『キングダム』

ポスト・ブック・レビュー【著者に訊け!】

半グレ集団の頂点に君臨する男の狂気を描くエンターテインメント長編

『キングダム』

キングダム

幻冬舎 1600円+税

装丁写真/松尾 哲

新野剛志

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●しんの・たけし 1965年東京生まれ。「実家は世田谷で、今思えば道を挟んだ目の前が関東連合の本拠地。ただ世代が微妙に違うし、特に脅威は感じませんでした」。立教大学社会学部卒。旅行会社勤務後、3年の放浪生活を経て、99年『八月のマルクス』で第45回江戸川乱歩賞を受賞しデビュー。著書に『FLY』『愛ならどうだ!』『中野トリップスター』『美しい家』『カクメイ』『明日の色』等。ドラマ化され、直木賞候補にもなった『あぽやん』シリーズも人気。175㌢、57㌔、A型。

 

個人から国家権力の行使に至るまで

暴力は愚かさと無縁ではいられない

 

酒はあまり飲まず、金や女にも執着はなかった。

それこそ〈犯罪者として、欲望が欠落しているのは、致命的だった〉と自嘲する男として、新野剛志氏は『キングダム』の主人公で元〈武蔵野連合〉リーダー、〈真嶋貴士〉を造形する。

「例えば人が人を殺す場合、大半は金か愛情が原因ですよね。でもそこにしか適性や〈居場所〉がない場合はどうなるのか、その強さや怖さを物語の中でシミュレーションしてみたかった」

 世田谷と調布、三鷹の暴走族OBらから成る武蔵野連合は関東連合、中国残留孤児2世3世中心の〈毒龍〉は怒羅権を思わせ、いわゆる半グレ集団を巡る興亡劇は現実と見まがうほど。強い地元意識で結ばれた彼らは単なる暴徒を超えた事業力と資金力を誇り、真嶋はネット上に数々の伝説が流布する英雄と化していた。

 暴力はなぜ人々を魅了してやまないのか。おそらくその一因には〈嫉妬と羨望〉があると、新野氏は言う。

「僕も関東連合の名前は、海老蔵事件の前にネットで知って、当初は芸能人絡みの噂に嫉妬心を刺激された野次馬の一人だったんですね。本書でも〈植草〉という若い刑事が、〈こいつら、ただの暴走族のOBですよ〉〈それが、金を手に入れて、美人モデルとかとセックスしまくってる〉〈世の中おかしいですよ〉と憤る場面がありますが、僕自身がそう思ってましたから(笑い)」

実際、10年11月に西麻布で起きた11代目市川海老蔵暴行事件や、横綱朝青龍を引退に追い込んだ同1月の暴行事件。12年9月に金属バットを手にした男たちが六本木のクラブ・フラワーを襲撃し、“人違い”による死者まで出した通称・フラワー事件等々、関東連合に関する虚々実々の黒い噂は今なおネット上を駆け巡る。

本書でも暴力団〈曳次組〉構成員〈平田〉が拉致され、虐殺された「西早稲田拉致殺害事件」の捜査にあたる警視庁組対四課刑事〈高橋〉は、自称・武蔵野連合通の植草の勧めで一連のスレッドを読み始め、寝食も忘れるほどハマってしまう。

「某有名女優から地元中学の先輩の話まで、とにかく読ませるんですよね。噂についても彼らは特に否定していないし、虚像も含めてあえて〈演じている〉部分があるんじゃないかな」

今一人の熱狂的な読者が、真嶋の元同級生〈岸川〉だ。6年働いた硝子工場を解雇され、中3までを過ごした千歳烏山に舞い戻った彼は、柄の悪い男にベンツを運転させる真嶋と偶然再会する。喪服姿の真嶋はやはり同級生だった〈増田和幸〉の弟〈建治〉の四十九日の帰りだと言い、別れ際、六本木で経営する店のパーティにお前も来いと岸川を誘った。かつてギャングで鳴らした岸川は〈中学のとき、お前と呼ぶのは岸川のほうで、真嶋は岸川君と呼ばなければならなかった〉〈俺のほうが上だ〉と怒り心頭だが、結局は文句も言えず、彼もまた真嶋を巡る黒い噂の虜となっていくのである。

