発表!【第166回芥川賞受賞作】砂川文次『ブラックボックス』はここがスゴイ!

砂川文次『ブラックボックス』の受賞が決定した第166回(2021年度下半期)芥川賞。その受賞候補となった5作品の優れている点や読みどころを徹底レビューします!

2022年1月19日に発表された第166回芥川賞。砂川文次さんの『ブラックボックス』が見事受賞を果たしました。
『ブラックボックス』は、自衛隊を辞め、非正規雇用のメッセンジャー(配達員)として都内を自転車でひた走る主人公の日常を描く物語。生活への不満が溜まり、しだいに怒りの暴発を抑えられなくなっていく若者の姿を通じ、現代社会のいびつさを浮かび上がらせます。

受賞発表以前、P+D MAGAZINE編集部では、候補作の受賞予想をする恒例企画を今回も開催しました。シナリオライターの五百蔵容さんをお招きして、『ブラックボックス』を含む芥川賞候補作5作の徹底レビューをおこないました。

果たして、受賞予想は当たっていたのか……? その模様をどうぞお楽しみください!

参加者

五百蔵 容:シナリオライター、サッカー分析家。
3度の飯より物語の構造分析が好き。近著に『サムライブルーの勝利と敗北 サッカーロシアW杯日本代表・全試合戦術完全解析』(星海社新書)。


トヨキ:P+D MAGAZINE編集部。特に好きなジャンルは随筆と現代短歌。

(※今回の対談はリモートでおこなわれました)

目次

1.『我が友、スミス』(石田夏穂)

2.『ブラックボックス』(砂川文次)

3.『オン・ザ・プラネット』(島口大樹)

4.『Schoolgirl』(九段理江)

5.『皆のあらばしり』(乗代雄介)

『我が友、スミス』(石田夏穂)


出典:https://www.amazon.co.jp/dp/406527365X/

【あらすじ】
趣味で筋トレに励む会社員・U野。自己流のトレーニングを続けていた彼女はある日、同じジムに通うO島からボディビル大会への出場を勧められ、本格的な筋トレと食事管理に励むようになる。

トヨキ:では、まずは『我が友、スミス』からいきましょうか。今回の候補作の中では飛び抜けて面白かったです。タイトルからなんとなく、クラシカルで硬派な作品を想像して読み始めたのですが、「我が友」って筋トレマシンのことか……! と(笑)。

五百蔵:僕も、この作品はシンプルにすごく面白かったです。ここで笑ってしまった、というポイントを挙げていったらいつまでも話ができるような小説だと思うのですが、エンターテインメント作品としての「面白さ」で止まってしまっていて、読み手の視野を広げてくれるようなところに繋がっていかないのはやや難点かなと感じました。

トヨキ:たしかに、読後感としてはレアで面白い体験記を読ませてもらった……という感覚に近かったです。文章のそこかしこにユーモアが散りばめられていて、筋トレというカルチャーにあまり馴染みがない人でもぐいぐい読み進められるのはすごいと思ったのですが。

五百蔵:そうですね。今回の候補作は全体として、その切り口はさまざまでありながらも、一個人にとっての“自由意志”とはなにかを問うような作品が多かったと思います。

『我が友、スミス』もそうで、主人公のU野は最後、筋トレ大会の決勝で自由意志を発揮する。ピアスを外してハイヒールを脱ぐという行為を通して、既存のシステムや規範に対して小さく反抗をするんですよね。U野はそれまで、筋トレを巡る現代ならではのカルチャーや考え方になんとなく乗り続けてきたわけですが、決勝で自由意志を発揮するという選択をしたことによって、それまで“乗り続けてきた”ことの意味も変わるように書かれていると思うんです。つまり、それまでの自分の姿や居場所を全否定するのではなく、彼女にとって不必要なものだけを捨てたことで生き方が変わった、という物語になっている。

トヨキ:たしかに。登場人物がなんらかの抑圧を受けたとき、それまでいた場所から完全に離れて新たなスタートを踏み出す、という“降り方”が書かれることが多いと思うのですが、『スミス』の場合は自分なりの折り合いをつけて元いた場所に戻る、というストーリーになっていますもんね。

