【『この本を盗む者は』ほか】小説家・深緑野分のおすすめ作品

代表作『ベルリンは晴れているか』が本屋大賞や直木賞の候補作となり、新世代のミステリ作家・小説家としていま注目を集めている深緑野分。今回は最新作『この本を盗む者は』を始め、深緑野分のおすすめ作品とその読みどころをご紹介します。

2019年には『ベルリンは晴れているか』で直木賞候補に、2021年には『この本を盗む者は』で本屋大賞のノミネート入りを果たし、新世代のミステリ作家・小説家としていま注目を集めている深緑ふかみどり野分のわき

深緑は、丁寧な歴史考証と緻密なプロットを特長とする作家です。今回は、最新作の『この本を盗む者は』を始め、そのおすすめ作品のあらすじと読みどころをご紹介します。

『この本を盗む者は』


出典:https://www.amazon.co.jp/dp/B08JG68S31/

『この本を盗む者は』は、深緑野分の最新作である長編小説です。本作は2021年の本屋大賞にもノミネートされ、惜しくも大賞は逃したものの、ファンタジー・SF・ミステリといったさまざまなジャンルを横断するユニークさで多くの読書家たちの支持を集めている1冊です。

本作の主人公は、“本の街”として知られる読長町の巨大書庫、「御倉館」の管理人を父に持つ高校生・深冬みふゆ。読書家の一家の娘として生まれた深冬ですが、彼女は大の本嫌いで、漫画以外の本はほんの数ページでも読めない体質でした。

ある日、御倉館から何者かによって本が盗まれるという事件が起き、それをきっかけに「本の呪い(ブック・カース)」が発動。この呪いによって、読長町全体が物語に飲み込まれてしまうのです。深冬は、御倉館に突如現れた犬耳の少女・真白に「信じて。深冬ちゃんは本を読まなくちゃならない」と告げられます。深冬は、本を盗んだ犯人を捕まえ、街にかけられた呪いを解くために、真白とともに奔走します。

作中で深冬たちは何冊かの“本の世界”を冒険することになりますが、それらの本がマジックリアリズムからハードボイルド、スチームパンク、「奇妙な味」のホラー……などと、非常に多彩なのが本書の最大の魅力。たとえば、「奇妙な味」の本、『人ぎらいの街』は、こんなふうに書かれています。

「マスター、いったいこれは何だ? コーヒーではないようだが」
顔を上げてみると、マスターは忽然と姿を消していた。いつの間に? いや、それどころではない。温かな光を放っていたランプが消え、うっすら寒気がするほどあたりは暗くなっており、俺は思わず腕をさすった。様子がおかしい。上を見ると、美しく光沢があったはずの天井はぼろぼろで、ネズミが齧ったかのように板目に穴が空いていた。さっきまで確かに灯っていたはずの天井の照明には電球すらない。蜘蛛の巣が張り、埃が落ちてくる。

深冬にとっては一歩も近づきたくないような本の世界も、本作の読者には魅力的でたまらないはず。作中作を通して何冊もの小説を横断しながら“誰が本を盗んだのか”という大きな謎を解いていくという本作のしかけは、本好きであればあるほど、心が躍ること間違いなしです。

『ベルリンは晴れているか』


出典:https://www.amazon.co.jp/dp/B07J1CVQB2/

『ベルリンは晴れているか』は、深緑野分が2018年に発表した長編小説です。本作は第160回直木賞、第21回大藪春彦賞候補となっただけでなく、第9回Twitter文学賞国内編第1位、2019年本屋大賞第3位に輝くなど、非常に高く評価されています。

本作の舞台は、1945年のドイツ・ベルリン。主人公はアウグステ・ニッケルという名の、アメリカ人兵士たちが利用する食堂で働く少女です。アウグステはある晩、アメリカ兵の車に乗せられ、突如警察署に連れて行かれます。そこで面会させられたのは、クリストフ・ローレンツという男の遺体でした。

クリストフ・ローレンツはかつて、ナチスの迫害からユダヤ人たちを匿っていた地下活動家でした。警察署の大尉にクリストフとの関係を聞かれたアウグステは、自らもかつて、クリストフ夫婦に匿ってもらっていた過去があること、そして、そこでともに暮らしており、アウグステが妹のように可愛がっていたイーダという少女もいたが、彼女は不幸なことに命を落としてしまったこと──を語ります。

