【第164回芥川賞受賞作】宇佐見りん『推し、燃ゆ』はここがスゴイ!

宇佐見りん『推し、燃ゆ』の受賞が決定した第164回(2020年度下半期)芥川賞。その受賞候補となった5作品の優れている点や読みどころを徹底レビューします!

2021年1月20日に発表された第164回芥川賞。宇佐見りんさんの『推し、燃ゆ』が見事受賞を果たしました。

『推し、燃ゆ』は、地下アイドルを推すことにすべての情熱を注いでいる高校生・あかりの日常を描いた物語です。ある日、彼女の“推し”がファンの女性を殴ったという報道をきっかけにネット上で炎上し、あかりの日常が揺らぎ始めます。

発表前に、P+D MAGAZINE編集部では、候補作の受賞予想をする恒例企画を今回も開催。シナリオライターの五百蔵容さんをお招きして、『推し、燃ゆ』を含む芥川賞候補作5作の徹底レビューをおこないました。

果たして、受賞予想は当たっていたのか……? 白熱した座談会の模様をどうぞお楽しみください!

参加者

五百蔵 容:シナリオライター、サッカー分析家。
3度の飯より物語の構造分析が好き。近著に『サムライブルーの勝利と敗北 サッカーロシアW杯日本代表・全試合戦術完全解析』(星海社新書)。現在新著を準備中。

トヨキ:P+D MAGAZINE編集部。特に好きなジャンルは随筆と現代短歌。

(※今回の対談はリモートでオンラインで行いました)

目次

1.木崎みつ子『コンジュジ』

2.砂川文次『小隊』

3.尾崎世界観『母影』

4.宇佐見りん『推し、燃ゆ』

5.乗代雄介『旅する練習』

木崎みつ子『コンジュジ』


出典:https://www.amazon.co.jp/dp/B08JVKGRJ2/

トヨキ:まずは『コンジュジ』からいきましょうか。私はこの作品のやや紋切り型ともとれる文体と戯画化されたキャラクターの描き方に、正直に言うとあまり没入することができなくて……。ただ、主人公の少女・せれなが自分自身の虐待経験と向き合い、トラウマを解体していく過程が、70年代に活躍したロックスターのヒストリーを紐解いていくという作業に重ね合わされる構成は巧みだと感じました。五百蔵さんはどう読まれましたか?

五百蔵:いま言われたように、文体そのものにはいわゆる純文学らしい格調高さはなく、コミック的ですよね。今回の候補作には全体的にそういった作品が多かったと思うのですが、これは決して悪い傾向ではなく、純文学の世界でもより多様な語り口が受け入れられるようになってきている、ということなのだろうと感じます。僕は、今回の候補作の中でもっとも作者の意図していることがぶれず、最後まで徹底してやり遂げられているのは『コンジュジ』かなと思いました。

トヨキ:どういった点が徹底されている、と感じたんでしょう?

五百蔵:この作品は三人称の語りの体をとってはいるけれど、実質、せれなの一人称的視点で物語が進みますよね。この、ある種キャラクター小説的な主観の描き方が最初から最後まで一貫しているし、せれなを肯定するという作品の目的にも非常にマッチしていると感じました。つまり、テーマと文体が合っていて、それが巧みな構成の中でぶれずに統御されている。70年代のバンドにまつわるエピソードのディテールもおもしろくて、とても厳しい体験を書いた作品ではあるけれど、ポップに読めてしまうのもいいなと思います。

トヨキ:なるほど……! 私はあまり、バンドのヒストリーに自分の妄想を夢小説のように重ね合わせていくせれなのエピソードにリアリティを感じられなかったんです。どちらかと言うと、今回の候補作の中では『推し、燃ゆ』の主人公のメンタリティや消費行動のほうがよくわかる、というか。

五百蔵:それはまさに話題にしたかったところです。僕はこの、70年代に活躍したバンド──おおよそQUEENからボン・ジョヴィに至るくらいまでの、アイドル的な人気を集めた洋楽バンドが当時の日本でどのような受容のされ方をしていたかというエピソードが、隅から隅まですごくリアルだと感じて。90年生まれの木崎さんが、どうしてここまで70年代に洋楽バンドに熱狂していた女性のメンタリティを詳細に書けるのかが不思議なくらいです。当時はいま以上に、洋楽バンドをアイドル的に紹介する雑誌や番組というのが世間に溢れていたんですよ。

トヨキ:来日時、メンバー全員におそろいのハッピを着せたりする番組のイメージで合っていますか……?