五百蔵:そこはすごくいいなと感じました。彼女が自分の意志で選択をしたことによって、それまで抑圧のベースになっていたものも抑圧ではなくなり、これまで以上に楽しんで筋トレを続けていこう、という結論に繋がるという……。すごく明るい解決に結びついている(笑)。

トヨキ:U野の悩み方や葛藤のしかたが終始ヘルシーというか、あっけらかんとしているのが好きです。U野の出場した大会以上に容姿や華やかさといった部分が審査対象になる筋トレ大会に出ている女性に対しても、最初はどこか苦々しく思っているのだけれど、最終的には「お互いのフィールドでこれからも頑張ろうぜ」と戦友のような気持ちを抱くという(笑)。

五百蔵:好奇心と向上心がとても強い主人公なんですよね。なにかがうまくいかないときも、その矛先が他者や自分に向くのではなく、「もっと他のプロテインがあるのでは」みたいな方向に行く(笑)。その明るさこそがエンターテインメント作品のような爽快な読後感に繋がっていると思うのですが、実際にはエンターテインメント作品であればなかなか描かないような細かい選択や機微が書き込まれているのもこの作品の長所だと思います。

トヨキ:いまお話を聞いていて、システムに対する反抗や個人の自由意志というテーマとエンターテインメント性とが絶妙な塩梅で混ざりあった作品だな、という印象が強くなりました。

『ブラックボックス』(砂川文次)


出典:https://www.amazon.co.jp/dp/406527365X/

【あらすじ】
自衛隊を辞め、メッセンジャー(自転車便の配達員)の仕事に就いた主人公・サクマ。日々、都内を自転車でひた走る彼は、いつの間にか自分のなかに眠っていた怒りの暴発を抑えられなくなっていく。

トヨキ:続いて『ブラックボックス』です。作者の砂川文次さんは、これまでにも『小隊』や『戦場のレビヤタン』といった軍事ものの作品で芥川賞候補になっていますが、今回はメッセンジャー(配達員)を主人公に据えた作品ということで、ガラッと題材が変わりました。

五百蔵:今回の候補作ではいちばんハードな作品だと思いましたが、僕は総合的に見て、候補作のなかではこれが頭ひとつ抜けていると感じます。主人公のサクマという人物が考えることやおこなうことには決して共感はできないのだけど、読み進めるうちに、世の中から取り残されていると感じてしまう男の心のなかにすこしずつ入り込んでいくような感覚がある。その上でこの男の運命を追いかけていくと、「もしかしたら自分もいつかこういうことをしてしまうかもしれない」「あのときあの選択をしていたら、自分もこの男のようになっていたかもしれない」と思わされるんですよね。

しかもそれだけでなく、現代を生きる我々の生活や社会そのものが、自由意志や選択の可能性を狭めるようなものになっていないか、という疑問まで透けて見えてくる。

トヨキ:そうですね。主人公の境遇や人間性の背景にある、社会構造そのものの歪みにも目が向けられている作品ですよね。

五百蔵:個人の苛立ちが暴発するまでを描くという意味では、以前の受賞作である遠野遥『破局』にも似ていると思うのですが、個人的には『破局』よりも広い射程を捉えられている作品だと感じました。『破局』は主人公の男の特殊性が強く印象に残る作品だったと思うのですが、『ブラックボックス』の主人公・サクマはもっと凡庸なキャラクターとして描かれている。

……ところで、僕は2019年の映画『ジョーカー』をあまり肯定的に見られなかったんですが、それは主人公のジョーカーという男を特殊な存在として描いていたからです。特殊じゃない、普通の男だというエクスキューズはしているものの、実際には追い詰められた感情を狂気に転化させ、ヒロイックに振る舞うことのできる人物としてキャラクター化されていると感じたんですよね。ジョーカーが階段でダンスするシーンが喝采を浴びましたが、ああいう描き方をすることで、むしろアーサーという男(のちにジョーカーとなる主人公)の苦しみからはどんどん離れていってしまうと思ったんです。けれど、『ブラックボックス』はそういった描き方をしていないのが素晴らしい。

トヨキ:主人公を、一線を越えて変化してしまった“狂気の人”や“悪のカリスマ”として描くのではなく、どういう選択を重ねてきた上でこういったキャラクターになったかという点が丁寧に描写されている、ということですか?

