「小説の魔術師」久生十蘭のおすすめ作品6選

今なお、「ジュウラニアン」と呼ばれるファンがいる、根強い人気を持つ昭和の作家・久生十蘭。今回は、孤高の作家である久生十蘭の作品群の中から選りすぐりの6作品を紹介します。

はじめに

(ひさ)()(じゅう)(らん)という作家を知っていますか?
今なお、「ジュウラニアン」と呼ばれるファンがいる、根強い人気を持つ昭和の作家です。流れるような文体とめまぐるしい展開の面白さを得意とする彼は、推理小説から歴史小説まで多彩なジャンルの作品を手がけ「小説の魔術師」と呼ばれました。私生活を明かさず、パリでレンズ工学や演劇を学んでいたという独特の経歴もその魅力の一つです。日本の作家でありながら、どこか外国の雰囲気を漂わせる作品で、練り上げられた迷路のような文体は読む者を惹きつけます。今回はそんな孤高の作家である久生十蘭の作品群の中から選りすぐりの6作品を紹介します。

東京を舞台に描かれる壮大な探偵長編/『魔都』

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この辺が、東京を称して一と口に魔都と呼び慣わす所以なのであろう。われわれの知らぬうちに事件は始まり事件は終る。この大都会で日夜間断なく起るさまざまな犯罪のうち、われわれの耳目に触れるものはその百分の一にも当らない。
「魔都」より

「日比谷公園の鶴の噴水が歌を唄う」という不可思議な現象を軸として、東京という場所を舞台に様々な人々が絡まりあう長編探偵小説です。安南国皇帝の失踪や愛妾の墜落死に巻き込まれた、新聞記者・古市加十が事件に翻弄され、警視・眞名古明がその解明に奔走します。その周りで蠢くたくさんの個性的な人々、昭和9年の大晦日からわずか30時間の出来事を、十蘭は作者自身を登場させながら、時にユーモアを加えて描きます。事件の真相とはなんなのか、彼らの運命はどうなってしまうのか、一度読み始めれば、その物語世界に迷い込んでしまうこと間違いなしの、十蘭が生み出した長編傑作です。

運命に翻弄される若い女性の葛藤の物語/『あなたも私も』

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それが日本のどこかへ落ちたとすると、三分の二以上の地域を、少なくとも三ヶ月間、死の灰で覆ってしまうから、あなたも私も……その区域にいる日本人は、どうしたって、ひとりも助からない……
「あなたも私も」より

夏の終わり、三流モデルのサト子が叔母の家にいるとろに、一人の青年に出会います。そして彼が海に飛び込んで警察が捜索を始めるところから物語は動き出していきます。青春小説のような爽やかさを持ちながらも原子力というテーマを抱えるこの作品は、十蘭の代表的長編です。
物語が進むにつれて、青年は死んではおらず亡き母の手紙を探しにきていたことや、サト子が実は時価12億ほどの鉱業権の相続者だということが徐々に明かされていきます。そしてサト子は自分の相続権を巡って現れる様々な人々に翻弄されながら、その秘密に迫っていきます。個性的な人々の描写や、お金持ちの生活などが十蘭の巧みな筆致によって描かれている、爽やかなミステリー長編です。
全体として推理小説仕立てになっている作品で、読者はサト子の目線を通して徐々に謎を解いていきます。何度も予想を覆される展開に驚きながらも、サト子の快活さに助けられながら共に謎に迫っているように感じることができるのです。十蘭は女性を描くのに優れていて、ここでもモデルの主人公の性格や生活を丁寧に描いています。そのような人間模様を描きながら、作品の大きなテーマとなっている原子力の話へと物語は集約していくのです。
この話は実際に起きた第五福竜丸事件を題材に書かれており、当時、十蘭が感じた原子力の恐ろしさや、戦後の日本という国の立場を物語に託しています。所々に盛り込まれている当時の社会風刺、肉親愛のテーマなど、爽やかな青春小説でありながら、推理小説でもある、この壮大な物語を是非主人公のサト子と共に楽しんでください。

死者との再会を通じて人生を見つめ直す短編/『黄泉から』

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光太郎は、おけいが光太郎のお嫁さんはじぶんの友達を推薦するといっていたという、今朝のルダンさんの話を思いだし、この娘をここへ連れてきたおけいの意志をはっきりと理解した。
「黄泉から」より

