【著者インタビュー】真山 仁『タングル』/日本とシンガポール、そして旧世代と新世代とが衝突しながらも高め合い、長き停滞からの脱却をめざす小説

シンガポールの資金と日本の光量子コンピューター研究を組み合わせ、両国で共に最先端に立つために、主人公・望月はシンガポールに向かう。沈みゆく経済大国ニッポンは、起死回生を遂げることができるのか? 大国間の策略と熱い人間ドラマを描いた著者にインタビュー!

【ポスト・ブック・レビュー 著者に訊け!】

沈みゆくニッポンに再び夜明けは訪れるのか!? シンガポールを舞台に描く大国間の謀略と熱き人間ドラマ!

タングル

小学館 1870円
装丁/岡田ひと實(Fieldwork)

真山 仁

●まやま・じん 1962年大阪府生まれ。同志社大学法学部政治学科卒。新聞記者、フリーライターを経て、2004年、『ハゲタカ』で小説家デビュー。日本の諸問題に金融面からメスを入れる偽悪的ヒーロー、鷲津政彦の活躍を描く同シリーズはスピンオフも含め計7作を数え、ドラマ化や映画化もされた。著書は他に『売国』『コラプティオ』『当確師』『神域』『墜落』や、ノンフィクション『ロッキード』『〝正しい〟を疑え!』等。164㌢、O型。

我々世代と若い世代が互いの強みを生かし新しい協力の形を見出していければいい

 表題の『タングル』とは一般に「もつれ」を意味し、〈量子物理学においては、二つのビットが同時に起きる状態を指す〉という。
 この物理学特性を、真山仁氏は日本とシンガポール、そして旧世代と新世代とが衝突しながらも高め合い、長き停滞からの脱却をめざす小説に結実させた。
 シンガポール政府観光局からの〈問題点を含めて我が国のあるがままを、思う存分書いて欲しい〉という小説の執筆依頼、さらには東大工学部・古澤明教授の全面協力など、始まりからして数々の幸運に恵まれたという本作の鍵を握るのは、〈光量子コンピューター〉を巡る研究開発の最前線。
 それはモノづくり大国に返り咲く突破口となりうる、一歩先の技術でもあった。

「実は今回の企画は元々、ある雑誌からのタイアップの話がきっかけだったんです。14年9月に行なわれたシンガポールGPに絡めてシンガポールの現状をレポートしてほしい、F1に詳しい必要も、国を褒める必要も全くないというのが、政観側の出した条件だったそうです。
 その記事をご覧になったあと、次は小説を頼もうという話になったとうかがいました。それで日本軍の侵攻の歴史に絡めた宝探しの話を提案しようとしたら、『そんなの求めてません』と。『真山さんならではの視点で、我々を本気で批判してほしい。そのために貴方が指名されたんだから』と言われ、こちらも火が点きました」
 実は観光嫌いで、シンガポールも今回が初めてだったという小説家の目は、1人あたりのGDPが世界一である〈アジアの優等生〉といったイメージの裏側に向けられる。
「本当は物作りもやりたいのに、結果がより早く出る金融や観光に結局は頼ってしまったり、我慢があまり得意じゃない国なんです。作中に書いたジュロン島の化学コンビナートも中身は日欧米ブランドで、だからこそ自国産業を育てようとスタートアップを集めてはいても本格化はまだ遠い。だったらバブル崩壊以降、大手が誰も投資しなくなり、科研費を奪い合う日本と、お金はあるシンガポールが強みを生かし、競争力のある研究が資金不足でシュリンクしていく事態を避けるためにも、手を組んだらどうかと思いついたんです。開発以前の研究に投資できるか否か、、、、、、、、、、、に、世界をリードできるかどうかはかかってくると思うので」
 物語はODA関連事業で高い実績を誇る総合商社を早期退職し、片田舎の大学で教鞭をとる主人公〈望月嘉彦〉のもとを、〈産業振興の裏業師〉とも畏れられた元通産審議官〈天童寛太郎〉が訪ねてくることで始まる。
 インドネシアやシンガポールで巨大案件を多々まとめ、経験も人望も十分な望月に、82歳のレジェンドは〈ニッポンが好きか〉と切り出し、〈日星両国共同のシリコンバレーをつくる〉〈私が君に期待しているのは、沈みゆく経済大国ニッポンが起死回生を遂げるための牽引役だ〉という。
 要はシンガポールの資金と〈規制緩和という魔法〉、これに東都大〈早乙女貴一〉教授が進める光量子コンピューター研究を組み合わせ、両国で共に最先端に立とうという理屈なわけだが、かつてジュロン島開発も手がけた望月には、日本のために、、、、、、計画を進める天童の本性が見え見えだった。
 それでもシンガポールはかつて大義を信じて働いた土地であり、何より光量子コンピューターが〈極めて省電力〉なことに将来性をみた望月は、天童に借りを返すためにも現地に向かう。
 そしてシンガポール側の若きプロジェクトリーダー〈フェリシア・タン〉や、老若男女に人気の若手政治家〈ボビー・チャン〉。ある失敗が元で早乙女研を辞め、旧友の投資会社に籍を置きつつ、研究を手伝うことになった元助教〈小森大〉ら、世代も立場も様々な人々を巻きこんで、〈オペレーション・夜明けドーンは始動する。

