東山彰良著・直木賞受賞第一作『罪の終わり』が描く、神と呼ばれた男の人生。著者にインタビュー!

崩壊した世界。すべてが壊れた場所で、価値観をめぐる闘争が始まる。『流』から一年、さらなる注目を集める作家・東山彰良が描く、神と呼ばれた男の人生。その創作の背景を、著者にインタビューしました。

【ポスト・ブック・レビュー 著者に訊け!】

注目を集める作家が

神と呼ばれた男の人生を描く

直木賞受賞第一作

『罪の終わり』

罪の終わり

新潮社 1500円+税

装丁/新潮社装幀室

東山彰良

※著者_東山彰良

●ひがしやま・あきら 1968年台湾生まれ。5歳まで台北で育ち、9歳から福岡県在住。西南学院大学大学院修士課程修了。2002年『タード・オン・ザ・ラン』で第1回「このミステリーがすごい!」大賞銀賞・読者賞を受賞、翌年『逃亡作法―TURD ON THE RUN』でデビュー。09年『路傍』で大藪春彦賞、15年『流』で直木賞。『ブラックライダー』は「このミステリーがすごい! 2014」3位、「AXNミステリー闘うベストテン2013」1位等に選出。183㌢、72㌔、B型。

立場を明確にすることに違和感がある僕は

絶対だと信じる価値観を相対化したかった

その出来事の前と後とで、世界が一変するほどの事件や災害。東山彰良氏の『罪の終わり』でいう〈六・一六〉もまた、新たな救世主が待望されるには十分すぎる災厄だった。

舞台は22世紀のアメリカ大陸。2173年6月16日、〈ナイチンゲール小惑星〉落下に伴う地殻変動や気温低下で食糧事情は逼迫し、東部政府は全長900㌔に及ぶ〈キャンディ線〉以東に保護を限定、それ以外の地域では〈食人〉すら常態化する極限状況に陥った。

本作では台湾に生まれ、米国人夫婦の養子となった〈ネイサン・バラード〉を話者に、彼が六・一六後の世界に君臨する〈ナサニエル・ヘイレン〉と、稀代の食人鬼〈ダニー・レヴンワース〉の行方を追った日々を振り返る。〈白聖書派教会〉から2人の処分を命じられた彼は、ナサニエルのに満ちた生涯を書き綴り、読者はその評伝を読むという形を取るのである。

なぜ一介の不幸な青年が〈黒騎士ブラックライダー〉として崇められ、信仰の対象となり得たのか。神話にはそれを求める時代と、絶望が必要らしい。

実はナサニエルの名は、『ブラックライダー』(13年)に既に登場している。六・一六から数十年、その名も「ヘイレン法」が食人を公に禁じた世界に暗躍する黒騎士の、初代の名として。

「そこでは伝説の男として登場する程度ですが、僕自身がナサニエルのことをもっと知りたくなって、実は直木賞を頂いた『流』が出る前には初稿を書き上げていました。受賞作との違いに驚く方もいると思いますが、作家は誰しも自分が読みたい物語を書いている部分があるし、フィクションとして純粋に楽しんでいただければ、それで十分です」

欧文の表題には「JESUS WALKING ON THE WATER」とあり、評伝の作者ネイサンはキリストが湖上を歩いたとされる奇蹟にナサニエルの伝説をなぞらえている。〈イエスは世界に失望した人々の希望であり、生きるよすがだった〉〈ナサニエル・ヘイレンという若者もしかりである。彼が母親を殺したという事実も、彼の神格化とけっして無関係ではない。黒騎士の存在は、人間はだれしも罪を背負っており、その罪はきちんと償うことができるのだという人々の願望を反映しているのだ〉

生きるために人を食らい、それでも神に愛されたいと願う人々から救世主に祀り上げられたナサニエルは、実際はどんな生い立ちを持ち、なぜ母を殺したのか。事実を追うネイサン自身、女性を監禁して生きたまま火を放ち、自慰に耽った牧師の11人目の被害者として妻を失っていた。標的を追い南部や西部の現実を目の当たりにし、飢えを満たすための殺人には真理すら覚えた彼も、牧師の性癖に感じるのは不条理でしかない。

