所を営む小石は、ある事情から不倫などの色恋に関する調査が得意な探偵という設定です。
同じアイデアは、『ノウイットオール』の前に松本清張賞に応募した作品で扱ったことがあるんです。物語自体は全くの別物なんですが、選考委員の辻村深月さんがその部分に絡んだ一つのシーンを誉めてくださって、いつか形にしたいと思っていました。

──小石はミステリ小説好きで、フィクションのような派手な事件に憧れています。一方、小石のもとで働く調査員の蓮杖は、ミステリに興味がなく、恋愛ものの少女マンガが大好き。バディとして魅力的な二人のキャラクターはどのように生まれたのでしょうか。
不倫調査の依頼を受ける探偵が、まったく恋愛に興味がなかったら書きやすそうだなと。加えて、推理案件に憧れるミステリマニアという性格を与えました。蓮杖が恋愛ものに詳しいのは、対比の面白さを狙ったものです。自分もマニアというほどの量は読めていないですが、好きなミステリはたくさんあるので、小石には主に僕が好きな作品について語らせている感じです。
単なる不倫調査では終わらないストーリー
──物語は5章からなる連作形式。小石の事務所に次々と相談者が訪れて、色恋にまつわる調査依頼をしていく、というのが基本的な流れです。第一章の相談者は父の不倫調査をしてほしいとやってきた高校生の澪。しかし小石は、彼女の言動にある違和感を覚えて……。単なる不倫調査では終わらない、ひねりの利いたストーリーに翻弄されました。
各エピソード、必ず何かしらのひねりを入れて、読者の興味をそらさないような工夫をしています。普通のミステリだと殺人事件が起こって、解決してという部分で盛り上がりを作れますが、不倫調査はどうしても地味になりがちですから。色んな作家さんが創作の秘訣を明かした『ミステリーの書き方』という本があるんですが、そこで乙一さんや朱川湊人さんが、三幕構成なども踏まえて物語の真ん中部分で大きな変化を与える事件を入れたほうがいいと書かれています。そのアドバイスが頭に残っていて、意識的にそのようにしました。
──第二章では内縁の妻の行動に不審の念を抱く男性が、第三章ではアイドルの妻が脅迫を受けて困っている男性が、それぞれ小石に調査を依頼してきます。
第二章は〝分かりやすく変な依頼のされ方〟が発生する章なので、自分でも気に入っています。第三章はちょっと変わった誘拐もので、バリエーションとしてこういう話もいいんじゃないかと。前半の3つの章はある意味、後半の謎解きのための〝振り〟にもなっているんですが、振りの部分も面白くないといけない。以前、米澤穂信さんが「最後まで読めば面白いという作品があるけど、それは読者に甘えているとも言える」というようなことをおっしゃっていて、はっとしたことがあります。そうならないように、気をつけたつもりです。

──やや暴走しがちな小石と、冷静なつっこみ役である蓮杖。二人のユーモラスなかけ合いも読みどころですね。
楽しく読んでもらえるように、というのは意識しています。ライトな読み味で、それでいて最後まで読んだ人が「考えさせられる本だった」という感想を抱くような作品が理想です。小石や蓮杖の台詞については、普通の人ならこう返すだろう言葉を、あえて言わせないようにしています。そうすることでテンポや切れの良さを演出できたらいいなと。
偏見や思い込みがキーワードになっているミステリ
──ギャルな外見のバイト事務員・雛未や、柄の悪い服装の警察官・片矢、個性豊かな依頼人たちなど、メインの二人以外のキャラクターも生き生きと描かれています。
雛未や片矢はレギュラーキャラなんですが、そこまで登場シーンが多くないので、その中でも印象に残るような描き方をしていますね。といってもあまり外見的な特徴ばかり触れるのも抵抗があって。僕はライトノベルでデビューしているんですけど、ラノベではヒロインの容姿がどれだけ魅力的か、丁寧に描写するとこらからスタートする、みたいな印象があって。でも三人称の地の文で「可愛い」「綺麗だ」と描写するのは、主観と客観が入り混じっているようで違和感がありました。今回はあくまで客観的な事実を述べながら、キャラクターの魅力が伝わるような描き方をしているつもりです。
──なるほど。そういう偏らない姿勢は、作品全体の特徴でもありますよね。雛未は「あたし、偏見と決めつけがこの世でいちばん嫌いだから」と言いますが、恋愛に関するさまざまな偏見や決めつけが、ミステリ的な謎解きとともに、読者の眼前に突きつけられるという作りになっています。
こういう種類のトリック自体は、書くのはそこまで大変ではないんです。なのでせっかくやるからには、そのトリックを用いる必然性や意味があった方がいいだろうなと。世の中にはさまざまな偏見や決めつけがあって、そのことがミステリ的な盲点を作り上げている。曇りのない目を持った小石が真相を指摘することで、読者が「恋愛はこうでなければいけない」と無意識的に抱いていた偏見に気づけるようなものにできれば、という考えはありました。
──小石たちの調査と並行して、街では連続傷害事件が起こっています。その犯人は何者なのかという謎もストーリーのフックになっています。
大きな事件が裏で絡んでいるというのは、連載を開始する時点で決めていました。連載作品なので〝引き〟を強くしたいという狙いもありましたし。連続傷害事件と、小石たちの物語がどうリンクするのかは、ひとつの読みどころだと思います。

