【著者インタビュー】原田宗典『〆太よ』
阪神淡路大震災やオウム事件の起こった1995年前後を舞台に繰り広げられる、ジャンキー小説にして、極上の恋愛・青春小説! 構想20年の創作背景を著者にインタビュー。
【ポスト・ブック・レビュー 著者に訊け!】
麻薬中毒者と盲目の青年が世紀末の日本の「正義」を守る無謀と希望に満ちた長編
『〆太よ』
新潮社 1800円+税
装丁/新潮社装幀室
原田宗典
●はらだ・むねのり 1959年東京生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、コピーライター、作家として活躍。『優しくって少しばか』『スバラ式世界』等で支持を得る一方、鬱病を患い、13年には覚せい剤取締法・大麻取締法違反で執行猶予付き判決が確定。15年『メメント・モリ』を上梓、本作は復帰第2作。「最近は織田作之助を読んでいます。大阪の仕出屋の息子だからか薄味なのに奥が深く、本当に文章がうまい」。作家・原田マハ氏は妹。182㌢、90㌔、A型。
不良の要素があり読み手次第で毒にも薬にもなる小説の方が健康的だと思う
「英文学者の福原麟太郎は、本は一冊読み終えることが読書ではなく、
つまりその時間が面白くなければ、次の本へ行けばいい。読み始めたら、文章にドライブ感があって、ずっと読んでいたいとか、読んだ人が
原田宗典氏(59)の最新小説『〆太よ』である。主人公は学生時代に〈西田さん〉という自称遊び人と知り合い、以来麻薬漬けの毎日を送る、〈
舞台は阪神淡路大震災やオウム事件に揺れた95年前後。著者曰く「世紀末の『ライ麦畑』」である今作は、主人公のめくるめく思考が美しくさえある境地に読者を誘うジャンキー小説にして、極上の恋愛小説、青春小説でもあった。
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帯に「構想20年」とある。
「洋一が哲学めいたことをあれこれ考える前半部を書いたのが20年前。その時あんまりうまく書けたもんだから、怖くなっちゃって。そんなふうに考えるのは鬱っぽくなってる証拠なんだよね。ようやく5年くらい前から、そのまま捨てるのが惜しくなって続きを書き始めたんです。正直、よくぞ諦めなかったと、自分でも思います」
かねて鬱病と闘い、13年には覚醒剤所持容疑で現行犯逮捕。そして15年、復帰第一作『メメント・モリ』を上梓した原田氏にとって、本作は設定こそ一部重なるものの、より物語性の強い成長小説となっている。
「これは不良の小説だから賛否両論はあって当然。僕の87歳になる母親も、好きなところもあったけど、嫌いなところもあったと言っていました。
その嫌いなところというのも、洋一が中学卒業の日に、マドンナ〈金田香〉に童貞を奪われたりするHな場面のことで、うちは親父がスケベだったから仕方ないんだけどさ。文学は不良の要素がないとつまらないし、健康優良児みたいに無害な小説なんか、読む意味ないじゃない?
むしろ俺は読み手次第で毒にも薬にもなる方が健康的だと思う。この洋一もクズのわりには物事を真っすぐ見てよく考えているし、
その日、久々に入手した〈天使〉をキメ、〈世界の平和〉について考えながら新宿を歩いていた洋一は、〈キン!〉という金属音に誘われるままバッティングセンターで120㌔に挑み、ヒットを連発。そして傍にいた白杖をつく男に〈いい音させてただろう〉〈何やってんだよこんなところで。迷子になったのか〉と声をかけたのが、〆太との最初の会話だった。
この時、〈迷子じゃないですよ〉と即答した彼の率直さを洋一は気に入り、互いの家を行き来する仲になる。だが永福町の豪邸に住み、父親は闇社会の大物らしい〆太には何かと謎も多く、洋一も自身が麻薬中毒であることは告白できずにいた。
また大学中退後、西田さんの紹介で裏ビデオの宅配を始めた洋一は、AV女優岡島かおりがあの金田香だと知り、再会を果たす。たまたま〆太の近所に住む香は誰が何と言おうとやはり最高の女だった。初体験の時、騎乗位で快楽を貪る彼女に怖れをなした洋一も、今では〈肉体以上の何かを常に男に与えてくれる〉彼女によって、〈男は女といる時だけ男なんだ〉と実感でき、その女っぷりを独占してはならないと思うほど愛した。が、その香が突然姿を消し、〆太共々行方を探す洋一の行く手に、さらなる現代史の闇が待ち受けるのである。
「考える」とは身をもって交わる行為
さて本書には、実は西田さんの知人だった〈松本麻原〉や勝新太郎といったビッグネームまでが登場。当時のリアルな世相を交えつつ、物語はオウムが隠し持つ薬物の略奪作戦など、衝撃の結末へと疾走する。
「若者が宗教に走り、ベルリンの壁が崩れ、震災まで起きた90年代後半、当時30代だった僕にとってもオウム事件は避けて通れないものでした。そこでオウムから覚醒剤を取り上げ、川に捨てる結末だけを決めて主人公二人を走らせたんだけど、結局、僕は目の見えない〆太に見える世界や洋一の
これは戯曲『小林秀雄先生
だからだろうか。〆太の生きる世界に思いを馳せ、香と交わることで真の快楽を知る洋一が語る世界は、発見に満ち、眩しいほどに美しい。かつて洋一は、香は在日朝鮮人だと自分に忠告した級友を殴り、区別や差別について考えたことがあるが、香と再会した今、彼は思う。〈人間はみんな違う一人ずつ全部違う〉〈だから違うという意味において同じなんだ〉〈自分は多数派に属しているからと思って安心してるなんてお笑いだねそんなもの単なる幻想に過ぎない多数派なんてありえないんだ〉〈本当に有効で意味のある境界線はたった一本しかないそれは自分か自分以外の人間かという境界線だけだ〉〈誰かを愛する場合にもこの境界線がはっきりしてないと結果的に自分を愛しているだけだったりするんだよ分かるだろ〉
洋一も、落伍者なだけに見えるものがあり、〆太との友情や香との恋も、生々しいからこそ純粋だった。
「登場人物たちはクズはクズだけど、本書に引いたブランキー・ジェット・シティの楽曲のように、真っすぐ曲がって生きている彼らのビート感を今作で感じてくれれば御の字です。
僕の理想は
読点のない文章の心地いいリズムや登場人物の魅力に引きこまれ、先を急いでしまうのが惜しくなる美しい作品だ。謎や筋運びより、文章そのものの牽引力や文学の底力を堪能できる、いい読書をした。
●構成/橋本紀子
●撮影/国府田利光
(週刊ポスト 2018年6.22号より)
初出:P+D MAGAZINE(2018/09/10)