五百蔵:そうそう、それです(笑)。この“70年代のファン文化あるある”みたいなものに没入できない場合、たしかにあまりおもしろみを感じない可能性があるよなあ、とは思いながら読んでいました。現代を生きる女性が、物理的に手が届きようのないすでに亡くなっている人物に恋をしてしまったがゆえに、過去のコンテンツに耽溺していくことで自分の傷を癒やすしかない……というプロセスが非常にうまく書かれている。この構造を通じて、せれなが抱えている現代的な孤独を描くことにも成功していると感じます。

トヨキ:私は、主人公の逃避場所であるリアンとの関係性がひと昔前の少女漫画のようで、こんなにキャッチーに描かれていることにすこし違和感を覚えたんですよね……。もしかすると、フィクションの中でトラウマや性被害を扱う際の手つきとして、あまり近年の現代文学に見られないようなポップな形を選んでいることに驚いたのかもしれません。

五百蔵:とてもつらい体験をした人であればあるほど、こういった形で虚構世界にすがってしまうということに僕はリアリティを感じます。けれどいまトヨキさんの感想をお聞きして、そもそも現代では、慰めとしての虚構と目の前の現実というものが昔と比べて強制的にフラットにさせられているからこそ、せれなとリアンのような強い依存関係が成り立ちにくいのではないか、読み手もそこにリアリティを感じにくいのではないか……というのはあるかもしれないと思いました。関係性の描き方としてはオールドファッションですよね、だからこそ70年代を背景にしているんだとは思うのですが。

トヨキ:なるほど。たしかに、この年代だからこそここまで強い虚構性が成り立つ、というのはあるのかもしれないですね。そう考えると、せれなの心境やリアンとの関係性の変化をとても誠実に描いているのかもしれない……。いま五百蔵さんの読み方をお聞きして、すこし印象が変わりました。

砂川文次『小隊』


出典:https://www.amazon.co.jp/dp/B08DSVJQQS/

トヨキ:続いては『小隊』です。どのように読まれました?

五百蔵:砂川さんは以前も『戦場のレビヤタン』が候補作入りしていましたが、前作と比べて非常にレベルが上がっていると感じました。前作は職業小説的な構えをとりつつ、その職業の人固有の視点を通じて現代人をどう描くか、という、ある種伝統的な純文学の枠組みに収まるような作品になっていましたよね。たとえば、大江健三郎の『死者の奢り』や村田沙耶香さんの『コンビニ人間』などもそういった構造の作品だと思うんですが。

トヨキ:なるほど、そうですね。

五百蔵:今回の『小隊』はそれ以上に、実際の戦闘のプロセスを詳細に追うということに重きが置かれていて、結果として非常に完成度の高い軍事小説に仕上がっていると思いました。戦術面も、兵士の心境が実際の戦場の中でどのように変化していくかということも、とても綿密に書かれている。小隊長という主人公の立場も、戦場をある程度俯瞰して見られると同時に、個々人の兵士たちの状況も把握することができるという絶妙な設定だと思います。ある程度軍事に造詣が深い人であれば、主人公視点の描写を通じ、「おそらく中隊はいまこういう状況になっているんだろうな」「直接的に書かれていないけれど、こういった交渉がおこなわれている可能性があるな」ということがすべて見てとれるようにできていて。

トヨキ:書かれていない状況、というのは具体的にどういったことでしょう?