五百蔵:そうですね、砂川さんはその点には心を砕いていると感じます。たとえば、サクマが暴力を振るってしまうシーンで時制の入れ替えが起きているのも、非常に考え抜かれた書き方だなと。砂川さんの作品は、基本的には現在進行系でストーリーが進んでいくのですが、サクマが一線を越えて暴力を振るってしまうシーンだけは一連の流れの外にある。連続性のなかで暴力を描くことで失うものがある、と判断したのだと思います。

トヨキ:主人公の感情の高まりがピークに達していく流れのなかで暴力が描かれてしまうと、読み手が爽快感を感じてしまいますもんね。そのカタルシスをあえて生まないようにしているのは、とても慎重で誠実な書き方だと感じます。

五百蔵:この主人公自体は、はっきり言ってネガティブな印象しか抱けない人物というか……砂川さんの筆によって書かれていなければ、関心も持ちたくないような人物かもしれないと思うんです。けれど、そんな人物の心情に半強制的に寄り添わされて最後まで物語を読めてしまうような力がこの作品にはあるし、それこそが砂川さんの高い筆力だと思います。

トヨキ:なるほど。たしかに、書かれるべき人物のことが真正面から書かれているという感じがして、深く没入して読んでしまいました。

『オン・ザ・プラネット』(島口大樹)


出典:https://www.amazon.co.jp/dp/B09NVLXLS7/

【あらすじ】
往年の映画や文学を愛する若者であるぼく、スズキ、トリキ、マーヤ。4人はiPhoneを使ったショートムービーを撮るために、横浜からはるばる鳥取砂丘を目指して車を走らせる。

トヨキ:続いて『オン・ザ・プラネット』。……身も蓋もない感想なのですが、作者の島口さん、ジム・ジャームッシュ作品が本当に好きなんだろうなと思いました(笑)。98年生まれの若い書き手の方ですが、ジャームッシュやトリュフォー、寺山修司や村上春樹といった作品についての言及が多く、まるで90年代後半の文学作品を読んでいるような……。

五百蔵:僕はまさに90年代に大学の映画研究会に入っていた映画青年で、ちょうどジャームッシュがセンセーショナルに登場した頃に映画を見漁っていた世代なのですが、自分たちのことを書いてるのか? って感じでしたね、本当に(笑)。あの年代の若者たちの、自分たちなりに手探りで世界を掘り下げていっているかのようで、実際にはひとつのことをいろいろなやり方で言い換えているだけという感じがリアリティを持って描かれているなと思いました。「ああじゃない、こうじゃない」と言い続けることで、実際にはなにも変わっていないのだけれど、確実になにかを経験してはいるという……。つまりやっていること自体は、ひとつの狭い関心に対していかにユニークな言い換えができるかという大喜利なんですよね(笑)。

トヨキ:たしかに観念的な大喜利ですね(笑)。いい意味で、こういった“だべり”とも呼べるような若者たちのやりとりを書く作品を久しぶりに読んだので、懐かしくもどこか新鮮でした。

ただ個人的には、やはり文体と作中に漂う雰囲気のどことない古臭さが気になってしまって。小説としてはとても好きなのですが、芥川賞候補作として考えると、こういったロードムービー調の衒学げんがく的な作品には既視感があるなと思えてしまいます。

五百蔵:ロードムービーという形式を選んだ必然性は伝わってくるものの、小説の内容や構造以上に、選ばれている題材や登場人物たちの関心のほうに興味を惹かれてしまう作品でしたね。

トヨキ:読後にずっと映像が目の裏に残り続けるようないい作品だなと思うのですが、新規性は薄いのかなと……。2020年代に芥川賞を受賞するような意義は、個人的にはあまりこの作品のなかに見いだせなかったです。

