新保信長『字が汚い!』は美文字を書きたい全ての人に捧げる爆笑ルポ!
自分の字の汚さが執筆動機であるという著者。美しい文字を書きたくてもなかなか書けないすべての人に捧げる、手書き文字をめぐる爆笑ルポ。創作の背景をインタビュー!
【ポスト・ブック・レビュー 著者に訊け!】
美しい字を書きたい全ての人に捧げる手書き文字をめぐる爆笑ルポ
『字が汚い!』
文藝春秋
1300円+税
装丁/関口信介
新保信長
●しんぼ・のぶなが 1964年大阪生まれ。東京大学文学部卒。自身灘高→東大だが「頭云々よりせっかちな人は字が汚かったかな。中高生男子の字は基本、汚いし」。出版社勤務を経て「流しの編集者兼ライター」。マンガ解説者・南信長名でも新聞等で活躍。著書に『笑う入試問題』『東大生はなぜ「一応、東大です」と言うのか?』『国歌斉唱♪「君が代」と世界の国歌はどう違う?』、編書に西原理恵子著『できるかな』シリーズ等。173㌢、53㌔、O型。
「字は人を表わす」などの俗説が多いのは、日本人特有の文字意識があるからだと思う
「僕の字は汚いというか、コドモっぽいんですよね。自分も大人になれば大人っぽい字が書けると思ってきたのに、『全然話が違うじゃないか』って(笑い)」
話題作『字が汚い!』の著者・新保信長氏、52歳のなんとも等身大な執筆動機である。マンガ解説者・南信長としても活躍する氏は、字の巧拙が人格をも左右し、今も〈手書き信仰〉が根強いこの国の、字にまつわる各現場を旅することになる。
まわりの字のヘタな人やうまい人に話を聞き、作家や画家、政治家や野球選手等々、肉筆図鑑さながらに標本を採取。併せてペン字教室に通い、各種〈美文字〉ドリルにも挑戦した結果、彼はハタと気づく。自分は美文字ではなく、〈いい感じの字〉が書きたいのだと!
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ちなみに「いい感じ」の「いい」を、新保氏は平板に発音し、あえて表記するなら「イイ感じ」に近い。
「それも、自分にとってのイイ感じの字、ですね。もちろん芳名帳とかに書くときは、いわゆる美文字のほうがいいんでしょうけど。もともとはみんな子供の頃に同じように字を覚えて、学校でも同じように書写や習字を習ってきたはずなのに、なぜこんなに結果がバラバラなのか不思議で。うまい人とヘタな人は何が違うのか、どこで道が分かれたんだろうかと」
字はうまいに越したことはないが、そもそも正しい字などこの世に存在せず、あるはずもない結論を求めて道なき道をゆく著者一流の〈右往左往ルポ〉である。
まず、俎上に上るのは、新保氏から見ても〈“病気レベル”!?〉に汚いコラムニスト・石原壮一郎氏の字。年賀状に添えられた一言は確かに〈ミミズがのたくったような字〉そのものだが、本人は昔から〈イマイチ〉程度にしか思わなかったという。〈特にそれで困るものでもなかったし〉〈字がヘタで絵がヘタで歌もヘタで運動もヘタ〉〈それはそれで“持ちネタ”みたいな〉
「こうなると悟りの境地ですよね(笑い)。石原さんも僕同様、子供の頃は書道を習い、〈日ペンの美子ちゃん〉にフラッときたりもして、それでも字が汚いままなのは〈やる気〉の問題だと。つまり字にこだわる自分と、〈汚いけど気にしない豪快なオレ〉のどちらが好きかという美意識の差というのが石原説です」
また、その字から、石原氏言うところの若き日の〈八千草薫〉似の美人を想像させるような字を書くという女性編集者にも本書は取材。大手出版社勤務、河並亮子さん(仮名)の出身地・埼玉県は書写教育が盛んで、県内限定の〈10Bの書写用鉛筆〉まで販売されているとか。ただし中学に入ると〈そういう大人っぽい字がすごくダサく見えちゃって。私の世代だといわゆる変体少女文字のちょっと進化系というか、なんか変わった字を書くのがカワイイみたいな風潮があって〉と言う。
山根一眞著『変体少女文字の研究』(86年)は80年代に一世を風靡した〈丸文字〉の正体に迫った名著。この中で山根氏が少女漫画にはないと退けたその原点を、著者は『りぼん』にあると指摘している。
「当時〈おとめちっく〉の牙城といえば『りぼん』であって、そこを調査対象にしていないのはおかしい。
また女子の場合、昔からお手紙文化が盛んだからか、カワイイ字とキレイな字を使い分ける人が多いのも、僕にとっては発見でした」
流行はその後、〈長体ヘタウマ文字〉へと移り、学生運動全盛期の〈ゲバ字〉やPOP文字、カフェ文字の類まで、日本人の書き文字の変遷をも本書では遡る。
「『ハーフが美人なんて妄想ですから!!』等の著者、サンドラ・ヘフェリンさんによれば、特にアルファベット圏では字の上手ヘタを日本人ほど気にしないらしく、日本語には字の種類が多いことも巧拙の出る一因かもしれない。戦時中の兵士の手紙を見るとみんな字が上手でビックリするし、〈頭のいい人は字がヘタ〉とか、俗説が妙に多いのも日本人特有の文字意識があるからだと思うんですね。
『字は人を表わす』なんて言葉もありますけど、大人っぽい字の手紙をもらうと、やっぱり“ああ、ちゃんとした人だなあ”という印象は受けますよね。実際どうかは別にして(笑い)」
TPO別に字の引き出しを持つ
〈乱筆乱文にて失礼いたします〉と、各章扉に寄せた著者の直筆の進化は時々の練習成果を映して目を瞠るものがあるが、字の巧拙は結局、訓練次第なのか?
「まあペン字を習って多少マシにはなったんですけど、気を抜くとすぐ汚くなるんです。たぶん昔の人の字がきれいなのも、字は丁寧に書くべしという社会の規範に忠実だったからで、戦後はその
一方で美文字ブームが起こったり、手紙や手書き風フォントなど、アナログ文化への揺り戻しもある中、せめて正式な場ではそれらしい字を書けるとか、服装と同じく、TPOに応じた
しかし書きたいのはイイ感じの字だ。文具店に並ぶ無数の商品からゼブラ社〈サラサクリップ〉を選んだ氏は、イイ感じの字を求めて町を彷徨い、サンプルをかき集めた。読み手不在で我が道をゆく石原慎太郎の生原稿や、党首討論でガッカリするような字を平気で書く安倍首相。また、トラキチの新保氏には野球界の字も気になり、阪神・金本知憲監督の気合だけは伝わる字や広島・石井琢朗コーチの秀麗な筆字など。
「野球選手ならまだしも、政治家は説得力のある字を書くのも資質のうちですし、東野圭吾さんの『手紙』に社内コンペで選ばれて殺人犯の手紙を書いた編集者の字とか、逆に職種や立場によって字の見え方が違ってくるのも面白いですよね。
僕が個人的に憧れるのは荒木経惟さんとか寄藤文平さんの字。普段の字とは使い分けている寄藤さんの営業用の字は、蛭子能収さんの字を手本に
そんな答えともつかない答えに行き着く本書の旅は、途方もない右往左往ぶりにこそ、意味も面白さもある。予断や憶測を避け、脈絡のない現実や細部に光を見る彼は、おそらく根っからのリアリストで冒険者なのだろう。
□●構成/橋本紀子
●撮影/国府田利光
(週刊ポスト2017年5.26号より)
初出:P+D MAGAZINE(2017/09/12)