【『ミッフィー展』に行く前に】絵本作家・ディック・ブルーナ作品の魅力

老若男女に愛され続けるキャラクター・ミッフィー(うさこちゃん)。その生みの親は、オランダの絵本作家・グラフィックデザイナーのディック・ブルーナです。今回は、シンプルかつモダンでいて深遠な魅力を持つ、ディック・ブルーナのおすすめ作品をご紹介します。

シンプルな線と明るい色使いで描かれた、つぶらな瞳と口元の×印がトレードマークの子うさぎのキャラクター・ミッフィー。その生みの親は、オランダの絵本作家・グラフィックデザイナーのディック・ブルーナです。彼の生み出したミッフィーは昨年、生誕から65年を迎え、今年は65周年を記念した大規模な展覧会である「ミッフィー展」が東京・立川のPLAY! MUSEUMで7月10日より開催されています。ミッフィーが誕生から時を経ても、世界中の人々になお愛され続けているキャラクターであることがよくわかります。

日本では、「うさこちゃん」という名前を冠した絵本で親しまれているミッフィー。しかし、うさこちゃんシリーズの絵本を子どもの頃に愛読していたという人でも、作者であるディック・ブルーナについてはあまり知らないことが多いのではないでしょうか。

デザイナーとしても一流のディック・ブルーナですが、今回はそんな彼の絵本の仕事に注目し、“作家としてのディック・ブルーナ”の魅力を紐解いていきます。

ディック・ブルーナが絵本作家になるまで

ディック・ブルーナは1927年、オランダの都市・ユトレヒトで生まれました。出版社を経営する両親のもとに生まれたディックは小さい頃から絵を描くのが好きで、画家になることを夢見て高校を辞めることを決意します。退学後はオランダ国内のみならず、フランスやイギリスなどの出版社に研修に出向き、さまざまな美術館やギャラリーを巡りました。

その過程でブルーナは、「色彩の魔術師」とも謳われた画家、アンリ・マティスの絵やグラフィックデザイナーのカッサンドルのデザインに特に強いインスピレーションを得たと言います。彼らのシンプルかつ明瞭な色使いの影響を受け、ブルーナの作風は徐々に定まっていきました。1950年代には、ブルーナは両親の経営する出版社・ブルーナ社の専属デザイナーとして働き始めます。彼のシンプルでモダンなデザインは人気を博し、年間100冊もの装丁の仕事を担当するようになりました。


出典:https://www.fukuinkan.co.jp/book/?id=1393

ブルーナが『de appel(りんごぼうや)』という絵本を刊行し、絵本作家としてのキャリアを歩み始めたのは1953年です。同時期に結婚し、息子が生まれたブルーナは、夏の休暇で訪れた海の近くの家に小さなうさぎがいるのを目にし、このうさぎを主人公にしたお話を息子にしてあげようと思いつきます。これこそがナインチェ・プラウス(ミッフィー)の原型となりました。1955年にはこのうさぎを主人公にした絵本、『nijntje(ちいさなうさこちゃん)』を発表します。

1959年からは、それまでの絵のタッチをさらに洗練させたブルーナ・カラー(赤・黄・緑・青・茶色・グレー)を確立させ、この6色によって描かれた正方形の絵本シリーズを発表し、世界中の子どもたちから人気を集めました。ブルーナは2017年にユトレヒトで逝去しましたが、約60年にわたる創作活動期間のなかで、120作を超える絵本を刊行しました。彼の絵本シリーズは全世界で50ヶ国語以上に翻訳され、現在でも、8500万部以上のロングセラーとなっています。

『ちいさなうさこちゃん』


出典:https://www.amazon.co.jp/dp/4834000265/

ここからは、ディック・ブルーナの代表的な絵本や優れた絵本を1冊ずつ解説しながら、その作品の魅力を紹介していきます。

『ちいさなうさこちゃん』は、『うさこちゃん』シリーズの最初の1冊です。日本では、児童文学作家・翻訳家の石井桃子による翻訳で、1964年に刊行されました。ふわふわさんとふわおくさんというふたり暮らしの夫婦のもとに、うさぎの赤ちゃん・うさこちゃんが生まれた日のことを描いています。うさこちゃんが生まれるまでのストーリーは、このように描写されています。