大尉は、クリストフは他殺の可能性が高いということをアウグステに告げます。大尉は亡くなったイーダの恨みを晴らすためにアウグステがクリストフを殺したのではないか、という嫌疑を向けつつも、クリストフの死因は“歯磨き粉”であったと驚くべきことを告げます。

「驚くでしょう。歯磨き粉で人が死ぬなんて、私も聞いたことがありません。しかし笑いごとではないのですよ。現実にクリストフ・ローレンツは、歯ブラシに絞り出した歯磨き粉を口に含んだ瞬間に事切れたのですから。ブレンツラウアーベルクの自宅で、妻フレデリカ・ローレンツの目の前で。歯磨き粉には青酸カリが混ぜ込まれていました」

第二次世界大戦直後のドイツは物不足に苦しみ、歯磨き粉ひとつを手に入れるにも困難な状況でした。そんな中で、歯磨き粉に青酸カリを混ぜるという恐るべき手でクリストフを殺したのは誰なのか──。犯人を探すという大きな謎と、クリストフの甥に彼の訃報を伝えるため、甥を探しに旅立つアウグステの物語が交差します。

「誰が被害者を殺したのか?」というミステリとしての大きな謎の魅力はもちろん、本作は歴史小説としても精巧で、戦時下のドイツを生きる人々の姿が、当時の情勢を踏まえつつ生々しく描かれています。骨太な歴史ミステリとして、近年でも出色の1冊です。

『戦場のコックたち』


出典:https://www.amazon.co.jp/dp/B07V1G49VN/

『戦場のコックたち』は、深緑野分が2015年に発表した、著者初の長編小説です。本作は第154回直木賞の候補作となったほか、「ミステリが読みたい!2016年版」の国内版2位、2016年の「このミステリーがすごい!」2位、2016年本屋大賞の7位などに入り、注目を集めました。

本作の主人公は、アメリカ人兵士のティム・コール。彼は17歳で兵士に志願し厳しい軍隊生活を送っていたものの、周りから「軍人に向いていない」と馬鹿にされる日々でした。

自分はどうも軍人に向いていないらしい。射撃も上手くないし、足だって平均より遅い。仲間としゃべれば図体ばかりでかい子供と笑われて、“キッド”とあだ名される始末だ。
そんな僕でも、もしかしたらコックならできるんじゃないかと思った。何しろ僕は祖母の孫で、レシピを子守歌代わりにして育ったのだから。

イギリス出身で、紳士の屋敷でキッチンメイドとして長年働いていた祖母を持つティム。ティムは祖母譲りの食いしん坊で、「人生の楽しみは食べることだ」と言い切るような性格でした。ティムはその後、一般兵として第一線で戦うのではなく、後方支援に回る特技兵となり、周囲から「飯炊き野郎」と嘲笑されながらも、戦場のコックという役割を担うようになります。

同年代の兵士たちとともにヨーロッパ戦線を戦い抜くことになったティム。彼は日常の中でたびたび、奇妙な事件やできごとに遭遇します。あるとき、基地にあった600箱もの粉末卵が、ひと晩で忽然と消え失せるという事件が起こり、ティムはコック兵仲間であるエドワードたちとともに、気晴らしのために謎解きに興じます。

本作は、ティムたちコック兵が日々直面する“日常の謎”を解き明かすという形式の連作ミステリです。ティムたちの身の周りで起きる謎は、オランダの民家での夫婦の怪死事件、銃撃戦の際に聞こえてくる“怪音”事件など、どれも大きな事件でこそないものの、魅力的で好奇心を掻き立てられるものばかり。新兵として日々任務に格闘するティムたちの姿と、彼らの身の周りで起きる事件の面白さがかけ合わさり、ページを止める手が止まらなくなるような1冊です。

