【SPECIAL著者インタビュー】桐野夏生『日没』/普通の人々が弾圧に加担していくのが私はいちばん怖い

それは「表現の自由」の近未来を描いた小説のはずだった。しかし、連載開始から4年を経て、このたび刊行された桐野夏生さんの『日没』は、日本のいま、2020年の現実を鋭く抉り出す。そして私たちに問いかける。「これが虚構だと言い切れますか?」と。

【SEVEN’S LIBRARY SPECIAL】

コロナ禍の自粛警察、ポリコレの過熱、学術会議の 任命拒否問題‥‥いま、日本で何が起きているのか

『日没』

岩波書店 1800円

《私は基本的に世の中の動きに興味がない。というのも、絶望しているからだ。いつの間にか、市民ではなく国民と呼ばれるようになり、すべてがお国優先で、人はどんどん自由を明け渡している》。そんな作家・マッツ夢井に総務省文化局・文化文芸倫理向上委員会から召喚状が届く。パソコンの調子は悪くなり、飼い猫は姿を消し、作家仲間は入院、元彼は自殺‥‥周囲で不穏な出来事が立て続けに起こる中、「作家収容所」へ。マッツはそこから脱出できるのか!? ページをめくる手が止まらない、心拍数が上がる「近未来」小説!

桐野夏生

●(きりの・なつお)1951年生まれ。’93年「顔に降りかかる雨」で江戸川乱歩賞、’99年『柔らかな頬』で直木賞、2003年『グロテスク』で泉鏡花文学賞、’04年『残虐記』で柴田錬三郎賞、’05年『魂萌え!』で婦人公論文芸賞、’08年『東京島』で谷崎潤一郎賞、’09年『女神記』で紫式部文学賞、『ナニカアル』で’10年、’11年に島清恋愛文学賞と読売文学賞の2賞を受賞。近著に『路上のX』『ロンリネス』『とめどなく囁く』など。

「何が起きたか知りたい」と思うことがタブーになっていく

 作家がつくりあげた虚構の世界が、現実社会で起きていることと響き合い、共振して、戦慄する。
 描かれるのは作家の「療養所」だ。
 作家マッツ夢井のもとに、一通の召喚状が届く。差出人は総務省文化局・文化文芸倫理向上委員会、通称ブンリン。性表現や暴力表現を規制する映倫の文学版のような組織が、いつの間にかできていたのだ。
 折しも、何人かの作家が突然、自殺していた。理由もわからないまま講習を受けることになったマッツは、不安を抱えて指定された駅に赴く。車で連れて行かれたのは断崖絶壁に建てられた療養所で、更生のために作家たちが収容されていた。
「雑誌に連載を始めたのは2016年です。2011年に東日本大震災が起きて、そのあと私は『バラカ』という震災後の小説を書き始めたんですが、周囲の反応が『よく書くね』みたいな感じだったんですね。
 作家の中にも、『私は政治的なことにはあまりかかわりたくない』って人もいて。原発事故が起きたのは事実ですし、私はそれを書くことが政治的だとも思わなかった。もといた場所に住めなくなった人もいて、それなのに何が起きたのか知りたい、と思うことがタブーになっていくのを奇妙に感じました。そのときに、タブーを描く作家が閉じ込められてひどい目に遭う小説を書いてみよう、と思い浮かんだんです」
 療養所では灰色の制服に着替えさせられ、マッツは筆名でも本名でもなく「B98番」と呼ばれる。3度の食事は粗末で、いつも腹をすかせ、収容者の誰かがことを起こせば連帯責任で昼食を抜かれる。反抗的だと指摘されると減点が科されて収容期間は延び、収容者どうしで話しているのが見つかれば「共謀罪」とみなされる。
 マッツが拘束されたのは、作家にも「コンプライアンス」を求める総務省が募った読者からのメールで、彼女の作品が「レイプや暴力、犯罪をあたかも肯定するかのように書いている」と訴えられたことが理由だった。「社会に適応した作品」「正しいことが書いてある作品」を書けと所長に言われ、マッツは激しく反発する。
「20年ほど前に、人を殺しすぎると、ある作品(『バトル・ロワイアル』)を作家が問題にしたことがありました。気がつけば、大量殺人ってあまり小説に描かれなくなっている。現実にそうした事件は起きるわけで、なぜ起きるのか、人間心理も含めて作品の中で書くことを作家がためらうのはどうかと私は思うんです。
 ちょっとショックだったのは、アメリカで、『大草原の小さな家』のローラ・インガルス・ワイルダーが、児童文学の賞から名前を外されましたよね。彼女の作品は先住民族に対して差別的だって言うんだけど、それが書かれた当時の限界なんだし、読者も受け入れて読んでいたという証明でもある。そういうものを全部見えなくしていくのは歴史修正主義にもつながります。
 安易に何にでもポリティカル・コレクトネスを当てはめていくのは危険だと思います」
 マッツを、いわゆるエンターテインメント、略して「エンタメ」と呼ばれるジャンルの書き手にしたのは、「いちばん権力に利用されそうな、ポピュリズムの先鋒になってしまいそうな立場の作家を書きたかったから」だと言う。
 作家たちは、更生のために作文を書かされる。反抗心旺盛なマッツは、役人受けしそうな作文をでっちあげて恭順を装うが、一杯の冷たい水を飲むためには反抗心も揺らぎ、暴力をふるわれれば、ひとたまりもなく膝を屈してしまう。