五百蔵:近年の芥川賞候補には、エンターテインメントとアートの方法論を融合して新しいものを生み出す若い人たちが続々と参画してきていると思うので、この作品もなにかしらの新しい部分を見せてほしかった、というのはありますね。ただ、気になる書き手として島口さんの作品は今後も追っていきたいです。

『Schoolgirl』(九段理江)


出典:https://www.amazon.co.jp/dp/B09Q87WK4P/

【あらすじ】
小説や空想を愛する母の「私」と、社会派YouTuberとしての活動に精を出す娘の関係はいつからかぎくしゃくしていた。しかしあるとき「私」は、娘が太宰治の『女生徒』をテーマにした動画を撮影しているのを見つける。

トヨキ:続いて『Schoolgirl』です。書こうとしていることがとても明白で、一貫性を持ってそれを最初から最後までやりきろうとしていると感じられたのが好印象でした。「14歳の女の子ってみんなこういう気分だよね」というところに収束するのではなく、“みずみずしい”とか“感性豊かな”といった言葉でくくられがちな少女というものの個別性や本質に目が向けられているのがいいなと。

五百蔵:『オン・ザ・プラネット』とも通じるところだと思うのですが、この作品が掴み出しているもののひとつに、「思春期の凡庸さ」があると思うんです。主人公の娘は、いかにこの世界が欺瞞に満ちた悪いものであるかを表現しようとするのだけど、結局どう表現しても凡庸になってしまう。自分は誰かが言っていることを繰り返して主張しているだけなんじゃないかと不安になるのは、思春期の普遍的な悩み・苛立ちですよね。

だからこそ、はっとするような指摘や考え方がこの少女の主張のなかにはほとんどない。ない、ということ自体が重要だというのはわかるのだけど、そこから一歩でも外に踏み出すようななにかを書いてほしかった。思春期の凡庸性を書こうとしているのが、この小説自体の凡庸性に繋がってしまっているのではないか、と感じました。

トヨキ:私は、母娘関係のままならなさというのがこの作品のひとつの軸ではないかと思っていて。娘は、小説ばかり読んできた母のことを古臭い夢見がちな人間だと感じている一方で見捨てきれないし、母は、社会課題の解決に情熱を燃やす娘のことを心配して過干渉気味になってしまう。お互いがお互いのことをまったく別の生き物だと思っている一方で、ときには支配欲や所有欲が湧いてしまうような危ういバランスにも傾きつつ、それでもお互いのことを理解しようと心を砕くという……。

結末も、血縁や母娘愛というものを無条件に肯定するのではなく、シスターフッド的な繋がりのなかで関係性を再構築できないかという点に着地しようとしていると感じたんです。生まれてきた時代も環境も違うから母娘の価値観や主義主張は大きく異なるのだけど、コアの部分で通じ合えるような感覚ももしかしたらあるのかもしれない、ないかもしれないけれど、というような書き方なのかなと。

五百蔵:なるほど。母娘の関係性に重きを置いて読むと、たしかに冒頭の“娘の体が半分になっている”という夢のシーンの印象も変わってきますね。

トヨキ:そうですね。ただ、その軸で読んでいくと、意味性が強すぎるのは難点かなと感じます。メッセージが文中にすべて書き込まれてしまっていて、読み手に委ねられている部分が少ないなと……。最後のところで娘の語りかける文体が太宰の『女生徒』に近づいていきますが、相互の歩み寄りをここまで直接的に書かなくてもいいのでは、と個人的には思いました。

五百蔵:そこはたしかに僕も感じました。そのメタモルフォーゼ(変化、変身)を、あえて飛躍したものとして描くのではなく、書き手の思いが先行してストーリーに連結させてしまっている印象はありますよね。そういった点では若い書き手だと感じましたが、芥川賞においては若い書き手であることはまったく悪いことではないと思うので、高く評価する人も少なくないかもしれませんね。

『皆のあらばしり』(乗代雄介)