主人公の光太郎は美術品の仲買人としてパリで修行を積んだのち、世界大戦終了とともに帰国します。東京に買ってきてからも多忙な毎日を過ごす光太郎は、通っていた私塾の先生であるルダンと再会するのです。戦争で亡くなった弟子たちの墓を回っていたルダンでしたが、その死者の中には光太郎の従妹、おけいも含まれていました。病気で亡くなってしまったおけいは光太郎に密かに恋心を抱いていて、彼女との最後の別れとなった時のことを光太郎は思い出します。おけいの供養のために光太郎がフランス流のお盆の飾り付けをすると、おけいの知り合い、千代という女性が家を訪れてきます。そこで彼女の口からおけいの最期の様子が語られます。この儚くも悲しい物語にはどこか希望が感じられ、十蘭は死者と生者を繋ぐことでそれを巧みに描いています。死んでしまった者とどう向き合っていくのか、この作品はそれを教えてくれるような気がします。

恋人、家族、様々な愛の形の物語/『西林図』

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冬木が縁日向に坐って、懐手でぼんやりしているところへ、俳友の冬亭がビールと葱をさげてきて、今日はツル菜鍋をやりますといった。「ツル菜鍋とは変わってるね」
「西林図」より

「西林図」は十蘭の短編の中でも名作と謳われている作品です。主人公の冬木は、友人の冬亭がある屋敷の庭にいる鶴をひねりに行くというのでついて行くと、そこである老人に出会います。実はその老人は冬亭が思いを寄せていた文という女性の祖父であることがわかります。そして、戦争で行方不明になっている文を巡って冬木と冬亭の会話の中から徐々に謎が解き明かされていきます。冬木の絶対的な客観性とともに、物語は進んでいき、読者は徐々に物語に隠されている謎を知っていくことになります。この作品は「黄泉から」と同じように、死者と生者が出会うというような、能の世界観を取り入れているところも特徴です。短いながらも、霧が晴れていくように徐々に物語の筋がわかっていく不思議な文章が駆使され、謎解きの要素がありながらも、読めば読むほどより謎を深める不思議な作品です。

世界に認められた久生十蘭の代表作/『母子像』

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あんな風に母と手をつないで死ぬのだと思うと、すこしも悲しくはなかった。夕焼けがして、ふしぎに美しい夕方だった。
「母子像」より

この作品は昭和28年に、吉田健一の訳で「ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン」紙主催の第2回国際短編小説コンクールで1等を受賞した作品です。物語は、とある教師が受け持ちの生徒のことについて司法主任と婦人警官に尋ねられるところから始まります。素行が良かった太郎という生徒が放火騒ぎを起こすなど、最近様子がおかしいのですが、実はその彼は昔、母親に絞殺されかけた過去を持っていたのです。教師がその太郎に質問をしていくにつれて、少年の母に対する複雑な思いと、問題行動に至るまでの経緯が回想されていきます。サイパンでの日本人の集団自決や、慰安婦の問題など、戦争が残した暗い影や子供の母に対する複雑な感情を短いながらも巧みに描いています。推理小説だけではなく心理小説の要素も持つ、十蘭の技量を感じさせる短編です。

恐ろしい予言と共に進む異様な短編/『予言』

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あの時の記憶では、十二月の何日かに、知世子と誰かを射ち殺し、じぶんもその拳銃で自殺すると書いてあった。今日までの毎日が、石黒の予言通りに運んで来たのなら、これからも、やはりそのように動いて行くと思わざるをえない。
「予言」より

この物語は、一つの予言を軸に語られていきます。林檎を描き続ける安部忠良という男が知世子という婚約者を見つけるのですが、安部に絵を送ってくれた石黒という男の妻と関係を持っていると噂されます。その後、妻を自殺に追いやったとして石黒は、安部にある予言をします。この予言を巡って安部の結婚式は翻弄されていきます。その予言とは、「安部が婚約者の知世子と誰かを射ち殺し、その拳銃で安部が自殺する」というものでした。初めは予言など信じない安部でしたが、式の船上での出来事に徐々に怒りを募らせていくと同時に、実際の予言通りにことが進んでいることに驚きます。終盤では現実と非現実の境界を曖昧にしながら石黒の予言に対して安部が行動していきます。果たして安部は予言通りに行動してしまうのかと読者をそわそわさせるような展開と、それだけでなく、男女関係の虚しさや東洋と西洋の対比など、より深い読み取りもできる十蘭の傑作です。

おわりに

ここで紹介した以外にもたくさんの名作を十蘭は生み出しています。例えば、長編探偵ものの「顎十郎捕物帳」、若い女性を巧みに描いた長編であれば「キャラコさん」シリーズ、十蘭自身の実際の体験を題材にした「内地によろしく」などです、さらに、フランス文学の翻訳もいくつも手がけています。十蘭は一つのジャンルに止まることなく、常に様々な可能性に挑戦していました。彼が大切にしていたそのスタイル、多様な語彙や技巧的な文章は、唯一無二の存在といえるでしょう。ぜひ実際に読んでみて、その「小説の魔術師」の作品世界に酔いしれてみてください。

初出:P+D MAGAZINE(2019/05/30)

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