中沢健著の『初恋芸人』を歌人・枡野浩一が読む!

NHKBSプレミアムにて連続ドラマ化もされた、心に染みいるピュアな恋の物語。新たに加筆・改稿された文庫版として登場!その名作を歌人・枡野浩一が紹介します!

【今日を楽しむSEVEN’S LIBRARY ブックコンシェルジュが読むこの一冊】

評者 枡野浩一

歌人。’68年生まれ。『ショートソング』『結婚失格』『ドラえもん短歌』など著書多数。

『初恋芸人』

初恋芸人

小学館ガガガ文庫 640円

著者の作家デビュー作(’09年)。「あとがき」にはこの6年間の変化について綴られている。4月19日放送分でドラマは最終回(全8回)。ヒロインを松井玲奈が演じている。

本作には片思いと青春のすべてが書かれている

本書『初恋芸人』は本日まで3度読んだ。1度目と2度目は単行本で。3度目は文庫本で。初めて読んだときも感動したが、読み返すたびに主人公や登場人物を好きになっていく。じつにシンプルかつ普遍的なストーリーだが、中沢健が書くまではだれにも書かれたことがなかった。NHK(BSプレミアム)でドラマ化された今、海外で映像化されてヒットしてもおかしくないと確信している。

ちなみに「動く待ち合わせ場所」という言葉をインターネット検索すると、本書の著者である中沢健の写真を大量に見ることができる。彼は全身にさまざまな言葉を書いた紙を張り付けて「歩く雑誌」として毎日を生きているのだ。似たようなことを思いつく者はいるかもしれないが、365日その姿で生きることは難しい。そんな難しい人生をやっている作家が、こんな凄い小説を書いたなんて。

本作の主人公は童貞。『童貞芸人』というタイトルにしなくて大正解だったと思う。どんな男も童貞であったことがあるか、または今まさに童貞まっさい中であるので、本作はすべての男と関係がある。その男たちとかかわるすべての女にも関係がある。つまり、全人類に関係がある物語だ。

主人公は中学のころ毎日いじめられていた。自分が好意を寄せてしまうと女性は傷ついてしまうと信じこんで生き、今は怪獣のオタク的知識を利用して売れない芸人をやっている。そんな主人公を嫌わない美少女が彼にメールをくれるところから物語が始まる。そのときの彼の喜びの初々しさといったら。女友達さえいたことのなかった彼は、少女と「友達づきあい」を重ねつつも、高望みをしないよう絶えず注意深く自分を制御している。しかし、貧しい彼にいつも食事をごちそうしてくれる親友が、男と女は親しい友達同士という関係ではいつか必ず満足できなくなり、つらく感じることになるだろうと予言する。《人間ってのは、欲が深くなる生き物だから》と。そしてその予言をなぞるように主人公は、隠蔽していた欲望を自覚してしまい、毎日いじめられていた中学時代以上の「地獄」を味わうことになるのだ。その地獄の原因は、あろうことか、彼が大好きだった人たちなのである。

苦い展開をするものの、前向きさを感じさせて終わるこの初恋物語は、最後の章でにわかにミステリーの様相をかもし出し始める。主人公をさんざん振り回していた少女の視点で、2人の物語がもういちど語られ直すのだ。衝撃。単行本で読んだときは主人公に肩入れするあまり彼女のことを憎んでしまったけれども、加筆された文庫版を読んでいたらヒロインの気持ちもけっこう理解できてしまった。関係者全員、だれも悪くない。なのにつらい。それが恋なのだ。

主人公は自分を傷つけたヒロインを恨むことはせず、最後はむしろエールをおくるような行動に出る。その果敢さに涙が出て仕方なかった。きみは、かっこいいよ。いつかきっと、きみの魅力がわかる女性に、モテるよ。そう思わずには読了できなかった。

主人公は思う。《人間の三大欲求は食欲、睡眠欲、そして、お互いに大切に思い思われたい欲だ! 語呂が悪いから性欲と言っているだけで、真実はそうにちがいない。そして、「お互いに大切に思い思われたい欲」は、恋人ができないかぎり満たされない。ひとりエッチや風俗では、気休めにすぎないのだ。》と。こんな普遍的な真実にたどりつく童貞って、いるだろうか。中沢健は本作を書いたとき真の童貞だったというのだから恐れ入る。普通の童貞は童貞である自分のことを客観視できず、このような達観を持つことはできまい。

ドラマ化を機に小学館ガガガ文庫というライトノベルのレーベルから文庫化されるにあたっての加筆は、成功だったと思う。すでに童貞ではなくなったという作者は、さらなる冷徹な客観性を身につけ、作品はより残酷さを増し、味わい深くなった。青春とは屈辱であるというのが筆者の持論だが、その意味で本作には片思いと青春のすべてが書かれている。

(女性セブン2016年4月28号より)

 

 

 

 

初出:P+D MAGAZINE(2016/04/27)

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