今月のイチオシ本 【ミステリー小説】

『あの日、君は何をした』
まさきとしか
小学館文庫

 物事の表層を一瞥しただけで、つい訳知り顔をしてしまう人間の卑しい浅はかさ。まさきとしか『あの日、君は何をした』は、大鎌を振り被りながら、それはおまえにも当てはまらないか──と終始読み手を問い質すような長編作品だ。

 物語は、まず二〇〇四年に北関東で起きた悲劇から描かれる。午前二時、逃走した女性連続殺人犯を捜索中の警官が、無灯火の自転車に乗った不審人物を確認。職務質問をしようとしたところ相手は逃げ出し、トラックに激突して命を落としてしまう。死んだのは十五歳の男子中学生。彼は深夜に家を抜け出してなにをしていたのか。なぜ警官から必死で逃げたのか。様々な憶測が飛び交うなか、母親である水野いづみは愛する息子を喪った悲しみから、次第に常軌を逸していく。

 場面は変わって、二〇一九年の東京都新宿区。アパートの一室で、後頭部を鈍器で殴られたのち首を絞められて殺された二十四歳の女性の死体が発見される。警察は、被害者と同じ会社に勤務し、不倫相手と目される百井辰彦の行方を追うが、辰彦の母親である智恵もまた、嫁の野々子に疑心と苛立ちを募らせながら息子を捜そうと動き出す……。

 登場する人物のほとんどが、見た目からではわからない感情や事情を内側に抱えており、安易なキャラ付けを徹底的に拒んでいく。そんな簡単にひとが理解できるものか──という声がページをめくるたびに聞こえてくるようだ。

 まったく接点の見えない過去と現在につながりを見出すことになるのが、警視庁捜査一課の刑事──三ツ矢秀平だ。彼もまた壮絶な過去の持ち主であり、だからこそ、人間の、そして家族の想いが複雑に絡まり合った事件の全容を捉え、苦しみ続けた犯人の頑なな心を動かしてみせる。

 タイトルである〝あの日、君は何をした〟の真相は作中で明らかにされるが、その受け止め方はひとによって様々だろう。けれど、物事や人間にはひと目見ただけではわからないことがあり、そのなかにも道理や通い合う心は存在する。それだけは皆同じく理解できるはずだ。

(文/宇田川拓也)
〈「STORY BOX」2020年9月号掲載〉
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