五百蔵:この作品でのロシア軍の行動は、実際に彼らが第二次大戦後から維持・発展させている独自の戦略に基づいてかなり正確に描かれています。作中で主人公達の最前線だけでなく後方の司令部まで一気に殲滅せんめつされているところなどがそれです。そのロシア軍の攻撃を日本の自衛隊がなぜここまでまともに受けてしまっているかというと、アメリカ軍が動かないからだということが仄めかされています。アメリカ軍と自衛隊が協働しない限り、自衛隊単体にはロシアのやり方に応戦する能力がない。ではアメリカはなぜ動かないかというと、紛争当事国であるロシアと日本が交渉中だから、というのがひとつの理由なんですが、それだけでなく、裏でロシアと交渉していて今回は手を出さないという取り決めをしている可能性がある。これはフィクションですが、現実にまったく起こりえないシナリオかと言ったらそうではないんですよね。

しかも『小隊』は、避難勧告が出されているにも関わらず、いまの居住地から自分の意志で逃げようとしない住人を自衛隊が訪問するシーンから始まる。彼らは実際の戦闘では被害を受けてしまうわけですが、「いざとなったら自衛隊は守ってくれるはず」という思いを抱いていたはずです。この構造も、アメリカと日本の関係を描いているようにも読める。

トヨキ:なるほど、その関係が入れ子構造になっているわけですね。現代の政治やシステムへの批評性が想像以上に高い作品だったことに気づかされました。いまこのタイミングでこういったテーマを扱う作品が出てくることには大きな意義を感じますし、単純にとても緊張もしますね……。

個人的な感想としては、戦闘シーンの描写の密度にとにかく圧倒され、砂川さんの筆が乗りに乗っているなと感じました。描写そのものにフェティシズムというか、グルーヴを感じる方も多いんじゃないでしょうか。

五百蔵:前作のときにも感じたんですが、漫画家・かわぐちかいじの描く作品世界にすごく近いですよね。……というか今作はもう、かわぐちかいじ的でないところがないくらい(笑)。歴史的な背景も踏まえ、現代の社会情勢がよく反映された『小隊』のようなミリタリーフィクションが、芥川賞の選考の場でどのくらい受け入れられるのだろうというのは気になるところです。僕は、こういった作品が純文学の場に出てくることは非常におもしろいと感じます。

尾崎世界観『母影』


出典:https://www.amazon.co.jp/dp/B08LQZ67PR/

トヨキ:続いては『母影』です。クリープハイプの詞世界がそのまま小説になったような、細部のポエティックな描写にはとても魅了されました。たとえば、主人公の少女の視点から断片的に見えてくる、母親が勤務するマッサージ店の客たちの“クツ”の描き方や、飼っていたハムスターの死を“同じようなのがいっぱいならんでても、なぜか自分のランドセルがどれかすぐにわかる”ように理解したというシーンなどは、本当に尾崎さんのオリジナリティが遺憾なく発揮されているなと。

ただ、そういったすばらしいイメージが連続して展開を作っていくというよりも、ところどころで表出してはふっと消えてしまっている気がして、もったいないと感じたんです。母親の感じている根本的な苦しみは変わらないままの結末に着地することにも、救いのなさを感じてややつらくなりました……。

五百蔵:そうですね。いま言われたとおり、詩情に溢れた言葉づかいそのものは非常に光っているけれど、それらがすべて射程の短い表現に留まってしまっていて、バラバラのままになっている印象です。

ラストでこの母娘の問題が結局解決していないというのも、もっとストーリーを練りあげていけば、より現代的な表現まで磨き上げられたはずと思います。これだけ詩情に溢れた表現を生み出せる方なのだから、編集者がもっと批評してディスカッションを繰り返していけば、もっとずっとよい小説になったのでは……と感じずにはいられません。尾崎さんは稀有な書き手だと思うのですが、その才能を信頼しすぎて、出てくる表現を丸呑みしてしまってはいないだろうかと。いわゆる“小説らしい”定形表現の中に収まる必要はまったくないのだけれど、彼が思い入れを持っているであろうディテールをつなぐ、物語全体を貫くものをもうすこし熟考してみてほしかったなと思います。

トヨキ:さっき挙げた箇所もそうですが、描写のディテールそのものは、今回の5作品の中で一番光っていると感じました。比喩のひとつひとつに定形表現が一切なく、唯一無二だなと。同音異義語の多用なども尾崎さんの表現のオリジナリティだと思うのですが、とてもおもしろいですよね。

