今月のイチオシ本【デビュー小説】

『貝に続く場所にて
 石沢麻依

貝に続く場所にて

講談社

『貝に続く場所にて』は、今年の群像新人文学賞を受賞したデビュー作だが、第165回の芥川賞を射止めた(李琴峰『彼岸花が咲く島』と同時受賞)。3・11小説の側面が強調されるが、選考会後の会見で松浦寿輝が「震災から10年を経ないとこの物語に昇華できなかった、と感じさせる独創的なアプローチと感じました」と述べたように、正面からストレートに被災体験を語る小説ではない。

〝私〟は美術史の博士論文を書くためドイツのゲッティンゲンに留学中。その彼女の前に、ある日、3・11の津波に遭い石巻で行方不明になった友人の野宮が、何事もなかったかのように現れる……。

 子供の頃、ニュースで「死者*人、行方不明者*人」と聞くたび、行方のわからない人がなぜそんなに大勢いるのか不思議だったが、あるとき、行方不明者とはつまり、まだ遺体が見つかっていない死者のことだとふと気がついた。しかし、遺体が見つからない以上、生きている確率はゼロではない。本書は、死者でも生者でもない中間的な(生死が決定できない〝シュレーディンガーの猫〟的な)存在として、行方不明者・野宮を描き出す。被災から9年の間どこで何をしていたのか、だれも野宮には問いかけないが、〝私〟には彼が生者ではないとわかっている。かといって本書は、お盆に帰ってきた霊を慰めるゴースト・ストーリーとして語られるわけでもない。

 かわりに、今から100年以上も前、ゲッティンゲンに数カ月滞在したことのある物理学者の寺田寅彦が野宮と連れ立って現れたり、〝私〟の同居人が飼っているトリュフ犬が、失われた過去のさまざまな遺物を森の中から掘り出したり、次々に奇妙なことが起こりはじめる。

 題名の〝貝〟とは、聖ヤコブのアトリビュート(持物)である帆立貝で、ゲッティンゲンの聖ヤコブ教会が、かつてドイツからスペインの聖地へと続く巡礼路にあったことを踏まえている(推定)が、他にも多くの意味が重ねられている。震災の記憶とコロナ禍の現在を軸にさまざまな事物と時間が重なり合う、緻密に組み立てられた独創的な幻想文学の傑作だ。

(文/大森 望)
〈「STORY BOX」2021年9月号掲載〉

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