SNSでも当たり前のことしか書けなくなっているのは変だ

「『作家はそういうものじゃない』と感想をくれた人もいましたけど、作家にだって俗物はいます。もしマッツが高潔な作家だったら、すぐ自殺してしまうんじゃないでしょうか。
 私の中には、北朝鮮や中国、香港などで行われている弾圧的なものへのおびえがあります。生理感覚としていやだな、と思う。前から興味を持っていろいろ関係資料を読んでいました」
 役人、医者、収容者。療養所の中には、さまざまな立場の人間がいて、管理する側にも身分の差がある。暗闇の中で手探りするように、収容されている作家仲間の誰が敵で誰が味方か見極めようとしても、真実はなかなか見えてこない。
「ハンナ・アーレントが書いたように、普通の人々が弾圧に加担していくのが私はいちばん怖いと思っています。最近の、新型コロナウイルス下の自粛警察もちょっとそういうところがありますね。
 正しさの押し付けも怖い。いまの芸能人はみんな、いつやり玉に挙げられるか、すごいストレスだって言います。SNSでも当たり前のことしか書けなくなっているのは何か変だと思う」
 底のない地獄のような場所で、マッツは正気を保ち続けられるのか。療養所という名の作家収容所から脱出する日は、はたして来るのか。「いったん書き終えたあとに十数行書き加えた」と桐野さんが言うラストの重さは衝撃だ。
「このラスト、私の周りでの評判はすごく悪いですが(笑い)、今回の小説では絶望をとことん描こうと思っていたので加筆しました」
 連載が始まったとき、『日没』は、近未来、もしくはここではない別の日本を描くように見えたのに、4年の間に、現実の日本が小説の世界にみるみる近づいた。いま話題の、日本学術会議の選任で一部の学者を理由も告げずに政府が拒否するやり方は、リアル『日没』なのかと思わせる。『日没』の収容所はまた、七十数年前の日本で実際に行われたことを連想させもする。
「今回は辛くも逃げ切った、というところですけど、小説を書いていて現実に追いつかれる経験をすることはいままでもありました。でももし、桐野がいつの間にかいなくなった、なんてことになったら、みなさん捜索を、よろしくお願いしますね」

素顔を知りたくて SEVEN’S Question SP

Q1 最近読んで面白かった本は?
 吉田喜重さんの『贖罪』。

Q2 新刊が出たら必ず読む作家は?
 たくさんいますが‥‥スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ(2015年、ジャーナリストとして初めてノーベル文学賞を受賞)。ベラルーシを出国したと聞いて心配しています。

Q3 好きなテレビやネット、ラジオ番組は?
 ヒョンビンのドラマですね。ヒョンビンが出ているものは何でも。今年、北朝鮮という国への興味からネットフリックスで『愛の不時着』を見始めたらハマって、『私の名前はキム・サムスン』や『シークレット・ガーデン』『レイトオータム』や『愛してる、愛してない』など‥‥。いまは『アルハンブラ宮殿の思い出』を見直しています。タイトルがよくないけど、ドラマは面白い。ヒョンビンにハマった理由? ルックスがいいのと、声がいいことでしょうか。

Q4 最近見た映画は?
『テネット』。半年ぶりに映画館に行きました。映画見てご飯食べておしゃべりして、という日常はいつ戻るんでしょうね。

Q5 最近気になるニュースは?
 若い女性の自殺が増えていること。コロナ禍で仕事を失ったりして、孤独で貧乏で先が見えない人が大勢いると思うと悲しい気持ちになります。

Q6 最近ハマっていることは?
 韓流ドラマを見ることですね。

Q7 何か運動をしてますか?
 バレエとゴルフ。ゴルフの最新のスコアは95です。

●取材・構成/佐久間文子
●撮影/浅野剛

(女性セブン 2020年11.19号より)

初出:P+D MAGAZINE(2020/12/01)

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