古風さが、かえって新鮮 石田千 おすすめ4選
2001年、「大踏切書店のこと」で第5回まで「古本小説大賞」として行われ、6年目の平成18年/2006年に規定を変更し、「古本文学大賞」を受賞した石田千は、日々の丁寧な暮らしぶりを綴るエッセイが人気で、『あめりかむら』などの小説が芥川賞候補になったこともある作家です。そんな石田千のおすすめ作品4選を紹介します。
『バスを待って』路線バスでのワンシーンを切り取った短編集
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バスでの、偶然の出会いやふとした場面を描いた20の読み切り短編集です。
例えば、夫に先立たれた高齢の女性がバスに乗り、ひそかに人間観察をしている場面です。
いちばん前の席があいた。となりのおじいさんは、いそいで移動して、椅子によじのぼった。男のひとは、いつでもあの席が好きでおかしい。雄介の子どものころを思い出す。そしてあのひとも、いつもあそこをめがけていそぎ足に乗りこんだ。ふたりでならんで座ることなんてなかった。
バスでどこに座るかでその人の性格が分かる、という説もありますが、最前列の高い座席は見晴らしもよく、そこがお気に入りという人もいるでしょう。反対に、最後尾が定位置で、そこでいつも本を読んでいる女子高生も。そのちょっと気になる彼女と、高校卒業の日にバス停で鉢合わせた主人公の心の動きを綴った1編もあります。
他に、最終バスで寝過ごしたまま車掌さんに気づいてもらえず、目が覚めたら車庫の中にいたサラリーマン、雨の日だけバス通学する片思いの人と偶然の出会いを装ってバス停で待ち続ける女子、電車に比べあちこちに停まって時間はかかるけれど遠足気分が味わえるからと、あえてバス通勤するOL、子役でデビューし有名になったためバスに乗ったことがないけれど、役作りのため一度乗ってみたい女優、など、どれも面白い切り口から描かれています。
『ヲトメノイノリ』76歳女性、ピアノ未経験だけど、『乙女の祈り』が弾けるようになりたい
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潮子は76歳。子どもの頃、ピアノを習いたいと思っていましたが、戦時中のことで、芸術を愛好することなど許されず、実家にあったピアノも金属を供出するという名目で運び出され、大人になってからは日々の暮らしに追われて、結局憧れのまま歳を重ねてしまったという女性です。
潮子は、近所のピアノ教室の門を叩き、『乙女の祈り』一曲だけでいいから弾けるようになりたいとお願いします。先生は、その年で初心者では厳しいと難色を示しますが、潮子は食い下がります。そして、『乙女の祈り』はオクターブで指を動かす箇所が多く、手の小さい潮子には難しいので、もっと簡単な曲をと薦める先生に、どうしてもこの曲でなければならない理由を話すのでした。
ゆり子先生は、潮子さんに手足の指のマッサージ、ストレッチ方法から教え始めました。みぎ手と左手でのじゃんけんやら、ハンカチを指でつかむやら。
「マッサージは、朝晩欠かさないで下さい。あとは毎日、オクターブでおさえてピアノのはしからはしまでを10往復、慣れた30、50往復と増やす」
潮子は指を広げるために、先生が考案した「オクターブ養成ギプス」なる、親指と小指のあいだに割り箸をわたして、ぐるぐるにくくりつけたものを装着するほどの気の入れようです。そして、先生は、拙いながらも音楽する喜びにあふれた潮子の演奏に胸を打たれるのでした。
「潮子さんが弾いていると、このピアノ、よろこぶ。はじめて笑ったみたい。すごくきげんよく歌ってる。いまだってピアノが音を出したくて、待ちかねている。さすがに、おちこんだ。だって潮子さん、すごいんだもん。なんにも弾けないのに、もうじぶんだけの音楽が、しっかりわかってるの。こっちは30年もかかって、外国までいってもなんにもつかめなかったのに。最初の一音だけでぞーっとした。この音しかないっていう音。幸せそうで、あったかくて、強くて」
先生自身は、かつて天才少女ともてはやされ、親の期待を背負って留学までしたものの、ピアノは自分が好きなことではなく、嫌々やらされてきた、と思っている人物で、潮子が心からピアノが好きだと思っている様子に羨望を抱きます。
ピアニストとしては大成できず、小さなピアノ教室の講師に甘んじている自分にどこか釈然とできず、「天才の苦悩は凡人には分からない」と、日々の憂さを飲酒でごまかしているゆり子先生。そんな娘にむかって母は言います。
