文学作品に学ぶ、最高の“離婚”の仕方【文学恋愛講座#15】
3組に1組の夫婦が離婚していると言われる現代、このまま夫婦関係を続けていこうか迷ったことがある方も多いのではないでしょうか。今回の文学恋愛講座では、3作の文学作品を参考に、「離婚」について考察していきます。
日本の夫婦の3組に1組が離婚しているというデータがあるほど、「離婚」は現代を生きる私たちにとって、とても身近な話題です。
しかし実際には、離婚という選択肢が頭をよぎっても、「離婚して本当に後悔しないだろうか」、「ひとりの寂しさに耐えられるだろうか」と考え込んでしまい、答えが出ないまま惰性で結婚生活を続けている──というケースも多いのではないでしょうか。
今回の文学恋愛講座では、離婚を迷ったときに見るべきポイント、そして夫婦にとってできるだけ気持ちのいい「離婚」を実現させるためのヒントを、文学作品を教科書に考察・解説していきます。
離婚すべきか迷ったら、パートナーのここを見ろ──枡野浩一『結婚失格』
出典:https://www.amazon.co.jp/dp/4062766965/
当然ですが、離婚というのは莫大なエネルギーを使うもの。夫婦生活のなかで離婚という選択肢が頭をよぎっても、(DVや家族の問題、金銭的な事情など、別れないと明らかに生活に支障が出るという事情がない限りは)夫婦関係を修復し、ふたりの新たな未来に向かって歩みを進めたほうがよい──というのは言うまでもありません。
とはいえ、「この人とこれから先何十年も夫婦を続けていけるのだろうか」という漠然としたモヤモヤ感も、もちろん離婚のきっかけになり得ます。では、パートナーに対して不信感が募ったり愛情が持てなくなったりしてしまったとき、夫婦関係に修復の余地があるかどうかをどう判断すればよいのでしょうか。
それを考える際に参考になるのが、歌人・枡野浩一による自伝的小説『結婚失格』。本書の主人公の速水というAV監督の男は、妻に突如離婚してほしいと告げられ、ひとり息子にも会えないようにされてしまいます。結局、離婚調停を経てふたりの離婚は決まりますが、作中で速水は妻の理不尽さを終始責め続け、自分のどこに問題があったのかを言葉にしてほしいと問い続けるのです。
映画評論家の町山智浩は、本書の解説として寄せた文章のなかで、そんな速水の態度を痛烈に批判しています。
速水の現実に対する感覚は思春期の少年のそれと同じだ。現実とか人の心は不条理で理不尽で非論理的で言葉にできないという当たり前の事実が理解できていない。そして理不尽なものは悪いと考える。妻の突然の失踪と離婚訴訟自体が非言語によるメッセージだったのに、彼はそれを言語にしろと要求し続ける。
そして速水は妻に自分の正しさだけを主張し続けた。「僕は正しい」と言うのはイコール「君は間違っている」という意味だ。相手の屈服を望んでいるのだ。そんな人には誰も屈服しない。
この言葉を聞いて、自分のパートナーの自分への態度がまさにこれだ、と思う方も、反対に自分が批判されているようで耳が痛くなる、という方もいるのではないでしょうか。
夫婦関係を続けていく上で大切なことは、お互いがどれだけ“正しく”いられるかではなく、時には正しくないこともある相手の言葉に、どれだけ耳を傾けられるかです。もし、いまのパートナーが“正しさ”を盾に自分を一方的に責めてくると感じていたら、長期的に夫婦関係を続けていけるかどうかを一度考え直し、離婚という選択肢を視野に入れてみてもよいと言えるでしょう。
パートナーを失う寂しさとどう向き合うか──色川武大『離婚』
出典:https://www.amazon.co.jp/dp/416729608X/
子どもがおらず、DVや金銭問題といった明確な離婚理由がない夫婦にとって、離婚に迷う最大の理由は“相手への情”ではないでしょうか。長い年月をともにしたパートナーに対し恋愛感情は残っていなくても、同居人でもあり自分の理解者でもある人がいなくなってしまうということに寂しさを覚えるのは、とても自然なことです。
ひとりになる寂しさが理由で離婚に踏み切れない、という方に一読していただきたいのが、色川武大による短編小説『離婚』。本書では、性格や価値観の不一致から離婚した誠一とすみ子という若い夫婦が、離婚後にふたたび同居を始めるという変わった選択をするまでの過程が描かれます。