五百蔵:だからこそ、詞ではなく小説という表現形式を選ぶのであれば、言葉の断片同士をつなげる通奏低音のようなものをもっと探究していってほしいと感じます。間違いなくすばらしいものを書ける人だとは思うので、次回作以降にも期待したいですね。

宇佐見りん『推し、燃ゆ』


出典:https://www.amazon.co.jp/dp/B089J3TPY1/

トヨキ:続いては『推し、燃ゆ』。インパクトのあるタイトルも相まって、発表直後からSNSなどでも話題になりましたね。

『コンジュジ』のときにもすこしお話ししましたが、この作品は現代を生きる10~20代くらいのオタクのメンタリティと消費行動をとてもリアルに表現していると感じました。非常におもしろく読み、主人公のあかりに感情移入もしたのですが、一方で単なる「あるある」に収まってしまっていないだろうか、と思う部分もあります。もちろん、本作が扱いたいテーマの重心がそこに置かれていないことはわかるのですが、2020年代に「推し活」を描くのであれば、一方的な消費行動に対する内省などにも踏み込んでほしかったな……と思います。

五百蔵:僕も近しい感想で、オタクのメンタリティと消費行動を書いてはいるのだけれど、それが現状報告以上のものに発展していかないことが気になりました。僕は自分自身がオタクなので、こういった地下アイドル界隈のオタク現場も見てきたのですが、宇佐見さんの描写は取材して書いたことの粋を出ていないのではないか、と感じます。

……たとえばなのですが、僕はずっと追っているアイドルグループが音楽番組に出演したとき、チャンネルによっては自分が見ていたのと違う角度から彼女たちを映した映像が放送されていた、というのを番組終了後に知ったことがあるんですよね。それをSNSで知ったときに、「ええっ、知ってたらそっちも録ってたよ……!」とすごくうろたえたんです。

トヨキ:わかります、めちゃくちゃ一大事だ……。

五百蔵:冷静に考えるとなぜそんなことでうろたえるのか、という話なんです。でも、オタクの虚構世界への依存の本質って、僕はそういうところにあると思っていて。だから、『推し、燃ゆ』には「推しの映像をいろいろな角度から見たい」ということは詳細に書かれているのだけれど、肝心の「なぜそんなことにそこまでこだわってしまうのか」が書かれていないことに違和感を覚えたんですよね。

トヨキ:なるほど……。私も非常にオタク気質なんですが、いまおっしゃったようなディテールへの評価が厳しくなってしまうのは、我々がもろに当事者だからという可能性はありませんか?

五百蔵:それはある(笑)。

トヨキ:個人的には、あかりという主人公の特性として、直接的には書かれていないけれどおそらくなんらかの発達障害を持っているということが重要なのかなと感じています。彼女はずっと“重さ”という言葉で自分の生きづらさを表現しているのですが、推しを推しているときだけその“重さ”から逃げることができる、という風に書いているんですよね。

だから、あかりには「自分はなぜ推しているのか」という内省をするような余地さえなく、ただ推しを消費することに依存して生きづらさをごまかし続けているフェーズにいる、ということが一貫して描かれているのかなといまお聞きして思いました。「オタク小説」という受容のされ方をしているけれど、実はそれ以上に、生きづらさをコンテンツへの依存で埋めようとしてしまう苦しみを書いているのではないかと……。

五百蔵:なるほど、たしかに。そうであればなおさら、彼女にとって大切なのは推しがいなくなってしまったあとの人生ですよね……。このあとどう発展していくのかというのが読みたかった。

トヨキ:そうですね、私もあかりの今後はもっと読みたかったです。ただ、社会になかなか適合できずに2020年代を生きている10代の心境をこれほど詳細に描いた作品はまだなかったと思うので、審査の場でも高い評価を受けるのではないかと思っています。宇佐見さんは本当に筆力のある書き手だと思うので、『推し、燃ゆ』もすばらしいとは思うんですが、もっといろいろ書かれるのを読みたいという気持ちが個人的には大きいです。

乗代雄介『旅する練習』


出典:https://www.amazon.co.jp/dp/B08LR1MFF6/

トヨキ:最後は『旅する練習』です。以前の候補作にもなった『最高の任務』のときにも感じたのですが、乗代さんは大人と子どもの友情を誠実かつチャーミングに書くのが本当に上手ですよね……。