「潮子さんっていうひとはね、ずうーっと真剣に、生きるべき道をひたすらさがしてきたひとですよ。あんたみたいに、芸術だ表現だってかっこいいこといって、目のまえのやるべきことから逃げてばっかりの弱虫とはちがうの。いいですか、じぶんの音楽を作るっていうのは、じぶんのまんまでしょうがないけど、それでもやるしかないって腹をくくることでしょう。あんたは、ショパンでもベードーベンでもないんだから、缶チューハイぷしゅーとあけて、ごくごく飲んで幸せなら、その幸せを心底あじわって理解しなくちゃいけない。ひとに教えられることがあるんなら、まず噓偽りなく生きていなきゃ、伝わらない」
年若い先生と、老齢の生徒の相互作用を描いた一作です。
『箸もてば』日々の食生活、スローライフを綴った滋味豊富なエッセイ集
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自炊をする独身女性の暮らしを綴ったエッセイ集です。20歳まで実家暮らしをしていた頃は、千切りもできなかったという著者。それが50歳を目前にした今や、冷や飯はレンジではなく蒸篭で蒸し、食パンはトースターではなく網で焼き、ハンバーグとミートソースでは合いびき肉の牛と豚の配合を変えるほど、細やかな気のくばりよう。
食べ物とゴミの境目はどこにあるのだろうと考える著者は、食品を無駄にできない様子。
畑をしている友だちが育ててくれた、大事な菜っぱなのに、きょうこそ明日こそと、そのままにしていた。あわてて、冷蔵庫から小松菜を救出する。あんのじょう、葉さきがきいろくなって、しなびかけていた。ごめんなさいね。根もとを切り、水に挿す。5分もたたず、ぴんとしてくれて、ありがたい。
誰も見ていないひとり暮らしでも、手抜きせず、自分の体を慈しむような暮らしをする著者に頭が下がるような一冊です。
『役たたず、』世の中のすべてのものは、一見役に立っていないようでも、役に立っている
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世の中の「役立たず」なものを集め、それが本当に「役立たず」なのかどうかに考えを巡らせる、著者初の新書です。
ある日、足の裏に、形がいびつで色がまだらなほくろを見つけた著者。悪性の可能性が高いということで、ある病院では、ひと月入院して切除し、それからリハビリ歩行するという治療方針を告げられます。そのことに抵抗があった著者は、別の病院に行き、定期的にほくろの一部を切り取って、病状が進行していないが検査する、という代替案を選びます。
半年にいちど、色かたちが変わっていないか、見ていただく。
……変わらず、ですね。
先生方みなさんがつぎつぎ、足の裏に顔をちかづけ、のぞいていく。そのあとは、恒例の撮影会となる。足の裏にカメラのレンズをぴったりくっつけ、上から下から、カメラをたてよこにして、カシャリカシャリとほくろを写していただく。珍しいかたちなので、なにかの資料になさっていると聞いた。きょうも、先生は、なんだかうれしそうだなあ。のんきな患者は、そんなふうにながめている。
さんざん心配させられたほくろも、ようやくなつかせ二人三脚となり、ちょっと愛着も湧いて来た。なにしろ、医学の進歩に貢献している。全身でいちばん偉くなっている。
役に立たないどころか、自分に害を与えるかもしれないほくろも、「医学の進歩に貢献している」と思えば、少し愛おしく感じられるという著者。
他に、小学生のとき意味も分からず暗唱させられた詩句や、授乳をしないオスにもある乳首、安くて見栄えのよい既製品があるのに手編みしたマフラーなど、いったいこれが何の役に立っているのかと思えるものを、著者独自の視点で掘り下げていきます。
誰かの役に立とうと気負わずとも、ただ生きているだけで誰かの役に立ってしまうのが人間だと述べる著者。究極的に言えば、引きこもりの人がウーバーイーツを頼めば、そこで働く人の雇用機会を創出することになる、という具合です。
すぐに役に立つものかどうかで物事を峻別し、役に立たないと思うと人でも物でもすぐに切り捨てる現代人へのアンチテーゼともいえる一冊です。
おわりに
どこか古めかしいような美しい日本語を用い、ほんわかした文体で綴られる石田千の作品は、年齢を重ねた読者にはどこか懐かしく、また若い読者には、この古風さがかえって新しく感じられるのではないでしょうか。ささいな日常を描いて深い余韻を残す、石田千の世界を味わってみては。
初出:P+D MAGAZINE(2022/12/21)