誠一とすみ子が離婚後に再会したきっかけは、高熱を出した誠一の家に、すみ子が看病にやってきたことでした。婚姻中はほとんど家事をおこなわず、さまざまな人と奔放な関係を持っていたすみ子でしたが、結婚という枷が外れたいまは、素直に誠一に優しくできる気がすると語ります。そして、すみ子の言い分を聞いた誠一は、自分も同じように感じていると気づくのです。
ぼくたちはいったいどういう関係なのか。お互い離れがたいが、ただ責任をとったり拘束されたりすることが嫌なので、お互いの勝手ないいぶんを活かすためには、離婚して同棲するというのがきわめて自然な道筋ではありますまいか。
この夫婦が選んだ“同居”という形態はやや特殊ではありますが、本書から学べるのは、離婚は必ずしも永遠の別れではないということ。パートナーのことが人間として好きではあるけれど、お互いの人生を死ぬまで背負うという重圧に耐えられない方にとっては、パートナーと夫婦関係を解消し、相手とあらためてフラットな関係で向き合ってみる、という選択も存在することを教えてくれる一作です。
離婚が子どもに与える影響を考える──干刈あがた『ウホッホ探険隊』
出典:https://www.shogakukan.co.jp/books/09352296
ここまでは子どもがいない夫婦のケースを考察してきましたが、夫婦にすでに子どもがいる場合、離婚するか否かは非常に難しい問題となります。特に、子どもがすでに両親が離婚したということを認識できる年齢の場合、子どもに心の傷が残ることを心配して離婚に踏み切れない──という方も少なくないでしょう。
親の離婚を子どもがどのように受け止めるかについて考える際、ひとつの参考となるのは干刈あがたの短編小説『ウホッホ探険隊』です。本書は、ユーモラスなタイトルとは裏腹に、離婚を契機に3人暮らしを始めた主人公の「私」とふたりの息子たちが新たな家族像を作りあげていくまでの過程を、繊細な筆致で綴った作品です。
本書のなかで、「私」は15年間結婚生活をともにした夫に不倫を告白され、離婚すべきかどうかで苦しみます。「私」にとってなによりも気がかりなのは、離婚が中学生と小学生の息子ふたりに与える影響でした。
自分が息子の立場であれば、せめて親には気丈でいてほしい──と思う方もいるかもしれません。しかし、作中で「私」は息子たちに対して悩む自分の姿を見せまいとはせず、それどころか、離婚を決意するまでの葛藤を、息子たちに包み隠さず話すのです。
親が離婚する子どもにとってもっとも辛いのは、事情をきちんと説明されないままでどちらかの親と離れ離れになってしまうことであるのは間違いありません。子どもたちを幼いからと見くびらず、きちんと離婚についての説明をおこなう「私」の姿は、誠実で力強いものとして読者の目に映ります。
「私」から離婚すると告げられた息子は、
僕たちは探険隊みたいだね。離婚ていう、日本ではまだ未知の領域を探険するために、それぞれの役をしているの
という言葉で、親子の新しい門出を明るいものにしようと母を励まします。
もちろん、すべての子どもがこの息子のように物わかりよく離婚の事実を受け入れられる、と考えることは楽観的すぎます。しかしながら、話しても傷つけるだけだと諦めずに、夫婦の現在の関係を子どもにきちんと説明することが、離婚という選択の駒をひとつ前進させるきっかけにもなりうる──ということを本書は教えてくれます。
おわりに
離婚という選択が人の心身を消耗させるのは、パートナーや周囲の人たちへの説明の煩雑さや生活環境の変化もさることながら、「パートナーを幸せにすることができなかった」という自己嫌悪を生むからというのが大きいようです。
しかし、一度夫婦関係がうまくいかなかったからといって、その後の人生が辛く寂しいものになると考えてしまうのは早計です。今回ご紹介した作品のように、離婚したのちにパートナーや子どもたちと新たな関係を築いてゆくケースもあれば、新たな出会いを受けて恋を育んでゆくケースもあるでしょう。
離婚という選択は軽いものではありませんが、“失敗”を意味する烙印では決してありません。いま離婚を考えているという方は、5年後、10年後に後悔しないよう、自分自身やパートナーと深く向き合った上で別れるか否かの選択をしてください。
初出:P+D MAGAZINE(2019/07/19)