【大人の童話の世界】ちょっと怖くて切ない、日本の“R-15童話”セレクション

幸せな結末で終わることが多い“童話”。しかし中には、バッドエンドだからこそ共感できたり、切ない余韻が残ったりするお話も。今回は、3人の代表的な児童文学作家の作品の中から、大人にこそ読んでほしい名作童話を紹介します。

魔法が解けて、永遠の自由を手に入れる。素敵な王子さまと結婚する。――子供のころ、大人に読み聞かせてもらった“童話”の終わり方は、いつでも「めでたしめでたし」でした。

けれど、大人になり、いつしか現実の世界に慣れ親しんだ私たちは、自分の足にぴったり合うガラスの靴がないことも、家で待っているだけでは王子さまが迎えにきてくれないことも知ってしまいました。

かつて感動した童話を読みかえしても、その結末が“ご都合主義”に思えて入り込めなくなってしまった……という現実派の皆さま。それならばたまには、大人になった今だからこそ味わえる、ちょっぴり悲しくて残酷な結末の童話を読んでみませんか?

今回は、代表的な日本の児童文学作家3人の作品から、「めでたしめでたし」では終わらない、R-15指定を付けたくなるような童話を厳選。時にゾッとし、時にホロリと泣かされてしまうような、一筋縄ではいかない作品の数々をお楽しみください。

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人の“情念”を浮かび上がらせる、児童文学の父/小川未明

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1000以上の童話を世に残したことで、日本における「児童文学の父」と呼ばれる小川未明おがわみめい。未明の作品には、童話に似つかわしくない仄暗さや怖さが目立つものも少なくありません。

その作風を「暗すぎる」「救いがなさすぎる」と指摘する人も多く、没後50年を超えてなお、評価が大きく分かれる作家のひとりでもあります。人間の情念の強さや業の深さを格調高い文章によって描いた未明の童話は、大人にこそ読んでほしい作品揃いです。

『赤い蝋燭と人魚』

赤いろうそくと人魚
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【あらすじ】

人間は優しい生き物だ、と信じた北の海に棲む人魚が、海辺の街の神社で子供を産み落とす。ろうそく屋の老夫婦に拾われた人魚の子供は美しく成長し、やがて「娘が絵を描いたろうそくを神社に灯して漁に出ると、時化にあっても無事に帰れる」という言い伝えが広まる。
ある日、その噂を聞きつけた香具師が、娘を売れと老夫婦に迫った。はじめは嫌がっていた老夫婦も、香具師に説得されて娘を手放してしまい……。

1921年に発表された『赤い蝋燭と人魚』は、そのあまりに暗い結末から「子供に読ませるとトラウマになるのでは」と時代を超えて議論を呼び続ける、いわば童話界の問題作です。

拾われたろうそく屋の老夫婦に愛され、美しく育った人魚の娘。しかし、口のうまい香具師に言いくるめられた老夫婦は、娘を売ることを決めてしまいます。可哀想な娘は、屋敷を去る前になって悲しみのあまり、それまで魚や貝といった美しい絵を描いていた白い蝋燭を、真っ赤に塗ってしまうのです。
残された赤い蝋燭と、老夫婦が住む街が辿る運命からは、“復讐”の恐ろしさに思いを馳せずにはいられません。人間のエゴイズムの底知れなさがわかる、切なく、悲しい童話です。

『金の輪』

小川未明童話集
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【あらすじ】

ある日、病気がちな少年、太郎が道にたたずんでいると、ひとりの少年が美しいふたつの輪を回しながらこちらに向かってきます。少年はその美しい輪を音を立てて鳴らしながら、道を通り過ぎるとき太郎に微笑みかけるのでした。
太郎は、その晩、金の輪をひとつ少年に分けてもらう夢を見ます。
翌日、太郎は熱を出し、2~3日経って亡くなってしまいました。

わずか5ページほどの、ショートショートとも言えるこの作品。あらすじどおり、あまりに暗く救いのないお話です。この童話に登場する少年は、“金の輪”を持っている描写から天使とも、太郎の命を奪う死神とも捉えられます。

少年が金の輪を使ってしているのは「輪回し」という遊び。「輪回し」という言葉に、単なる子供の遊びではなく、“輪廻”を連想する方も多いのではないでしょうか。少年は、もしかすると「輪」を太郎に託すことで、太郎の次の人生への橋渡しをしたのかもしれない……。そんな解釈も考えられます。
宗教的、倫理的観点からもさまざまな捉え方ができそうな、不思議な後味の残る作品です。

