【著者インタビュー】林典子『フォトジャーナリストの視点』

被写体の日常や人生に寄り添い、世界的に高く評価されているフォトジャーナリスト・林典子氏にインタビュー!

【ポスト・ブック・レビュー 著者に訊け!】

取材対象者との向き合い方や交渉の仕方、写真編集の重要性まで世界的に活躍する著者の「仕事論」

『フォトジャーナリストの視点』
フォトジャーナリストの視点 書影
雷鳥社 1500円+税
装丁/望月竜馬

林典子
著者_林典子1
●はやし・のりこ 1983年川崎市生まれ。米国の大学で国際政治学や紛争・平和構築学を学んでいた06年、ガンビア共和国を研修で訪れ、現地の新聞社The Pointで写真を撮り始める。帰国後もキルギス、イラク等で取材を展開し、ワシントンポスト、ニューズウィーク他、国内外の媒体に寄稿。DAYS国際フォトジャーナリズム大賞、フランス世界報道写真祭報道写真特集部門金賞、石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞等受賞多数。現在英Panos Pictures所属。

社会的・人道的な見地から始めた取材も最終的に個人に届くかどうかが生命線

デジカメやSNSの普及により、誰もが写真を撮り、発信も可能になった時代のフォトジャーナリスト論。このほど『フォトジャーナリストの視点』を上梓した林典子氏の場合、米国での大学在学中、西アフリカの小国ガンビアを研修で訪れたことが転機になった。
研修終了後も現地に残り、独立系新聞社The Pointで働き始めた彼女は、ジャメ政権(94〜17年)の独裁下で言論の自由を奪われる中、命を賭して闘う同僚の姿を目の当たりにしたのだ。
そんな彼らの志を継ぎ、今も内外を飛び回る林氏は、14年の新書『フォト・ドキュメンタリー 人間の尊厳』にこう書く。〈世界中にはニュースにならない現実が溢れている。ほとんど取り上げられることのない社会の片隅で生きる人びとの物語を写真で伝えられるような仕事ができたら〉
それが彼女の原点であり、写真を撮る理由、、、、、、、だった。

男性側の一方的な都合で結婚させられた花嫁たちの生活を追った『キルギスの誘拐結婚』や、ISに故郷を奪われた少数民族の密着記『ヤズディの祈り』など、被写体の日常や人生にこそ寄り添う林氏の作品群は、世界的にも評価が高い。
「例えば誘拐結婚でいうと、それが伝統だという意見と人権の侵害だという意見が両方あり、私自身、それを苦に自殺した人も幸せになった人も両方見ている。実は今のような暴力的な誘拐結婚が増えたのは20世紀以降で、伝統ではないらしいのですが、私にできるのは誘拐結婚を巡る多様な現実を撮ることであり、是非をただすことではないと思う。
むろん発端はキルギスにアラ・カチューという惨い結婚形態があるらしいとか、パキスタンで夫から硫酸を顔にかけられた被害者を取材しようとか、社会的な問題意識に始まってはいる。ただしその場合も先入観や予断を避け、現場での出会いや実感を大事にしながら、コンセプトや伝え方もじっくり時間をかけて考え抜くように心がけています」
〈日本ではフォトジャーナリズムが不在であるように思う〉とある。特に〈上手い写真〉なら誰でも撮れる中、自らの経験を志望者と共有するために書かれたという本書は、自身の来歴やフリーとして活動する上で必要な精神的・金銭的条件など、話は具体論にも及ぶ。
国際機関の職員に憧れ、渡米して国際政治学を学んだのも、「今考えれば学生にありがちな漠然とした夢」だったという。が、The Pointでハビブとジャスティスという2人の記者と出会い、復学後も再訪するほど親交を深めた彼女は、08年11月、そのハビブが27歳の若さで急死したとの報せを受ける。一方ジャスティスも〈ガンビア陸軍の靴を履いた男〉に襲われ、セネガルへ亡命。志を貫いた代償はあまりに大きく、林氏は〈経済的に余裕があったら、家でも車でもなく、新聞社をつくりたい〉と語っていたハビブ達の切実な情熱に突き動かされ、自らも写真表現者として生きることを誓うのだ。
「日本で漫然と生きてきた私にとって、日々命がけで働く彼らの姿はまさに衝撃的でした。ジャーナリズムの存在意義を常に考えるようになりました。最近、イラクでヤズディの取材をした時にも、ISによる攻撃で故郷を追われたある男性が、こちらを向いて言ったんです、『どうか自分たちのことを世界中に伝えてほしい、メディアの力は武器より強いから』と。
その時、私は今もハビブたちとの取材活動の延長にいるんだなとガンビアのことが頭をよぎりました。彼らが何と闘い、どう生きたかを知って欲しいと素直に思った、あの当時の感情は今でも覚えています」

