【著者インタビュー】佐藤亜紀『黄金列車』/ユダヤ人の金銀財宝を積み込んだ列車の迷走劇

1944年にブダペシュトを発ち、道中、保管庫に立ち寄ってお宝をごっそり積み込んだ通称・黄金列車。その約4か月に亘る迷走劇を、積荷の管理を命じられた大蔵省の中年職員らの奮闘を軸に描いた傑作。

【ポスト・ブック・レビュー 著者に訊け!】

第二次世界大戦末期、文官としての交渉術でユダヤ人の財宝を守った役人たちを
硬質な文章で描出する傑作

『黄金列車』

1800円+税
KADOKAWA
装丁/柳川貴代 装画/西村隆史

佐藤亜紀

●さとう・あき 1962年新潟県生まれ。91年『バルタザールの遍歴』で第3回日本ファンタジーノベル大賞を受賞しデビュー。03年『天使』で芸術選奨文部科学大臣新人賞、08年『ミノタウロス』で第29回吉川英治文学新人賞など、ジャンルや国境を軽々と越えた物語群で読者を魅了する博覧強記の人。音楽にも精通する。「いずれはヨーロッパのどこか、物価がなるべく安い国に引っ越したいんです。人権が意地でも保障される国にしか住みたくないので」。165㌢、A型。

建前が本音に取って代わられでもしたら国も人も節度が守られなくなってしまう

 今となっては「?」が、幾つも浮かぶ話ではある。
 そもそも第二次大戦中にハンガリー政府が押収し、ソ連の侵攻を恐れて国外に移したユダヤ系住民の個人資産は、、、、、、、、、、、、国有財産、、、、と呼べるのか? はたまた賄賂にまで領収書を書かせる役人が、本当にイイ役人なのか……。
 佐藤亜紀氏の新作は、その名も『黄金列車』。44年12月にブダペシュトを発ち、道中、保管庫に立ち寄ってお宝をごっそり積み込んだ、通称・黄金列車の約4か月に亘る迷走劇を、積荷の管理業務を命じられた大蔵省の中年職員〈エレメル・バログ〉らの奮闘を軸に描く、冒険、、小説だ。
 ハンガリー~オーストリア間を横断する巻頭の経路図に壮大な活劇を期待すると、おそらく作品全体を覆うどんよりした空気や、銃一つ抜かない地味な闘いに、一旦は戸惑うはず。だが、軍人ならぬ文官の彼らが、お役人として粛々と業務に徹してこそ、、、、、、、、、、、、、、、、、、その金銀財宝が守られたのも確かなのだ。

 前作『スウィングしなけりゃ意味がない』(17年)ではナチス体制下のドイツでジャズに興じた通称スウィングボーイズの青春と蹉跌さてつを描き、好評を得た佐藤氏。本巻末にもロナルド・W・ツヴァイグ著『ホロコーストと国家の略奪』等の参考資料が並ぶ。積荷の着服を企むユダヤ資産管理委員会委員長〈トルディ大佐〉や、バログの上司の〈アヴァル〉〈ミンゴヴィッツ〉は、肩書も含めて実在の人物だ。
「さすがに視点人物のバログやその友人らは創作ですけれどね。例えば前作ですと94年頃、ウィーンの博物館にドイツとオーストリアの抵抗運動事典、、、、、、というのが売っていて、その中にあった短い話に着想をえました。今回も洋書売場で別口の資料を探していたら、邦訳前のツヴァイグが隣にあったんです。パラパラ読んでみたらえらく面白いことが書いてあり、これは書きたいと思ったのが端緒です」
〈バログが妻を亡くしたのは、七月の初めのことだった〉と始まる第I章には、一九四四年十二月十六日とだけ章題が付され、この日、彼が出発時点で25輌、最終的には50輌にも及んだ列車の行程を入念に確認し、乗客全員を無事乗せるべく心を砕く出発当日の様子が描かれる。そしてアパートの物干し場から転落死を遂げた妻〈カタリン〉も、ナチスの傀儡政権下で財産も家族も失い死を選んだユダヤ系の友人〈ヴァイスラー〉もいない町の空虚な景色など、個人的思念と現在進行形の業務とが斑に語られてゆく。
 列車にはトルディ以下、没収品の管理や警備を担う担当者とその家族が同乗し、これに戦火を逃れた難民や鉱夫や浮浪児までが途中で加わった。彼らの食糧や酒、機関車や燃料を調達するのもバログの仕事。だが、問題はトルディだ。没収品の中でも特に金塊や宝石に興味津々の大佐は怪しげな行動を繰り返しつつ、バログに上司の動静を逐次報告するよう、内通を命じたのだ。
が、彼は上司に即刻報告し、任務そのものに〈道義的〉な違和感を抱くアヴァルや、〈後で何らかの申し開きが必要になるだろう〉と先を読むミンゴヴィッツの下、着服の阻止に最善を尽くす。
「現存するミンゴヴィッツの調書がまた面白いんです。押収品の目録をトルディの妨害でずっと作れなかった彼は、金塊類を賄賂に使った時も必ず相手にサインを書かせ、書式が間違っていれば出し直させるんです。
 もちろん、自分たちは国の財産を守ったまでで、ユダヤ迫害とは無関係だと証明するためでもあったと思う。ただ、良い悪いではなく、役所の仕事とはこういうもの、、、、、、です。何かあった時にも非常に機械的な反応をしてしまうところ、、、、、、、、、、、、、、、は、私の考える人間のあり方に最も近い。書類に残して上長に報告するという、平時のやり方が、たまたま財産の保護にとっては良い方に出ただけのことです。ユダヤ人の親友を失っているバログにとっては、この仕事の馬鹿馬鹿しさは笑い事ではなかっただろうと思います」