あるばんのこと ふわふわさん
ぐっすり ねむっておりました。
でも ふわおくさんは おきていて
「おや だれかしら あたしをよぶのは?」

ふわおくさんが おきだして
まどから のぞいてみましたら
まあまあ にわのまんなかに
てんしが たっておりました。

そして てんしは ふわおくさんに
「よくおききなさい あなたに
じき あかちゃんが できますよ」
といって とんでいきました。

天使のお告げの通り、ふわふわさんとふわおくさんにはやがて赤ちゃんが生まれ、彼女は「うさこちゃん」と名づけられます。近くに住むたくさんの動物たちがうさこちゃんを見にやってくるのですが、

けれど うさこちゃんは あかんぼうさぎ
おおぜいのおきゃくに くたびれて
あたまは こっくり こっくりこ
じきにおめめも ふさがりました。

と、幼いうさこちゃんの可愛らしさを印象づけて物語は幕を下ろします。
本書を読んでまず印象に残るのは、うさこちゃん、ふわふわさん、ふわおくさんのみならず、動物たちや、登場する野菜までもが一様に正面を向いた平面的な姿で描かれていることでしょう。ここには、“嬉しいときも悲しいときも目をそらすことなく、読者の子どもたちと正直に対峙していたい”というブルーナの思想が表れていたと言います。

また、訳者の石井桃子は、本書が持つ力について、こんなことを語っています。

このシリーズ八冊(『うさこちゃん』シリーズ)ができあがった時、私は、これを、私の家の子ども図書室、「かつら文庫」の本棚の上にならべた。私たち、この文庫のせわをするおとなは、新しい本をだす時、よくこうして、本をだまってならべておいて、子どもの手のだしぐあいで、その本が、どのくらい子どもの興味をひくか、ひかないかを見ようとする。おどろいたのは、ブルーナの本は、三、四歳の子から、小学六年生までが、文庫に入ってくるなり、手にとったということだった。
──石井桃子『新しいおとな』より

石井は、小学生の子どもだけでなく、幼児までもがブルーナの絵本を読みたがるのは、文脈がわからずとも、形と音がともなったなにかしらの快い経験がそこにあるからだと言います。常にキャラクターと“目が合う”ことや、温かみのあるうさこちゃんたちのフォルムから、子どもたちは必ずしもストーリーが理解できなくても、『うさこちゃん』シリーズの虜になるようです。

『うさこちゃんとうみ』


出典:https://www.amazon.co.jp/dp/4834000222/

『うさこちゃんとうみ』は、『ちいさなうさこちゃん』に続くシリーズ2冊目の絵本です。

本書はうさこちゃんが父親のふわふわさんと海に行き、そこで貝殻集めや砂山作りをして遊ぶというほのぼのとしたストーリーですが、自身もディック・ブルーナ作品に作家として大きな影響を受けたと公言している絵本作家の五味太郎は、本書のある種の“異様さ”をこのように指摘しています。

『うさこちゃんとうみ』のとりあえずの見かけのシンプルさは、絵からくるんだろうね。この絵は線画に色指定だから、まさに平面的。陰影や奥行、明暗や歪み、そういったものがほとんど排除されていて、記号的な感じになっている。とても単純化された絵のことは事実。そこで、単純化されているから単純なんだろう、と考えるトリックに陥ってしまうんじゃないだろうか。で、その絵的な単純さを感じながら、ずっと読んでいくと、文章のほうが同じ単純さで進めなかったわけ。ほうぼうで、いい意味でのひっかかりがあるのね。
──五味太郎・小野明『絵本をよんでみる』より

絵がここまでシンプルなら、もっと単純で整理された文章が対応しそうなものだと五味は言います。しかし実際には、本書の文章はたしかにやや難解で、込み入っています。たとえば、うさこちゃん父娘が家から海に向かうシーンでは、

ああ うれしいな かいがんで
かいを ひろうのに ばけつ もっていくわ

よろしい。では くるまに おのり。
とうさんが ひいていってやろう。
そうすれば おまえも くたびれないで
はやく うみに つけるからね

とふたりが会話するのですが、五味はこのやりとりについて、

たとえば、

そうすれば おまえも くたびれないで

と、「そうすれば」みたいな原因──結果を示すようなことばをセリフとして言っている。ふつうだったら、「さあ いこう ランランラン」でしょ。「うさこちゃんは くるまにのって いきました」ですんでしまう。話の筋だけを言うんだったら、こういうセリフはいらないよね。ぼくたちは、こういうあちこちに釘が打ってある、ひねりのある、ふくらみのある表現空間を楽しむことになる。それが、言ってみれば絵本の楽しさだし、文芸なんていう「芸」の世界なんだろうと思う。その好例が、この『うさこちゃんとうみ』。