「ほんとうに人間はいいものかしら」と、私たちに問い続ける/新美南吉

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人間の心の機微を、あたたかく、味のある筆致で表現する新美南吉。代表作の『手袋を買いに』など、その作品の多くは子供にもわかりやすい語り口でありながら、読み終えたあとにふと考え込んでしまうような余韻が残るのが特徴です。

29歳の若さで亡くなった新美南吉の作品は、決して多くありません。しかし、さまざまな愛の形を素朴に、情緒的に描いた南吉の童話は、今もなお時代を超えて読まれ続けています。

『ごんぎつね』

ごんぎつね
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【あらすじ】

いたずら好きのきつねの「ごん」は、川で魚を獲っている兵十を見かけ、こっそり兵十の魚を逃がします。何日か経ち、兵十の母親が亡くなったことを知ったごん。ごんは、「兵十のおっ母は、床についていて、うなぎが食べたいと言ったにちがいない」と、自分のしたいたずらを後悔するのでした。
それから毎日、ごんは山でとれた栗やきのこを兵十の家に届けてやるようになります。栗やきのこは、神様からの贈り物だと信じている兵十。ある日、こっそり家に入ってきたごんの姿を見つけると、兵十はごんを火縄銃で打ってしまうのでした。

誰しも一度は読んだことがあるであろう名作童話、『ごんぎつね』。しかし、新美南吉がわずか18歳にしてこのお話を書いたという事実は、意外と知られていません。南吉はこの物語を、幼い頃に聞かされた口伝えの昔話をもとに創作したと言われています。

「ごん、お前だったのか。いつも栗をくれたのは」
ごんは、ぐったりと目をつぶったまま、うなずきました。

小さな頃、兵十とごんのこのやりとりに涙した方も多いのでは。いま読み返すときっと、母親が死んでひとりぼっちになった兵十のさみしさや、善行を「神さまのしわざ」だと早とちりされるごんのやるせなさなど、結末以外にもグッとくるポイントが見つかるはずです。

『花をうめる』

花をうめる
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【あらすじ】

主人公は幼い頃、地面に穴を掘って花を隠し、他の人がその場所を当てるという遊びに熱中していた。ある日、近所の林太郎とツルの3人で花をうめる遊びをしていた主人公は、隠された花を探す役になるが、どれほど探しても花は見つからない。数日後、彼は林太郎に「ツルは最初から花を埋めなかった」と種明かしをされる。
密かにツルを好いていた主人公は、中学を出てからツルと恋仲になる。しかし、ツルは主人公の思い描いていたような女ではなく、彼は幼い頃の遊びの記憶を重ねながら、ツルに幻滅するのだった。

新美南吉の童話の中ではあまり知られていない『花をうめる』。「うめた花を探す」という幻想的なモチーフと、好きだった女の子に幻滅するという生々しいストーリーが同居する、やや異色の作品です。

幼い主人公は花がいつまでも見つからないことに焦りを覚えながらも、その花の美しさを思って自分を勇気づけるのでした。しかし、ツルは本当は花をうめていない、と林太郎に告げられたときのことを、大人になった彼はこんな風に回想します。

それからのち常夜燈の下は私にはなんの魅力もないものになってしまった。ときどきそこで遊んでいて、ここには何もかくされてはないのだと思うとしらじらしい気持ちになり、美しい花がかくされているのだと思いこんでいた以前のことをなつかしく思うのであった。

そして、やがてツルと逢い引きをするようになる主人公。ツルに抱いていた美しいイメージはいつしか、花の幻想もろとも消えてしまうのでした。

しかし彼女はそれまで私が心の中で育てていたツルとはたいそうちがっていて、普通のおろかな虚栄心の強い女であることがわかり、ひどい幻滅を味わったのは、ツルがかくしたようにみせかけたあの花についての事情と何か似ていてあわれである。

大人なら一度は味わったことがあるであろう、人に抱いていた幻想が崩れる瞬間。残酷ながらも、「あるある」と共感してしまうような作品です。

“サーカス”のモチーフが見せる幻想とさみしさ/別役実

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日本における不条理演劇の第一人者である劇作家の別役実は、童話作家としても数多くの作品を発表しています。中学生のとき、国語の教科書の教材として『空中ブランコのりのキキ』を読み、その結末に息を飲んだという方もいらっしゃるのではないでしょうか。

