【スぺシャル書評】山口恵以子『いつでも母と』/大切な人を看取り、愛し続けるためのバイブル

人気作家・山口恵以子氏が、認知症を発症した母と過ごした最期の日々をつづったエッセイ。この一冊は「予期せぬ出来事に躓かないための杖となる」と、ベストセラーの仕掛け人として知られる書店員・内田 剛氏は語ります。

【大切な本に出会う場所 SEVEN’S LIBRARY スペシャル書評】

『いつでも母と』

小学館 1200円

本誌連載「母を家で看取りました。」を改題。著者が最愛の母の認知症発症から介護、自宅での看取り、そして葬儀やお墓のことまで、母娘で過ごした最期の日々をあたたかな筆致で綴ったエッセイ集。

評者 内田 剛
フリーランス書店員 1969年生まれ。NPO法人本屋大賞実行委員会理事で設立メンバーの1人。出版業界でベストセラーの仕掛け人として知られる。「POP王」の異名を持ち、これまでに作成したPOPの枚数はなんと5000枚以上。

この本は予期せぬ出来事につまずかないための杖となる!

 畳の上では死ねない、という超高齢化のこの時代。介護本は世に溢れているが、一体何を手掛かりにしてよいか、わからない。悩めるそんな方々への朗報がこの『いつでも母と』の登場だ。この一冊は大切な人を看取るための実用的なテキストであり、愛し続ける大切さを記した精神的なバイブルともいえる。
「人生には“まさか”という坂がある」「ピザは頼めば来るが“いざ”は突然やって来る」‥‥予期せぬ出来事につまずかないための杖となるのがこの作品だ。
 著者は『月下上海』で松本清張賞を受賞された際に「食堂のおばちゃん」として各種メディアに登場。そのユニークなキャラクターで一躍時の人になった。以降もテレビ番組のコメンテイターなどで活躍されている人気作家。「食堂のおばちゃん」や「婚活食堂」シリーズなどが版を重ねる代表作である。とりわけ『恋形見』が素晴らしい! 個人的な見解で大変恐縮だがあの世でも読みたい“棺桶本”に指定したいほど大傑作である(これが直木賞の候補にもならないのは本当に不思議‥‥)。そんな筆力確かな山口先生の本音全開のエッセイだからこれが面白くないわけがない。率直過ぎる感情描写で、避けられない生老病死を見つめる視線は本当に人間味に溢れていて、どこまでも真っ直ぐで清々しい。
 後悔のない人生はどこにもない。しかし守るべき者のために全力を尽くし完璧でありたいからこそ後悔が生まれるのだから、むしろ後悔の積み重ねこそが人生、まさしく「人生は後悔であり航海」なのだ。先の見えない生活の中で、様々な事情でベストの対応ができずともベターを繰り返すことの大切さにこの本は気づかせてくれる。親の病や衰えに狼狽うろたえたり、自分の感情の爆発に反省したり‥‥上手くいったことよりも数々の失敗のエピソードが身にしみるし勉強にもなるのだ。結婚式はリハーサルが出来ても葬式はぶっつけ本番というのは言い得て妙。初めてばかりの介護の日々。ちょっとした気の緩んだ時に振り込め詐欺に狙われるなど、本当にハッとさせられる。まさに一筋縄ではいかない人生を体感できる油断ならないエッセイなのだ。
 読みながら一緒になって考えた。目の前の認知症にどう対応すべきか。家で看取るには何が必要なのか。ハプニングの合間の何でもないひと時が本当に愛おしく思えた。握り返された手の温もりを確かに感じた。山口さんのお母様を看取った気になった。山口家・母娘の絶対的な信頼に基づいた強い絆は読者の心に深く刻まれて永遠に生き続けるに違いない。そしてこれは決して他人事ではない。同じ様な体験をしている、これからする多くの人々の大いなる力となるはずだ。山口さん、これは大満足の作品です。さぞかし天国のお母様も喜んでいらっしゃることでしょう。愛情がいっぱいの素敵な一冊を本当にありがとうございます!

(女性セブン 2020年3.12号より)

初出:P+D MAGAZINE(2020/07/21)

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