と分析しています。さらには、シンプルさのなかに難解な情報が詰め込まれているという表現形式からは、俳句を連想するとも述べています。

音読するのに心地よいリズム感があり、それでいて“ふくらみのある”表現が楽しめる本書の文章。石井桃子の名訳による功績も大きいですが、まさに絵本を読む醍醐味を感じられる1冊と言えます。

『うさこちゃんの だいすきな おばあちゃん』


出典:https://www.amazon.co.jp/dp/4834023184/

『うさこちゃんの だいすきな おばあちゃん』は、うさこちゃんシリーズの1冊。うさこちゃんが初めて体験した“身近な人の死”を描く、シリーズのなかでもやや異色の作品です。

うさこちゃんは、かなしくてたまりません。
おおつぶの なみだを ながしています。
なぜだか わかりますか? だいすきな
おばあちゃんが しんでしまったのです。

おばあちゃんは、ゆうべ ふつうに
べっどに はいりました。でも、それが
さいごでした。まるで、ねむっている
ようですが、もう いきは していません。

ストーリーはこのように、うさこちゃんの“おばあちゃん”が昨晩亡くなってしまったというところから始まります。死をテーマにした絵本は少なくありませんが、小学生未満の子ども向けの作品では、葬儀やお墓といった具体的なことについてはぼかして書かれたり、「お空に行ってしまった」「星になってしまった」といった表現が使われることが多いのではないでしょうか。しかし本書では、淡々と、“おばあちゃん”が亡くなったその後のことがしっかりと描かれます。

うつくしい ひつぎが はこばれてきて
おばあちゃんは そのなかに しずかに
ねかされました。ひつぎの うちがわは
やわらかで とても きもちよさそうでした。

ひつぎは おおきな きのふたで
とじられました。もう だれも
おばあちゃんを みることは できません。

簡潔な表現ですが、葬儀やお別れのシーンがシビアに描写されていることに驚かされます。

実はブルーナ作品は、このように、一般的には絵本のタブーとされがちなことに正面から向き合っています。たとえば、『うさこちゃんと きゃらめる』という作品は、母親と一緒に買い物に行ったうさこちゃんが、欲しくなったキャラメルをつい“ポケットに入れてしまう”お話です。また、『うさこちゃんと たれみみくん』では、うさこちゃんのクラスの転校生であるだーんという男の子が、片耳がたれているという特徴から“たれみみくん”と呼ばれるようになるものの、本人は嫌がっていないだろうか──とうさこちゃんが葛藤するシーンが描かれます。

このように、“死”だけでなく、万引きや、身体的特徴に由来するいじめといった現実世界の問題を、ブルーナは排除せずに作品に落とし込んでいます。そういった教育的なストーリーを押しつけがましくなく、カラッとした作風で描いてしまうことも、ブルーナの作品の素晴らしい点のひとつです。

おわりに

前述の石井桃子の言葉のなかにもありましたが、ディック・ブルーナの絵本には、3~4歳の子どもから小学校高学年の子どもまでを満遍なく惹きつける力があります。そして、ブルーナのモダンだけれど愛らしいイラストには、子どもだけでなく私たち大人まで魅了されてしまうのです。多くのデザイナーがブルーナの作品に触れたことがデザインの原点だと述べており、ユニクロの旗艦店のデザインやセブンイレブンのブランディングなどを務めたクリエイティブディレクター・佐藤可士和も「原点はブルーナ」だと複数のインタビューで語っています。

世界中の老若男女を惹きつけてやまないブルーナ作品。近年ではキャラクターグッズとしての“ミッフィー”(※英語圏での通称)の知名度が高いですが、ブルーナの原点でもある絵本のなかの“うさこちゃん”も、同じくらい魅力的です。大人になったいまだからこそ、うさこちゃんシリーズの絵本に手を伸ばし、その奥深さを味わってみてはいかがでしょうか。

(※参考文献
ディック・ブルーナ『ぼくのこと、ミッフィーのこと』)

初出:P+D MAGAZINE(2021/07/26)

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