『オーブランの少女』


出典:https://www.amazon.co.jp/dp/4488453112/

『オーブランの少女』は、深緑野分のデビュー短篇集です。深緑は2010年に表題作で第7回ミステリーズ!新人賞の佳作を受賞し、作家としてのスタートを切りました。

『オーブランの少女』は、オーブランという広大で美しい庭園を舞台にした物語です。オーブランには可憐で美しい花の数々が咲き、庭園と麓の街とをつなぐ森道にはカフェや屋台が並び、街の人々の憩いの場となっていました。しかしそんなオーブランには、ある“秘密”がありました。

「奥の庭」と呼ばれる我々一般人は目にする事のできないもう一つの庭がある。開放されている表の庭を奥へ奥へと進んで行くと、突然、鎖と錠で封印された黒い鉄の門扉が眼前にそそり立ち、そこで表の庭は終わる。よもや刑務所か危険な実験室でもあるのではないかと勘繰りたくなるほど頑丈に作られた鉄の門扉は、高さ二メートル強、門柱に接するよう植えられた更に高い生垣が続き、奥の庭を囲っている。柵の間からかろうじて見えるものは、野生化した、お世辞にも美しいとはいえない色味のない雑草だけだった。

そんな“庭”のもうひとつの面は、街の人々に底知れない不気味さを感じさせていました。さらに、オーブランの管理人は体の不自由な老姉妹でしたが、表に出てくるのは彼女たちばかりで誰も本当の持ち主を見たことがないことも、その不気味な印象を強めていました。

ある日、その“奥の庭”で、管理人姉妹の姉が惨殺されるという事件が起こります。姉を殺したのは、精神錯乱状態に陥っていたという女。その女はすぐに病院に送られ、捜査員による事情聴取が試みられましたが、殺害の動機を話すことなく命を落としてしまいます。さらに、管理人姉妹の妹も、それから間もなく自死してしまったのでした。

この奇妙な事件の謎は、偶然殺人現場に居合わせた作家の“私”によって紐解かれていきます。“私”が調べていくと、オーブランにはかつて、重度の病や障害を持つ少女たちが集められ、外界と隔絶された場所で監禁されていたという恐ろしい過去があることがわかります。なぜ少女たちは集められたのか、そしてなぜ管理人姉妹は殺されなければならなかったのか──。その謎が『オーブランの少女』の鍵となります。

本書には他にも、“少女”にまつわる謎をテーマにしたミステリが4篇収録されています。どの作品もまったく毛色が違い、深緑の作品の多種多様さを存分に味わえるはずです。

『分かれ道ノストラダムス』


出典:https://www.amazon.co.jp/dp/4575522848/

『分かれ道ノストラダムス』は、深緑が2016年に発表した長編ミステリ小説です。

本作の主人公は、高校生の少女・あさぎ。彼女は中学のときに急死した同級生・基の日記を、彼の三回忌に祖母から譲り受けます。日記を読んでみると、その内容はすこし不可解なものでした。見開きのページにそれぞれ彼の“お父さん”と“お母さん”の行動がまるで観察日記のように記されていたものの、実際には基が日記を書いた3年前に、彼の父母は事故で亡くなっていたのです。さらには、日記帳の裏表紙にどこかオカルティックなマークが描かれていたことも気がかりでした。

いまだに基の死を受け止めることができていないあさぎは、その日記のなかに、基の死の手がかりがあったのではないか──と考え始めます。そして、高校のクラスメイトである八女の協力を得ながら、日記を読み解いていこうとするのです。SFに詳しい八女は、基の日記の記述に、“平行世界”を試そうとしていた可能性が考えられると指摘します。

「ご両親に関する記述は四月二十六日から五月三日までしかない。これは俺の推測だけど、もしご両親が亡くなったのが五月三日なら、彼は平行世界を試していたんじゃないかな」

八女や、その友人でオカルトマニアの久慈さんの力を借りながら、あさぎはしだいに基が死なずに済む分岐点がどこかにあった可能性を検討し始めます。

基はどこかで生きているかもしれない。こちらからは見えなくてもいい。たとえこちらの世界では選択肢を間違えても、別の世界では正しい方を選んだ私がいるのだとしたら。あの日からずっとずっと続いている疼きが、ひょっとしたらやわらぐかもしれない。