真実とは何か、何を美とするか

カンボジアではHIVの母子感染者、ボンヘイ少年に密着。屑拾いで1日1㌦をようやく稼ぐ彼が母親や祖母と住む家で共に過ごす。元々耳が聞こえず、会話もできない彼が何をどう感じ、何を愛したか、その成長をありのままに撮り続けた。
「彼は16年夏、14歳で亡くなりますが、忘れられないのがその年末、私の写真展で出会った男性の涙でした。『新書に出てきたボンヘイ君は元気ですか?』と気にかけて下さった彼は、私が事情を話すとその場に立ち尽くし、涙ぐまれた。私自身、取材者として出会ったHIV感染者のボンヘイと生活するうちに、彼という一人の人間を撮る、、、、、、、、ようになった。きっとその方も自分の中に棲みついたボンヘイのその後を、個人的に心配してくれていたんだと思うんです。
そうした個人の関係、、、、、こそ私が構築したかったもの。ベトナム戦争の頃のように写真が現実を変えられる、、、、、、、、、、、と無邪気に信じられなくなった時代にも、より個人的で小さな変化を起こすことは十分可能だと思う。むしろ一人一人の意識が変わり、想像力を持った人が増えることの方が大事な気がします。社会的・人道的な見地から取材を始めても、最終的には個人に届くかどうか、、、、、、、、、が、私はフォトジャーナリズムの生命線だと思う」
また彼女はパキスタンで元夫らから顔に硫酸をかけられた女性とも生活を共にし取材。だが一部の施設からは傷跡が酷すぎると写真展を断られる一方、興味本位で取り上げるメディアも多く、〈写真は「美しいもの」だけを撮るべきか〉と本書で改めて問うている。〈私は苦しみ悩んでいる彼女たちと一緒に生活していく中で、「被害者」としての彼女たちだけではなく、それを越えた彼女たちの存在や強さを伝えたい〉〈ただ「醜い」とか「グロテスクだ」とだけ思われたのであれば、それは残念というしかない〉
「写真の編み方も含めてどんなに慎重に表現しても、インパクト重視で一部だけを紹介されてしまったり、紛争地へ行って、こんなにスゴイ写真を撮りましたと、自分探しに終始する撮影者が多いのも事実です。
東日本大震災でも遺体の撮影を巡って議論があったように、真実とは何か、何を美とするか、私たちは理解を一層深めるべき局面にいる。ところが何をもってフォトジャーナリズムとするかという議論から日本は置いてきぼりを食い、私も海外のエージェントに籍を置くことで何とか活動できているのが現状なんです」
それでもフリーに拘るのは、被写体と過ごす時間や何より個人が個人に訴える立場を大事にしたいからだ。写真表現の限界を知りつつ、なおかつ絶望もひねくれもしない彼女は、ガンビアでの約束に誠実であり続ける、真っすぐで強い人でもあった。

●構成/橋本紀子
●撮影/三島正

(週刊ポスト 2018年6.1号より)

初出:P+D MAGAZINE(2018/08/30)

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