──さて第四章と第五章になると、物語が大きく展開します。第四章では小石の人生にも大きな関わりを持つ過去の事件が描かれ、第五章ではそれを受けてさまざまな疑問に解決が与えられます。
第四章は回想中心の重要なパートです。それに見合うだけの事件を描かなければいけないので、一番苦労しましたね。事件が起こって、探偵役が関係者に聞き込みをして、という本格ミステリ的な書き方をしているのですが、理屈っぽいミステリは読むのも書くのも得意ではないので、うまく書けるか不安でした。苦手なだけに、人物関係や部屋の位置関係など、できるだけ分かりやすく書こうと努力したつもりです。
──そして第四章のラスト2行で、衝撃的な事実が明らかに。まさかこんな仕掛けがあったとは。完全に騙されました。
ありがとうございます。仕掛けについては、当たり前ですけど全部分かったうえで書いているので、どこまで驚いてもらえるか、作者には想像するしかないんですよ。情報を提示する順序によって、驚きや面白さが変わってくるので、そのあたりは書くのに神経を使いましたね。
苦労もあった初めての連載作品
──この記事で詳しく触れるわけにはいきませんが、第四章と第五章は驚きの連続。キャラクター設定やエピソードが複雑に絡み合い、意外な真相に繋がっていく構成が鮮やかです。
全体的な構成はもちろん連載前に決めていたんですが、細かいところは書いているうちに浮かぶだろうと甘くみていたんです。他の作家さんたちがインタビューで「見切り発車でも何とかなりました」と答えているのを読んで、そんなものかと思っていたら、全然違って苦労しましたね(笑)。プロットはしっかり決めておくべきだと反省しました。
──初めての連載作品で、色々ご苦労もあったんですね。
体調は崩すし、締め切りには遅れるし、やっぱり連載をするなら事前準備がいるという学びを得ましたね(笑)。何とか完走できましたが、単行本化にあたって加筆修正が必要でした。特に四章と五章は一から書き直すくらいの気持ちで、主要人物の動機などを大幅に修正しています。
──結末を知ったうえで冒頭から読み直すと、作中の風景がまったく違って見えてきます。これは二度読みすべき作品だと思いました。
ミステリは必然的に、真相を知った状態で読むか否かで印象が変わることになりますが、それとは別に文章の密度を濃くしたいという思いもありました。冲方丁さんが著書で「読者が簡単に理解しきってしまうものにはせず、強度を保つようにしなければ」というようなことを書かれていたのが印象的で。そういう観点も頭にあったので、さまざまな味わい方ができる文章になっていると良いなと思います。
──物語の幕切れも素晴らしいですね。小石と蓮杖のバディものとして、最高の終わり方だと思います。
あのラストシーンは早い段階で決まっていました。都合のいい終わり方と受け止められないように、丁寧に描いたつもりです。

──森さんがミステリを書かれる際に、いつも大事にしていることは何ですか。
うーん、難しい質問ですが、謎解き以外の部分にも面白さを置くということでしょうか。僕は犯人当てにはあまり興味がなくて、それが作品のメインだと物足りなさを感じてしまいます。理想は犯人当ての要素もありつつ、それ以外の部分でも驚かせてくれる作品。夕木春央さんの『方舟』のようなミステリがひとつの理想型です。それと最近よく考えるのは、さまざまな当事者の存在です。本作とは関係ないですが、たとえば登場人物に重い過去を持たせたい、という目的だけで児童虐待被害者のような設定を付与するのってどうなんだろう、とか。気にしすぎるとフィクションが書けなくなってしまうんですが、考えられる限りは考えていきたいです。
──プルーフ(見本版)を読んだ書店員さんからすでに絶賛の声が聞こえてきています。9月18日の発売が楽しみですね。
自分は読者目線では楽しめないので、「楽しんでください」としか言えないのですが、それなりにやりきった感じはあります。すでに読んだ方からは第四章、第五章の展開を誉めていただくんですが、そこを強調しすぎると、これから読む方に身構えられてしまうので(笑)、できるだけ予備知識なしで手に取ってもらうのが理想です。こんなミステリもあるのかと思ってもらえたら幸いですし、普段あまりミステリを読まない人、しばらく読書から離れていた人にも、「ミステリって面白いんだな」と知っていただけると嬉しいです。博多が舞台のご当地ミステリの側面もあるので、そのあたりも楽しんでもらえたらと思います。
森 バジル(もり・ばじる)
1992年宮崎県生まれ。九州大学卒業。2018年、第23回スニーカー大賞《秋》の優秀賞を受賞。2023年、『ノウイットオール あなただけが知っている』で第30回松本清張賞を受賞し、単行本デビュー。他の著作に『なんで死体がスタジオに!?』がある。
