◇自著を語る◇ 角田光代『字のないはがき』

◇自著を語る◇  角田光代『字のないはがき』
私の記憶としての「家族」

 子ども時代に見ていたテレビドラマをのぞけば、向田邦子作品に出会ったのは二十二、三歳のころだ。このときすでにご本人はこの世の住人ではなかった、ということもあって、この作家は私には最初からものすごく遠い存在だった。平明、簡素でありながら、叙情的な文章で綴られる、暮らしや記憶の断片は、私の知らない大人の女性の世界だった。

 それなのに、向田邦子独自の技巧によって、その遠いはずの世界が、自分の記憶のように近しくなることもある。私はいくつかのエッセイや小説の場面を、まるで自分の記憶のように覚えてしまった。それらの作品を思い出すと、まさに自分の記憶のように、まず映像が浮かぶ。たとえばカステラの端っこや巻き寿司の端っこ。電車から見た、アパートに住むライオン。さがし続けたお気に入りの水着。アパートの隣の部屋から漏れ聞こえる男女の声。ハムを切る最中、すっとのびる子どもの指。そして、そう、疎開先から送られてくる、ゆがんだマルの描かれたはがき。すべて、私自身が見聞きして、体験したこととして、私の内にある。

 著者の妹である向田和子さんから、「字のないはがき」を絵本にしてほしいと言っていただいて、あらためてエッセイ「字のないはがき」を読み返した。びっくりした。ぜんぶ知っているから。知っている、というのは、読んだことがある、あるいは、覚えてしまうくらい読んでいた、というのとは違う。このエッセイをはじめて読んだとき、私はまさにこれを自分の体験として自身の内に植えつけた。私は母が肌着に名前を縫いこむのを見ていたし、大きな父親が背を丸めてはがきに自分の名と住所を書いていくのを、見ていた。ちいさな妹を見送ったし、最初に送られてきた、大きなマルの描かれたはがきに狂喜した。──そのことに、愕然とした。これはいったいどんな技巧なのか。どんなマジックなのか。向田邦子という人は、時代も年齢もまるで違う読み手に、言葉だけで、なぜこんなにリアルな体験を植えつけることができるのか。

 おそらくそれは、向田邦子が映像の世界から入ってきたことに関係しているのだろう。けれどもそんな分析などなんの意味もなさないくらい、強力なことだ。エッセイあるいは小説を、他人の記憶として譲り渡すように書くことは、だれでもができることではない。

 ともあれ、だから私は自分の記憶のように思い出して書いた。エッセイに書かれていないのにこの絵本に書いたこともあって、それは、私自身の記憶だ。私が見ていた家族の一場面だ。そして私は、ごく自然にたがいを思いやって戦時を生きた、この家族の一員だったという架空の記憶に、感謝したいのである。こんなたいせつな記憶を持てたことに、深く感謝したいのだ。

 作家の西加奈子さんが絵を描いてくれた。西さんの絵が送られてきたとき、私は本当にびっくりして、びっくりしながら嗚咽した。西さんにしか描けない、西さんの文章のようにまっすぐで強くて正直な絵。人の姿が描かれていないのに、人の体温、おしゃべり、気配、暮らしの音が絵の向こうからあふれてくる。この家族の、さりげないながら強固な絆が絵の細部に見え隠れする。

 西さんも、この家族の一員としての記憶を頼りに描いたのではないか、と私は思った。そして、西さんの見た光景、西さんの内の記憶は、私の見たもの、私の内の記憶とは異なるはずなのに、相容れないところが何ひとつない。西さんの描いた「字のないはがき」を見て、私はすとんと、そうだった、私もこれを知っている、私もこれを見ていたと思った。あるエッセイから得た、べつべつの記憶は、こんなにたやすくひとつに混じり合うのかと思った。

 私がこの絵本にとりかかっていたときは、偶然にも、向田邦子が飛行機事故で亡くなったのと同じ年齢だった。それから私はひとつ年齢を重ね、ついに向田邦子より年上になってしまった。でも、いったいどうしてなのか、私のなかで向田邦子という作家は、未だはるか大人だ。二十代のときにそう思ったのと同じくらい、ずっと遠い大人の世界の人だ。これまた、いったいどんな技法、どんなマジックなのかと思う。

 

角田光代(かくた・みつよ)

一九六七年生まれ。小説家。九〇年デビュー作『幸福な遊戯』(福武書店)で海燕新人文学賞受賞。『キッドナップ・ツアー』(理論社)で九九年産経児童出版文化賞フジテレビ賞、二〇〇三年『空中庭園』(文藝春秋)で婦人公論文芸賞、〇五年『対岸の彼女』(文藝春秋)で直木賞、〇六年『ロック母』(講談社)で川端康成文学賞、〇七年『八日目の蝉』(中央公論新社)で中央公論文芸賞ほか受賞多数。大の向田邦子ファンとして知られる。

書影
◇自著を語る◇  角田光代『字のないはがき』
〈「本の窓」2019年7月号掲載〉