基は生前、亡くなった両親の死を悔やみ、やり場のない気持ちをどうにか落ち着かせようとし、皮肉なことに基自身も、誰を責められるでもない形で、死を迎えてしまった。
そして私もまた、「ああしていたら基は生きていたかもしれない」という“たられば”を、あの日からずっと、抱え続けている。

しかし、時代は奇しくも“ノストラダムスの大予言”が世間を賑わしていた1999年。予言通りに終末がやってくると喧伝する宗教団体、アンチ・アンゴルモアが、あさぎたちを不穏な動きのなかに巻き込んでいきます。

本作は、『ベルリンは晴れているか』のような骨太な歴史ミステリとも、『戦場のコックたち』や『オーブランの少女』のような魅力的なトリックを湛えたミステリともまた違う、甘酸っぱい青春ミステリ小説となっています。ノストラダムスの予言を馬鹿にしながらもどこかハラハラと新しい世紀の到来を待つ人々の心境や、基の死以来前向きな気分になれず、自分だけが止まった時間のなかにいるような気持ちでいる高校生のあさぎの姿には、1999年の空気や自分の高校生時代を思い出し、懐かしい気分になる方も多いことでしょう。本格ミステリとはまた違った、深緑野分の新たな魅力を感じられる1冊です。

『どんでんがかえる』


『どんでんがかえる』収録/出典:https://www.amazon.co.jp/dp/409406883X/

『どんでんがかえる』は、ショートショートのアンソロジー『超短編! 大どんでん返し』に収録されている、深緑による超短編小説です。まるで落語のようなタイトルの通り、本作は、噺家によって語られる小噺のようなスタイルで進みます。

世間じゃ、お話の終わりで「えっ」と読者を驚かせるようなことを「どんでん返し」なんぞと申すようですが、あたしの知ってるどんでんはちょっと違います。いえ、歌舞伎が語源だなどと言いたいんじゃありません。

こんな口上から始まる『どんでんがかえる』は、井田という賭け好きのだらしない男を主人公にした物語。金をすってしまった井田はあるとき、賭博場で借用書を前にして悪巧みをし、“丼田”(どんでん)という名前で署名をします。字の読めない下っ端の目さえごまかせれば、金貸しの胴元は借用主が井田だと気づかず、別人を取り立ててくれるのではないか──と考えたのです。

果たして作戦は成功しましたが、万一のことを考えて遠くの村まで逃げた井田。すると井田は辿り着いた先で、なんと偶然にも砂金を掘り当ててしまうのです。砂金を利用して大儲けをし、その村の村長にまで登り詰める井田ですが、金貸しの下っ端と胴元は、井田があの借用書に署名をした人物であることに気づいていました。井田は逃げられるのか、そして“どんでんがかえる”という題目の真意は……? という謎が、テンポよくコミカルに解き明かされていきます。

本書には深緑の同作のほかにも、人気作家・恩田陸によるホラー風の超短編『トワイライト』、“バカミス”の書き手として愛される蘇部健一によるハードボイルドな1作『トカレフとスタインウェイとダルエスサラーム』など、魅力的かつ、結末で「あっ」と驚くようなどんでん返しを楽しめる2000字の超短編が30篇収録されています。ショートショートが好きな方にも、深緑の作品をまずは短いものから読んでみたいという方にも、おすすめの1冊です。

おわりに

深緑野分作品の魅力は、登場人物たちの活き活きとしたキャラクターや会話を楽しむことができる極上のエンターテインメント小説であると同時に、舞台となる場所の情勢や歴史考証が非常に緻密であること。『ベルリンは晴れているか』や『戦場のコックたち』は歴史小説としても骨太な1作であり、複数のジャンルを横断する『この本を盗む者は』からは、著者がミステリに限らずマジックリアリズムやホラーなど、あらゆるジャンルへの造詣の深さと愛を持っていることが窺えます。

そんな深緑野分の作品は、ミステリや歴史小説、青春小説といったジャンルに囚われず面白い小説を読みたいという読書好きにこそおすすめしたいものばかりです。本屋大賞や直木賞のノミネートを機に深緑野分作品に興味を抱いたという方は、ぜひ今回ご紹介した1冊を入り口に、その世界に足を踏み入れてみてください。

初出:P+D MAGAZINE(2021/06/02)

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