別役実の童話の多くには“サーカス”がモチーフとして登場します。明るさや滑稽さと、ブランコ乗りや象使いといった芸人たちの血の滲むような努力が共存するサーカス。華やかな舞台だからこそ、その裏にあるさみしさが浮き立つのかもしれません。

『空中ブランコのりのキキ』

空中ブランコ

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【あらすじ】

町で唯一、三回宙返りができる空中ブランコのりのキキは、サーカスの花形でした。しかしある日、隣の町のサーカスのブランコのりであるピピが、三回宙返りを成功させたという話がキキの耳に入ります。
次の公演で、死ぬ覚悟で四回宙返りをやろう、とキキが決めたとき、不思議なおばあさんが現れて、澄んだ水の入った小瓶をキキに渡すのでした……。

「三回宙返り」ができるおかげで、街じゅうの人気者であるブランコのりのキキ。キキはその評判の中でいつも幸福である反面、「だれかほかの人が三回宙返りを始めたら」という不安も抱いています。
ある日、ついにほかのブランコのりが三回宙返りをやったというニュースを耳にしたキキは、迷わず「四回宙返り」に挑戦して死のう、と思うのです。

物語の前半、「四回宙返りなんて無理さ」とピエロにたしなめられたキキは、こう答えます。

「でも、だれかが、三回宙返りを始めたら、わたしの人気は落ちてしまうよ。」
「いいじゃないか。人気なんて落ちたって死にやしない。ブランコから落ちたら死ぬんだよ。いっそ、ピエロにおなり。ピエロなら、どこからも落ちやしない。」
「人気が落ちるということは、きっと寂しいことだと思うよ。お客さんに拍手してもらえないくらいなら、わたしは死んだほうがいい…。」

キキにとって、ブランコのりとしての名声を失うことは、死ぬことと同じでした。
“自分にしかできないこと”に命を捧げるキキは、幸福なのか、不幸なのか。アイデンティティの正体を、私たちに問いかけるような美しい童話です。
果たして、翌日の公演でキキの四回宙返りは成功したのか? それは、ご自分の目で確かめてみてください。

『迷子のサーカス』

淋しいおさかな
(『迷子のサーカス』収録)
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【あらすじ】

広い砂漠の真ん中で、とあるサーカスの一団が迷子になっていました。星を目印に行き先を案内してくれるはずの道案内人も途方に暮れ、団員たちは、無事に次の街につくように祈るばかり。
案内人の男は、計算した結果、西の空に見える赤い星に向かって歩けば次の街につく、と言います。喜んだ一同は赤い星に向かって歩き出しますが、やがて反対方向から別のサーカスの一団がやってきて、「青白い星に向かっていけば、次の街につく」と語り……。

砂漠の真ん中でふたつのサーカスが迷子になる。そして、どちらかの目指す方向は間違っている……。そんな絶望的とも言えるシチュエーションの中で、物語は静かに、淡々と進みます。
ふたつのサーカスはやがて、銀貨を投げて裏が出たら赤い星の方向、表が出たら青い星の方向にみんなで向かおうと決めます。しかし、片方のサーカスの団長が、それを止めるのです。

「やっぱりここで別れて、あなた方は青いお星さまの方向、私たちは赤いお星さまの方向へ行ったほうがいい。そうすれば、少くともひとつは街へ行き着けるのだからね。ここで二つがまとまって、一つの方向を目指し、それが間違っていたら、あの街のカーニバルのために、サーカスがひとつもなくなってしまうじゃないか」

それぞれの方向を目指して再び歩き出したふたつのサーカス。やがて、片方のサーカスは、自分たちの方向が間違っていたことに気づきます。そのとき、彼らはなにを思い、どう行動するのでしょうか?
最後の一行にはきっと、涙する人も多いはず。さみしさの裏に、人の優しさや信じることの強さを感じられる、隠れた名作です。

おわりに

本来は、幼い子供のためのものである“童話”。今回ご紹介した童話の中には、子供の情操教育にふさわしいかどうか、ちょっと心配になってしまうような作品も少なくありません。
しかし、そんな作品も楽しむことができるのが大人の醍醐味。小さな頃はピンとこなかった童話にも、読んだことがない童話にも、今改めて手を伸ばしてみれば、きっと新しい世界が見えてくるはずです。

初出:P+D MAGAZINE(2017/04/17)

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