〈第8回〉加藤実秋「警視庁レッドリスト」

■連載小説■ 加藤実秋「警視庁レッドリスト」〈第8回〉
みひろの機転で、借金問題に裏があると睨んだ阿久津。
真相を突き止め、意外な処分を下す。

CASE2 ローン、アローン:借金警察官の涙(4)


 9

 翌日の午前十時過ぎ。みひろは慎と用賀分駐所の会議室にいた。長机を挟み、向かいには里見が座っている。

「本当に川口巡査部長は、全部話したんですか?」

 背中を丸め首を突き出すようにこちらを見て、里見は訊ねた。パトロールに出る途中に呼ばれて来たので、活動服姿で机の端に制帽を置いている。

「はい。先ほど、自らとあなたの借金の真相を告白しました」

 ノートパソコンのキーボードをリズミカルに叩きながら慎が答えた。「そうですか」と呟き、里見は目を伏せた。

 昨日の動画を見せて取り立て屋の男たちから聞いた話を伝えると、川口は「その通りです」と認めた。

 酔い潰れる、大声で騒ぐなどもともと飲酒行動に問題があった川口だが、上司や同僚のフォローで大きなトラブルにならずにいた。しかし四カ月前。用賀駅近くのバーで酔って暴れ、店や備品を壊してバーテンダーにケガをさせてしまう。バーのバックには地元の暴力団がおり、「職場にバラされたくなければ修理代と治療費を払え」と多額の金を請求された。だが川口は自宅や車の購入で多額のローンを背負っていて、金を用意できない。

 すると暴力団が関わるフォレストファイナンスを紹介され、仕方なく金を借りて修理代と治療費を支払ったがすぐに返済が滞り、追い詰められた川口は里見に助けを求めた。ところがその里見もローンを背負う身。私物を売った金を渡したが「足りない」と言われ、やむを得ず職場の仲間たちから少額の借金を繰り返しては川口に渡していた。すると前島に内部通報され、みひろたちが来て借金が明るみに出てしまう。慌てて里見もフォレストファイナンスから三十万円を借りて仲間たちに金を返したがフォレストファイナンスへの返済は滞り、男たちの取り立てが始まったのだ。

「表彰につながった今年一月の検挙ですが、職務質問の対象者の車を停めたのも、車内から合成麻薬を発見したのも、実はあなたではなく川口だったそうですね」

 手を止めず、ノートパソコンの液晶ディスプレイを見たまま慎は質問を始めた。目を伏せたまま、里見は「はい。すみません」と返した。すると、慎は言った。

「謝罪には及びません。検挙を同僚や後輩に譲るのは警察内の他部署でも行われており、禁止する規則はありません。とくに結婚を控えた警察官に対しては仲間が、『祝儀代わり』『花を持たせる』という意味合いで検挙数を稼がせることが多いようです。あなたの場合も同じでしょう」

「その通りです」

 里見が頷く。みひろも口を開いた。

「ひょっとして、検挙を譲ってもらったことが、川口の頼みを断れなかった理由ですか?」

「はい。実は妻の両親は、『不釣り合いだ』と結婚に反対でした。でも表彰が決まったら態度を変えてくれて。僕らが結婚できたのは、川口さんのお陰なんです」

「なるほど」

 それは断れないわ。心の中で言って納得し、みひろはさらに訊ねた。

「じゃあ、奥さんと両親に相談しなかったのもそのせい? 相談すると川口の頼みを断れない理由、つまり検挙を譲ってもらったことがバレると思ったんですか?」

 だが里見は質問には答えず、暗い声で言った。

「僕は父と祖父に『立派な警察官になりたければ、正しいことをしろ。人に弱みを見せるな』と言われて育ちました。だから親の言いつけや学校の規則を守り、ずるをしたりウソをついたりもせずにやってきたんです。検挙を譲ってもらったのだって、本当は断りたかった。でもどうしても妻と結婚したかったし、川口さんに『みんなやってる』と言われて。それがこんな結果になって」

 話しているうちに気持ちが高ぶったのか、里見は顔を上げた。

「何度も相談しようとしたんです。でも、できなかった。したことがないから、どうしていいかわからなかったんです。だって相談するというのは、人に弱みを見せることでしょう?」

 とっさに返せずみひろが黙ると、里見は再び俯いた。追い詰められたように、両手で頭を抱え込む。一方慎はこちらのやり取りには構わず、キーボードを叩き続けている。その事務的で無機質な音がみひろを落ち着かせ、返すべき言葉を思い出させた。

「里見さんは、自分の中にルールや決めごとをたくさん作って生きてきたんですね。それはすごいし、並大抵の覚悟ではできません。でも、ルールは絶対じゃない。その証拠に、里見さんは自分の弱みは見せないけど、人の弱みには敏感で寛容です。川口さんの頼みを聞いたのは、結婚できた恩があるからだけじゃない。あなたがとても優しい人だからです」