出典:https://www.amazon.co.jp/dp/B09MT4XSYY/

【あらすじ】
高校の歴史研究部の活動で城址を訪れた「ぼく」は、怪しげな関西弁を話す中年男に出会う。旧家の好事家が蔵書目録に残した謎の本を追い求めているという男。そのうさん臭さに辟易しつつも、「ぼく」はしだいに男の話に惹かれていく。

トヨキ:最後は、『皆のあらばしり』です。乗代さんも芥川賞候補の常連になりつつありますが、今回の作品はすこしいままでとテイストが違って驚きました。

乗代さんは、土地の歴史や文学史といった“記録”を通じて現代を生きる人物の新しい関係性を描き出すのが上手な人だと感じているのですが、『皆のあらばしり』ではあまりその点が感じられず……。ミステリ仕立てのストーリーは面白いものの、なんとなく結末の見当がつくなかで進んでいくので、最後まであまり乗れずに読み終えてしまった、というのが正直なところです。

五百蔵:あっ、なるほど、トヨキさんはここで登場人物たちが追究していること自体にはあまり興味を持てなかったということですよね。僕はすごく面白かったんです。ただそれはそもそも、僕が偽書の歴史とか、なかったはずのものをあったことにする手つきに関心があるからであって、小説の面白さそのものではないと感じます。

いまおっしゃったように、乗代さんはずっと同工異曲の作品を発表しつつテーマを深めている人だと思うのですが、これまでの候補作で彼が見せてくれた「ここがすごい」という長所が、今回の作品にはあまり見られないですよね。

トヨキ:そうですね……。同じ“記録”ではあるものの、偽書という題材は乗代さんの書いてきたテーマとはあまり親和性が高くないのではないか、と感じてしまいました。

五百蔵:たしかに、乗代さんの本来の長所と合いそうで合わなかったというところがあるかもしれませんね。『皆のあらばしり』が偽書であった必然性や、そもそも偽書というものがこの物語のなかでどんな意味を持っているかという点が書かれていない。記録を通じた関係性の変化や歴史の探究について書いてきた乗代さんの作品としては、あと一歩深みが欲しい、という感じがします。

実際にあったことをなかったことにする/なかったことをあったことにするというのがミステリの常道ですが、それを書こうとすると、登場人物たちのドラマそのものからは離れていくという宿命があるんですよね。実際にあったことといまいる人たちのことはいくらでも重ね合わせられるんです。ただ、なかったことといまいる人たちの話を重ね合わせるのはとても難しい。乗代さんは、この作品を書いていく過程で、そのふたつをうまく再接続する方法を見つけ損ねてしまったのではないか……と感じます。

トヨキ:なるほど。私は乗代さんのこれまでの作品がとても好きなのですが、だからこそこの作品で受賞するとしたら、うれしい反面ちょっとモヤモヤします(笑)。

五百蔵:僕も前作『旅する練習』のほうが完成度は高かったと思うのですが、実力のある方なので、そろそろ受賞してほしいと考える人は多そうですね。

総評

トヨキ:ここまで各作品のレビューをしてきましたが、五百蔵さんはずばり今回、どの作品が芥川賞を受賞すると予想しますか?

五百蔵:『Schoolgirl』はトヨキさんとお話ししてみて、野心的な作品で受賞の可能性もあるかもしれないと思いました。純粋に文学的な完成度の高さという評価軸でいうなら、今回の作品のなかでは『ブラックボックス』がダントツかなと思います。

トヨキ:そうですね。私も順当に行けば『ブラックボックス』かなと予想しています。さっき五百蔵さんがおっしゃっていたように、ひとりの人物の心中が緻密に描かれつつも、意図的に暴力シーンの連続性を切断している点などに砂川さんの筆力を感じました。

五百蔵:どれだけ逃れようとしても、自分は人生を無駄にしているのではないか、豊かな人生を送れていないのではないか……という問いに舞い戻っていってしまう主人公の描き方を通じて、人間の普遍性に触れられている作品だと感じました。これだけのスケールの作品を書いた砂川さんには、ふさわしい評価が与えられてほしいですね。

トヨキ:今回も、1月19日の受賞作発表が楽しみです!

初出:P+D MAGAZINE(2022/01/19)

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