五百蔵:そうですね。中盤くらいまでは僕も『最高の任務』が何度も頭をよぎり、前作とテーマもストーリーもほぼ一緒じゃないか、と感じてしまったのですが、みどりさんという人物が出てきたあたりからおもしろさがぐいぐい加速していって。最後には「いいものを読んだな……」という爽やかな読後感が残りました。

トヨキ:今回の候補作、『旅する練習』を除くと、ほとんどの作品に信頼の置けない大人や子どもとの距離がうまく測れない大人が出てくるんですよね(笑)。だから、書き手である小説家の「私」がすごく健全に姪の亜美の成長を見守り、彼女と誠実に対話し続けようとしているという事実がうれしくてたまらなくて。

たしかに序盤は単調ではあるんですが、亜美と「私」のやりとりの軽快さと愛らしさが心地よくて、ずっと読んでいられるような感覚に陥りました。読み進めていくにつれ、書き手の文体の揺らぎがそのまま亜美への感情の揺らぎにつながっていることから結末を予感してしまうんですが、こうなるしかないとはわかっていても、最後は号泣してしまいました……。

五百蔵:僕も正直、結末にはウルウルしてしまいましたね。作中で書かれている練習の旅のスタート地点が常磐線の我孫子駅なんですが、僕はたまたま実家がその近くだしサッカーファンでもあるので、利根川沿いの道とか、サッカーの試合があるときにだけ開く鹿島サッカースタジアム駅とか、ほとんどの風景に見覚えがあるんです。読後、感情移入できる装置があまりにも揃いすぎているからこんなに感動してしまったのでは? と思って、厳しい目で最初から読み直してみたんですが(笑)、やっぱり構成そのものも非常によくできているという結論に至りました。

いま言われたように、文体が作中でどんどん揺らいで、メタモルフォーゼしていくんですよね。最初は現在形で書かれているけれど、途中で過去形になったり、あとから文章が付け足されたり、場合によっては途切れていたりする。そのこと自体に、亜美にいまもいてほしかった書き手の気持ちの揺らぎが表れている、という……。本当によくできていて、いま目の前に乗代さんがいたら、「やりましたね!」って声をかけてしまいそうです。

トヨキ:(笑)。乗代さんはデビュー前から15年以上に渡ってブログを書き続けているらしいのですが、日々を淡々と記録することがなにを生むのか、というテーマにずっと向き合われてきた方なのだろうなと感じます。今回の候補作の中で唯一、コロナ禍の日常が詳細に書き込まれている作品でもあるので、いまこの作品が芥川賞の文学史に残ったら、非常に大きな意味を持ちそうですね。乗代さんの代表作となる作品だと思います。

五百蔵:唯一気になるのは、みどりさんが抱えている社会からの疎外感というものが、実は結局のところ解決には至っておらず、亜美や「私」たちと旅の中で再会できたというプロット上の工夫によって解放されたかのように表現してしまっている、という部分でしょうか。詠み手としては非常に感動してしまった箇所ではあるんですが、実際にはその問題は再会とは別物だよね、という点がややごまかされている。そこはもしかすると、選考の場で問題視されるかもしれませんね。

総評

トヨキ:では最後に、五百蔵さんは今回、どの作品が芥川賞を受賞すると予想しますか?

五百蔵:最後にやや苦言も呈したのですが、やはりコロナ禍の日常を「記録すること」というテーマと重ね合わせて書き切った『旅する練習』はすばらしいと思います。文芸としての高度な技巧と、人間的な感情の彫り込みを併せ持った出来栄えだなと。僕はこれが受賞するかなと思っています。次点は、同じような美点を持ち、文体と構成の徹底ぶりが頭ひとつ抜けている『コンジュジ』でしょうか。

トヨキ:なるほど。私はやはり2020年代に固有の生きづらさと消費行動を描いているという点で『推し、燃ゆ』が受賞するのではないかと予想します。

今回も、受賞作が発表される1月20日が楽しみですね!

初出:P+D MAGAZINE(2021/01/18)

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