「彼としては自分より格下だった真嶋がなぜ闇社会に君臨できたのか、当然知りたいだろうし、今が不遇だけに20年前の力関係に固執する気持ちもわかる。僕も同窓会へ行くとつい当時の関係に引き戻される感じがあるし、そうやって上下、左右を見ながら常に自分の位置を確認したがる傾向は、誰にでもある気がします」

実は拉致事件の被害者・平田は先々月に起きた増田建治殺害事件の容疑者で、その手下も実家を襲撃され、自殺していた。これを報復と見た捜査本部は増田の身辺を洗い直すが、職業は金融関係という以外、増田の女も正体は知らないという。手掛かりは以前マジマという人物から電話があったという証言だけだが、それがあの真嶋なら捜査は一気に進む。高橋らはIT企業や芸能会社を多数傘下に置き、何十億もの資金を動かすという怪物の実像を暴くべく、足を棒にする他なかった。

 

小説が現実に

負ける危機感

 

物語は岸川と高橋、そして大手モデル事務所にスカウトされた女子高生〈月子〉の語りで進み、中盤からは真嶋自らも話者に加わる。

「書き始めた当初は真嶋が暴力と恐怖で東京を支配していく過程を、岸川に近い傍観者の視線で読んでもらおうとしたんですけどね。

そんな時、例のフラワー事件が起きて、何なんだ、この愚かさはって、物凄くショックだったんですよ。あれだけ海老蔵事件で注目された直後にあんな事件を起こすなんて尋常じゃないし、嵌めたとしたら誰かとか、政権交代との関連まで考えた。とにかくこのままでは小説は現実に負けると危機感を抱くほど圧倒的な愚かさを前にして、論理や常識や既存の暴力すら逸脱した暴力を僕なりの形で書いてみたくなったんです」

ある人物は真嶋に言った。

〈やくざの暴力は、あらかじめその影響がどこまで及ぶかを想定している〉〈お前の暴力は、逆だ。どこまで波及するかわからない〉と。

嫉妬をこじらせ、常軌を逸した行動に出る岸川も、真嶋が営む秘密クラブ〈F〉で薬物や快楽に溺れていく月子も、真嶋の暴力に搦め取られた王国の住人だった。その余波は正義の番人を自負する高橋や真嶋自身をも脅かし、それぞれの王国はより大きな力、より大きな王国によって無惨にも踏みにじられてゆくのである。

「個人の暴力から国家権力の行使に至るまで、結局は暴力って愚かさと無縁ではいられないと思うんですよ。ちょうどこれを書き終えた頃、国会では安保法案が議論されていて、戦争という最大の暴力に向かっていく姿には、どんな正論を用いようと愚かさがつきまとう。

賢さと愚かさはまた別物ですしね。真嶋だって闇金や振り込め詐欺で稼いだ裏の金を表の系列企業に投資して巨万の富を築き、10年、20年先の東京を牛耳ろうと企む程度には賢い。そのために秘密クラブまで作って、政治家を抱きこむ切れ者が、同時にバカな抗争もやりうるところが、怖いんです。

真嶋を暴力団相手に一歩も引かないダークヒーローとして読まれる方もいるようですが、僕はあくまで彼を犯罪者として書き、ある種のカッコよさと愚かさが並立してしまう怖さも、ここには書いたつもりです」

欲望を持たない男の渇きに戦慄しながら読み進めるうち、暴力にしか居場所を見つけられなかった彼らの愚かさをいつしか傍観できなくなる、怒濤の470頁。人を妬み、羨み、どちらが上かを競い合う力の行使と無縁ではいられない以上、人は誰しもその闇を、内に抱えているということか。

□●構成/橋本紀子

●撮影/国府田利光

(週刊ポスト2015年10/16・23号より)

初出:P+D MAGAZINE(2016/01/04)

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