デビューしてからずっと怒ってます

「私が最も心惹かれたのも、節電に繋がるという点です。
 目下最先端のスーパーコンピューターは原発1基分の電力を消費するとも言われ、その開発は地球温暖化の時代とまさに逆行する。AIだ自動運転だと叫ぶ前に無駄な電力を食う怪物を駆逐するべきで、既に速度の競争でしかないスパコンにまだ投資する? なぜ量子じゃないの? って、要するに私は怒ってるんです。真山仁としてデビューした18年前から、日本はどうしてこうなんだ、なんで変われないんだって、ずーっと怒りっぱなし(笑)。
 本音では量子物理学は難しいから、物理が苦手な文系人間としては扱いたくない。なのに調べれば調べるほど、これは伝えなくちゃいけないという思いが募っていくんです。あんまり怒り過ぎるとテーマが重くなり、エンタメ力が落ちてしまう。だから、複雑な仕組みや先進性を解説するよりも、最も大事な核心や構図を抽出し、物語の形で分かりやすく提示することを目指して〈シュレーディンガーの猫〉の喩えを入れたりしました。読者がその技術の何が凄く、何が面白いのかをわかってくれれば、それで十分ですから」
 一方、シンガポール側では国父リー・クアンユーの元側近〈ドニー・リュー〉がボビーらの行く手を阻む。本書は重鎮の老害に対する、排除と駆逐の物語でもある。
「今回は何も変わらないと溜息をついて終わりじゃなく、何とか元凶を駆逐するところまで書いてみたくて。
 枠組みを変えるにはまず人を変えなきゃダメなのに、重鎮達が口を出し、時計を元に戻してきた。今のままではまずいと言っていた私の同世代も退職を前にいよいよ焦り始めている。現役中に何とかしたかったのに何もできなかった、せめて自分が弾除けになるからバトンを頼むと、それは私の個人的な思いでもあります」
 望月やボビーのような若い世代の試行錯誤を見守る者の存在価値は、たぶん国や時代を問わない。
「ただし我々も若い世代がトライ&エラーしてくれないことには守りようがない。たぶん挫折が恰好よかった時代はもう終わったんです。そうした齟齬はありつつ、互いの強みを生かした新しい協力や共生の形を、国や人や様々な局面で、見出していければいいですよね」
 いわば0か1かではなく、0も1も共存するのが量子物理学であり、〈本当は地球上の森羅万象に近づくための考え方に過ぎないんだ〉とある。人も国も、きっと同じだ。

●構成/橋本紀子
●撮影/朝岡吾郎

(週刊ポスト 2022年12.23号より)

初出:P+D MAGAZINE(2022/12/21)

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