 そこにつけ込まれたんだけどね。最後のフレーズは胸の中に留め、みひろは里見を見た。頭から手を放し、里見が顔を上げた。目が合ったので、みひろは最初に借金の話を聞いた時と同じように頷いて見せた。

 ぶわっと、里見の目から涙が溢れた。メガネを外して長机に突っ伏し、肩を揺らして嗚咽(おえつ)する。くぐもった声が、白い壁に囲まれた会議室に流れた。

 一時間ほど前、同じ席で川口も涙を流した。しかしその意味や胸の内は、里見とは違うはずだ。みひろは川口にかける言葉は見つからず、探そうとも思わなかった。

 しばらくすると里見は落ち着き、慎が改めて「処分は追って通達します」と告げると無言で深々と頭を下げ、会議室を出て行った。

「『ルールは絶対じゃない』ですか。なかなか言いますね」

 室内に沈黙が戻るなり、慎は言った。キーボードの前で両手を組み、入力した内容を確認している。息をついて凝った肩をほぐし、みひろは返した。

「だって、言いつけを守って正しいことだけしてきて就いた仕事の対象が『悪』ですよ。そりゃ、つけ込まれるでしょう。里見さんのお父さんやお祖父さんも気持ちはわかるけど、もうちょっと考えてっていうか……室長は、途中で里見さんと川口の関係に気づいたんですよね。きっかけは何ですか?」

「今回もまた、三雲さんの発言です。里見は結婚式で表彰をアピールしただろう、というのを聞いてピンと来ました。あとは川口が提げていた、里見夫妻と飲むにしても多すぎる量の酒が入った袋。直前に明らかに取り立て屋とわかる男たちも見たので、間違いないと。先日も言いましたが、三雲さんは発想と着眼点がいいですね。人の話を聞いて寄り添う才能と併せて、大きな武器になりますよ」

「えっ。発想と着眼点って、お世辞じゃなかったんだ……とにかく、真相も究明できたし今回は納得のいく仕事ができました。里見さんたちの処分も再検討されるんですよね?」

「ええ。フォレストファイナンスについては生活安全課に報告しますし、そもそも無登録業者からの借入金に返済義務はないので借金はチャラです。しかし川口は間違いなく懲戒処分。複数の規律違反を行った上、隠蔽の方法が悪質なので免職もあり得ます。里見も情状酌量の余地はありますが、お咎(とが)めなしという訳にはいきません」

「はあ。結局懲戒処分ですか」

 みひろはうなだれたが、慎は「いえ」と言ってこう続けた。

「第一自動車警ら隊の内規違反処分。恐らく所属長注意で済むでしょう」

「内規!? じゃあ、赤文字リスト入りはなし? なんで?」

 ついタメ口になり、身を乗り出して訊ねると慎は答えた。

「『警察24時』ですよ。もしやと思って調べたら、里見は今年の秋放送の警察密着番組の取材を受けていたと判明しました。警察の顔として紹介された職員が、放送前に左遷されましたではまずいでしょう、という方向で僕が根回しをします」

 ノートパソコンを閉じ、書類を片付けながら淡々と説明する。「はあ」と相づちを打ち、ほっとしながらも戸惑いを覚え、みひろはさらに訊ねた。

「でも、いいんですか?」

「『いいんですか』とは? 里見の内規違反処分を提案したのは、三雲さんですよ。証拠になる動画を撮影して、見事に事態を覆しましたし」

 書類をバッグにしまい、怪訝そうに慎が問い返す。さらに戸惑い、みひろは言った。

「あれは室長に言われたとおりにやっただけで、私はなにも」

 すると、慎は立ち上がってノートパソコンとバッグを手にした。そして自分を見上げるみひろに、

「過ちは人事に忠実に反映されるのが警察です。しかし同時に警察は努力をした者、結果を出した者が正しく評価される組織でもあります」

 と告げ、「車で待っています」と付け加えてドアに向かった。呆然として言われたことを反芻(はんすう)しかけたみひろだったが、振り向いた慎に「急いで」とさらに付け加えられ、慌てて机上に広げたものを搔き集めた。

 


「警視庁レッドリスト」連載アーカイヴ

 

加藤実秋(かとう・みあき)
1966年東京都生まれ。2003年「インディゴの夜」で第10回創元推理短編賞を受賞し、デビュー。『インディゴの夜』はシリーズ化、ドラマ化され、ベストセラーとなる。ほかにも、『モップガール』シリーズ、『アー・ユー・テディ?』シリーズ、『メゾン・ド・ポリス』シリーズなどドラマ化作多数。近著に、『渋谷スクランブルデイズ インディゴ・イヴ』、『メゾン・ド・ポリス5 退職刑事と迷宮入り事件』がある。
森見登美彦さん『四畳半タイムマシンブルース』
◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第101回