人間であることは「軽いこと」だった

 作中には〈人間には三種類ある。馬鹿と、悪党と、馬鹿な悪党だ〉というミンゴヴィッツの台詞があるが、バログ自身、ある名家由来の銀製の燭台を持ち出せば礼は弾むという旧知のヤミ屋〈リゴー〉の話には心が揺れ、ここには100%の悪人も善人も登場しない。
「例えば当時ナチスがやったことの責任を問う場合、まず槍玉に上がるのが政治家ですよね。でもヒトラーたちが何をどう叫ぼうと、役所が動かなければ何も動かないのが国家です。
 元々ハンガリーの場合は富裕層の多いユダヤ系住民から財産だけを奪い、生活上は共存していた。それが、ナチスに実権を握られてからは収容が進み、アウシュビッツ内で最多の犠牲者はハンガリー出身のユダヤ人です。ただその裏には出頭伝票を粛々と作成した役人がいたわけです。国家を語る時には政治家だけでなく各機関の働きも考察すべしという当然の認識を、今はあまりに欠いています」
 内にも外にも敵が潜む中、列車は紆余曲折ありつつも最終地ホプフガルテンへ。その間も亡き妻や友のことを折に触れて思うバログだったが、中でも全てを失ったヴァイスラーの〈奇妙な軽さ〉という言葉が怖い。彼は言った。〈あんな戦争の後では、人間はもう人間じゃない〉〈もう何も感じない。ある意味、自由だな〉と。
「私自身が彼と同じ状況に置かれた時のことを想像してみたんです。そうすると人間であることはこんなに軽いことだったのか、と。
 実際当時の資料を読むと、とんでもない重さ、、と呆れるような軽さ、、が同居しています。私はその誰も状況を俯瞰しえない地点に自分を置き、善悪でなく、誰が何をしたかを書いただけです」
 国も法も倫理もことごとく瓦解する中、業務の〈正当性〉に則ったのがバログたちだ。
「言い換えれば建前、、です。戦時下の当時ですら建前が機能したことでかろうじて節度が守られた面はあるし、建前が本音に取って代わられでもしたら、国も人もグズグズになりますから。
 その建前が最近崩れつつあるのが私は凄く心配です。メディアも国家の準機関として存在する以上、差別や偏見を煽る真似は絶対してはいけないと、ポストさんには言いたいです。たとえ建前でも遵守してこそ守られるものもあるというのは、それこそ黄金列車の歴史が証明していることですし」
 道徳でも正義感でもなく、お役所体質、、、、、を武器にお宝を守る男たちの闘いに見入ってしまう不思議な小説だ。

●構成/橋本紀子
●撮影/三島正

(週刊ポスト 2019年11.29号より)

初出:P+D MAGAZINE(2020/05/09)

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