「要は文明が崩壊した世界を舞台に、我々が絶対だと信じている価値観を相対化してみたかったんです。

例えばナサニエルが刑務所で出会うレヴンワースは、映画にもなった伝説の食人鬼ですが、文明社会で悪魔扱いされた存在が、状況次第では英雄にだってなりかねない。同じように一介の犯罪者に過ぎないナサニエルの罪が人々を罪の意識から救い、2人が救世主と使徒のような形で伝説化される危うさが説得力をもつためにも、このフィクションにしてノンフィクション的な文体はピッタリでした」

目的はあくまで相対化にあり、富裕層の多くが装着する次世代型情報検索端末〈VB義眼〉等のSF的小道具も、「22世紀なので仕方なく」考えたという。

「僕はスマホどころか携帯電話も持たないし、終末の訪れ方も惑星衝突とか核の冬とか、陳腐なものしか思いつかない(笑い)。

でも本書にはそれで十分で、終末物の映画などが好きなのも、自分の出自もあって絶対的価値に対する懐疑が人一倍強いからだと思う。僕は台湾で生まれ、日本に40年以上住む自分を、未だ台湾人とも日本人とも言い切れずにいる。もちろん山東省出身の反共戦士だった祖父のように大陸人でもない。ところが社会的には立場を明確にしろと求められることも多く、違和感と相対化が自分の作品を貫くテーマかもしれないと、実は本書を書いて気づいたんです」

旅や移動を通じて何かに気づく図式  

クラカワー『荒野へ』やマルケス『百年の孤独』を彷彿とさせる壮大で疾走感溢れる黙示録は、海外文学や映画好きを常々公言する東山氏の真骨頂と言える。

「元々『ブラックライダー』の世界観は僕自身大好きな西部劇の焼き直しですし、本書の文体はユダヤ人虐殺の立案者をチェコのヒットマンが暗殺に行く実話ベースの小説、ローラン・ビネ『HHhH』に刺激された。

太宰治の『人間失格』が現状を実は肯定し、変わりたくても変われない読者を救ってきたとすれば、僕は現状を否定して新しい自分を獲得していく物語の方が好きなんです。物事を垂直に掘り下げるより旅や移動を通じて何かに気づくという図式が、本書にも反映されているとは思う」

ナサニエルが白聖書派との対比から黒騎士と呼ばれたように両者を分けるのは教義ではなく、生存を保障される線の内か外かという状況でしかない。

また、彼に救いを見た人々にとっても罪というよりは罪の意識が問題で、結局求めているのは救いの物語だけだ。

だからこそナサニエルが六・一六以前の世界で母親や兄の〈ウディ〉、友人たちとどう生きたのかを、〈歴史は時間を凝縮する〉と認識するネイサンは丹念に取材した。歴史によって凝縮されない、生々しい些事の一つ一つを愛しむように。

「例えば僕が祖父の身体に残る弾痕に想像した痛みや皮膚が焼ける匂いは、歴史や物語からはし取られてしまう。それでも僕がその生々しさを感じて育ったことは動きようがないんです。

また自分の罪に囚われていた青年が誰かを救い、彼の愛犬〈カールハインツ〉が図らずも彼を死に至らしめたように、善意や無辜の行為が本人の意識とは関係なく働く。そういうことも全部ひっくるめて僕はこの終末装置で相対化したかったんです」

『罪の終わり』とは、罪の終わらせ方をめぐる物語の発見と言うこともできよう。発見者は罪の意識に苛まれた人々だが、良くも悪くも生きるためなら何でもする人間を、物語を愛してやまない東山氏は断罪するより、書く旅を選ぶのである。

□●構成/橋本紀子

●撮影/国府田利光

(週刊ポスト2016年7.8号より)

 

 

 

初出:P+D MAGAZINE(2016/07/23)

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