【著者インタビュー】森田真生『数学の贈り物』/数学を緒に、いまここ=presentの儚さ、豊かさと対峙する

文系から理系に転じ、そして思索者へと転じた独立研究者の著者が贈る初エッセイ集。数学を軸に、この時代に相応しい新たな知のあり方を模索していきます。

【ポスト・ブック・レビュー 著者に訊け!】

新時代の異能が数学研究を軸に、岡潔や芭蕉ら先達の知恵を手がかりとして縦横無尽に思索する初エッセイ集

『数学の贈り物』
数学の贈り物 書影
1600円+税
ミシマ社
装丁/寄藤文平・鈴木千佳子

森田真生
著者 森田真生
●もりた・まさお 1985年東京都生まれ。東京大学理学部数学科卒。在学中に現スマートニュースCEO、鈴木健氏と出会い、ITベンチャーに参加。現在は在野の研究者として「数学ブックトーク」等、国内外でライブを展開。「僕は今の仕事を生計の術とは考えていないんです。自分が表現することを望む人がいる限り食べてはいける。先々のぶんまでたくさんお金を稼がなくては、というふうに〝念のため生きておく〟必要はないのかなって(笑い)」。16年『数学する身体』で小林秀雄賞。編著に岡潔『数学する人生』。京都在住。180㌢、72㌔。

独立した「個」をもって「情」で通い合うという大前提が本当の学びには必要だ

〈いま、ここ〉に、停滞しようというのではない。
〈いまがいまであり、自分が自分であるままに、気づけば冬は春であり、生者は死者に化している〉〈だから、いまある場所を引き受けることは、いまある場所にとどまることではない〉と、『数学の贈り物』の著者・森田真生氏は、いまここ=presentの儚さ、豊かさと、あくまで能動的に対峙する。
〈数学をいとぐちに〉、より全人的な知と学びを追求する彼は、文系から理系に転じ、思索者へと転じた、独立研究者、、、、、。そして〈情緒〉による知の確立を説いた明治生まれの数学者・岡潔や芭蕉、フランシスコ・ヴァレラといった先人の言葉に導かれ、また日々の暮らしから得た様々な発見を、19篇の贈り物として本書に綴る。
 それは先人から著者へ、読者へと手渡された時空を超えたプレゼントでもあり、現在と過去と未来とを繋ぐもの―本書ではそれを〈理性(reason)〉と呼ぶ。

〈現在と過去をつなぐ「理由」。「いま」から未来を導く「推論」。「理由」も「推論」も英語ではreasonという。「いま」だけにはいられない人の心は、reasonの力で過去や未来を想い、そして「理性(reason)」の力で他者の心を推し量る〉とある。幼少期をシカゴで過ごし、東大文Ⅱ時代に岡潔の著作『日本のこころ』(67年)と出会って数学科に転入した若き異能は、言語の垣根を越えて本質に立ち帰ることのできる、言葉の越境者でもあった。
「reasonを理性と訳すにしても、明治人は翻訳にとても苦労しました。原語にぴたっと対応する日本語があらかじめあるわけではないので。言語を横断するときにこぼれ落ちたり、ずれるところが必ずあって、これ自体がとても面白い。数学も学科としての数学より、〈はじめから手許にあるものを摑む〉ことを意味するmathematicsの語源、マテーマタを意識しています。物事を根源的、哲学的に考えようとする時、避けて通れない営みだと思っています」
 あとがきに〈人は誰もが、この世に遅れてきた存在である〉とあるが、あらゆる学問や芸術は人が目の前の世界を認識するために生み出された。数字もその一つ。白川静著『文字講和Ⅰ』によれば、日本語の数えるは〈か+そへる〉から成り、それは〈姿なき時の流れ〉に、形を与える行為だった。
 面白いのは本作の連載中に誕生した長男の存在だ。現在3歳の彼はかぞえる手前の「未分化」の世界を生きており、5枚しかないパンケーキを「1、2、3、4、5、6、7!」と自信たっぷりに数えたりする。
「7まで数えた時の感覚が、目の前の現象と一致したんでしょうかね(笑い)。
 不思議なのは、息子を抱いた瞬間、父がまだ小さかった僕を抱いて子守唄を歌う声が聞こえてきた、、、、、、んですよ。それ以来、数を知る前に見た世界とか、意味も何もない世界を手探りした頃の感覚を、息子の存在を通じてダイレクトに思い出せるようになって」

「よりよく生きる」が僕の学びの原点

 だが数に分節された世界を知ってしまった私たちは、道半ばで逝去した生物学者、F・ヴァレラの〈Life is so fragile,and the present is so rich〉という感慨を他人事として聞き流し、事物の多寡や根拠に執着しがちだ。
「ヴァレラは一切の執着を離れた時、豊かながありありと現れることを仏教に学んだ。僕自身、富より思索に打ち込む静謐を求めたデカルトや芭蕉に励まされた部分があるし、偶々たまたまでしかない今の有難さを共有したくて、本書を書きました」
 岡潔が情緒という言葉に、独立した個と通い合う情が共にある理想を託したように、その両方を併せ持つことが大事だと森田氏は言う。
「T・カスリスの『Intimacy or Integrity』によれば、ほのめかしと共感でわかり合う日本はインティマシーが、流されない個人が称賛される欧米ではインテグリティーが重視される傾向があり、後者の象徴がコンピュータですよね。僕はアメリカで個人主義を叩き込まれ、だから岡潔の思想が新鮮に映ったんですが、個だけでも情だけでも本当の学びは得られない。そこは山本七平が『空気の研究』に巧いことを書いていて、日本人は個人主義や論理的思考が輸入された時、それらを素晴らしいとする空気だけ、、、、を読んだと(笑い)。これが行きすぎると全体主義につながるわけで、個をもって通い合うという大前提は絶対に必要です」
 分けるから分かる、、、、、、、、、とはよく言うが、reasonの語源〈ratio〉〈比〉を意味し、〈宇宙の静謐に「単位」を投じ〉〈「未知」を「既知」に対する比として把握しようとする〉試みが理性だと森田氏は書く。〈ありのままの宇宙に、生きるべき「理由」はどこを探してもない〉〈reasonは、創造されなければならないのである〉と。
「よりよく生きる―それが僕の学びの原点で、自分の言葉で考え抜いた果てに、たとえば『これはプラトンも言ってたことだ』と気づくことができる。反復によって生じるズレや違いが創造と発見の歴史を紡ぐ。いつの時代の人間にも、最も大切なものは等しく与えられているはずなんです」
 静謐で紛れのない数学の世界と、混沌として答えの出ない現実の両方を愛する彼は、一見当たり前のにこそ全てがあると言い切る。そして〈だれもがいまいるその場所で、すでに英雄なのだと気づくことができるような、そういう世界をつくっていきたい〉と、この時代に相応しい新たな知のあり方を模索し続けるのだ。

●構成/橋本紀子
●撮影/三島正

(週刊ポスト 2019年5.31号より)

初出:P+D MAGAZINE(2019/11/21)

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