明治から現在までを見通す『大正知識人の思想風景 「自我」と「社会」の発見とそのゆくえ』

明治ナショナリズム解体時に現れた、大正知識人の思想について論じた本書。40年以上前に提出された博士論文ながら、現在の思想まで見通す力をいまも持ち続けています。

【ポスト・ブック・レビュー この人に訊け!】
大塚英志【まんが原作者】

大正知識人の思想風景 「自我」と「社会」の発見とそのゆくえ

大正知識人の思想風景 書影_
飯田泰三著
法政大学出版局
5300円+税

現在のこの国の思想状況の整理にも有効な「博士論文」

本書は、ポスト明治ナショナリズムとしての大正知識人の思想的な見取り図を「自我」問題系と「社会」問題系の双極で描こうとするものだ。その時、二極の半端な妥協として「自我と共同体のロマン的融合」が成立するという指摘が興味深い。大正知識人が「私」であることに耐えかねて「民族共同体」を志向し、それが昭和ファシズムへと連なっていくと示唆する。
すると柳田國男のロマン主義民俗学や、そこへの起点としての「私」への嫌悪も、本書によって改めて正確に大正思想史の中に位置付け可能となる気がして興味深かった。柳田という「思想家」は、一方では甘美な「私」の自意識を伊良湖の浜辺に流れついた椰子の実に重ね合わせるロマン主義的民俗学と、他方では、それを克服せんとして、「社会」の実証的記述と社会政策論からなる「公民の民俗学」の二極に引き裂かれている。その見取り図の中で柳田や同時代の文学を理解しようとするとわかり易い、という話をぼくは若い人によくするが、柳田は、詩を捨てた「歌のわかれ」のあたりから「自我」の発露をひどく強く自分に禁じていた。それが花袋の私小説批判や、「うぬ憎み」と形容した藤村の自己卑下の癖などを過度に嫌悪した原因にもなる。また、日本語の言霊を生命論的にとらえた折口信夫などは著者の言う「ロマン的生命共同体」論の典型とも改めて思った。
本書が中心的に論じる大正知識人の中に柳田、折口の名はないが、両者の大正思想への位置付けが可能になるだけでなく、「自我と共同体のロマン主義的融合」とは、なるほどラノベに於けるセカイ系であり、「社会」を嫌うネトウヨ的自我が神武天皇のY染色体に男系の血脈を見る向きにつながる。他方では、「無意識」「固有信仰」に固執し始めた近頃の柄谷行人にも案外と露呈しているなど、実は、思いのほか現在のこの国の思想状況の整理にも有効である。40年以上前に提出された博論でありながら、大正思想の前史としての明治から現在までを見通せる力が今もある。

(週刊ポスト 2017年8.4号より)

初出:P+D MAGAZINE(2018/04/28)

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