【直木賞・佐藤究『テスカトリポカ』、澤田瞳子『星落ちて、なお』が受賞!】第165回候補作を徹底解説!

2021年7月14日に発表された、第165回直木賞。文芸評論家の末國善己氏が、今回も予想! 結果は、佐藤究さんの『テスカトリポカ』、澤田瞳子さんの『星落ちて、なお』でした。末國氏による当初の予想はどうだったのでしょうか? 候補作5作品のあらすじと、その評価ポイントをじっくり解説した記事を、ぜひ振り返ってみてください!

目次

1.一穂ミチ『スモールワールズ』

2.呉勝浩『おれたちの歌をうたえ』

3.佐藤究『テスカトリポカ』

4.澤田瞳子『星落ちて、なお』

5.砂原浩太朗『高瀬庄左衛門御留書』

【まずは前回の答え合わせから】

 今回の第165回直木賞予想も、前回の答え合わせから始めたい。
 前回は、長浦京『アンダードッグス』を本命、西條奈加『心淋し川』を対抗、芦沢央『汚れた手をそこで拭かない』を穴としたが、『心淋し川』の受賞となったので、またも外れ。これで通算成績は3勝6敗となった。
 対抗に挙げた『心淋し川』が受賞したので惜しいともいえるが、『汚れた手をそこで拭かない』は「人間としてのリアリティーがない描き方」、『アンダードッグス』は「広げた風呂敷の寸法が足りなくなってしまった」と早々に落選したようだ。まったくのノーマークだった坂上泉『インビジブル』は「迫力は十分に感じさせた」、加藤シゲアキ『オルタネート』も北方謙三が「個人的に非常に推した」と評価が高かったが、「1つの世界がうまい具合に作り上げられている」「時代考証もしっかりしており、完成された連作短編。非常に手慣れていて、欠点がないのが欠点という意見も出た」という『心淋し川』の受賞に決まったので、前回の予想は展開を完全に読み間違えていた(選考経過の引用は「東京新聞」2021年1月29日)。
 なお『オルタネート』は第42回吉川英治文学新人賞と第8回高校生直木賞を受賞、『インビジブル』は第23回大藪春彦賞と第74回日本推理作家協会賞の長編および連作短編集部門を受賞している。

【第165回直木賞候補作、ココに注目!】

 まずは、今回の直木賞の見どころを紹介したい。
 『スモールワールズ』の一穂ミチ、『テスカトリポカ』の佐藤究は作家としてのキャリアは長いが初の候補作、『高瀬庄左衛門御留書』の砂原浩太朗は今回の最年長(といっても52歳)で作家暦も短いが初の候補作と、新人賞だった直木賞の原点に回帰したのか、功労賞的な役割を求められているのか判然としないラインナップとなったが、全員が初ノミネートだった前回と同様にフレッシュな戦いといえそうだ。
 2021年5月14日に決定した第34回山本周五郎賞は『テスカトリポカ』と『高瀬庄左衛門御留書』が候補作だったが佐藤究の勝利に終ったので、佐藤究の2 冠となるか、砂原浩太朗がリベンジを果たすのかも注目。『おれたちの歌をうたえ』の呉勝浩は江戸川乱歩賞では佐藤究の先輩にあたり、第20回大藪春彦賞を同時受賞(呉『白い衝動』、佐藤『Ank: a mirroring ape(アンク・ア・ミラーリング・エイプ)』)しているので同門対決の行方からも目が離せない。ただ何といっても最大のポイントは、デビュー作『孤鷹の天』が第17回中山義秀文学賞、2作目の『満つる月の如し 仏師・定朝』が第32回新田次郎文学賞を受賞する華々しいスタートをきったものの、なぜか直木賞は縁遠く、今回が5回目のノミネートと全候補者の中で最も多い澤田瞳子が『星落ちて、なお』で悲願を達成するかではないだろうか。

【候補作別・末國的見どころ解説!】

一穂ミチ『スモールワールズ』


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 一穂ミチは、2007年に「小説ディアプラス」に発表した「雪よ林檎の香のごとく」でデビューし、ボーイズラブ(BL)小説の世界で活躍してきた。『スモールワールズ』に収録された「ピクニック」は、第74回日本推理作家協会賞の短編部門の候補作になるなど高く評価され、直木賞の初候補作になった。
 『スモールワールズ』を一言でいうと、超絶技巧の短編集。不妊と夫の不倫疑惑に悩む30代半ばのモデルが、中学生の姪の同級生・笙一と交流を深めていく「ネオンテトラ」、自分が通う高校に居心地の悪さを感じている主人公が、出戻ってきた巨漢の姉に振り回されるユーモラスな「魔王の帰還」、新生児の育児に悩んでいた母親が、子供が突然死したことで虐待の疑惑をかけられる「ピクニック」、刑務所に入った加害者と被害者の妹の往復書簡というスタイルになっている「花うた」など収録の6作は、少し変わった日常を描いていた物語が、次第に明らかになる意外な事実と周到に配置された伏線によって予想もしなかったところへ着地し、どんでん返しともいえる急展開の中に深いテーマを織り込んでおり緻密な構成が光る。

呉勝浩『おれたちの歌をうたえ』


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 選考委員の評価が二分したことも話題となった『道徳の時間』で、第61回江戸川乱歩賞を受賞してデビューした呉勝浩だが、『白い衝動』で第20回大藪春彦賞、直木賞候補になるも落選した『スワン』が第41回吉川英治文学新人賞と第73回日本推理作家協会賞の長編および連作短編集部門を受賞するなど、確実に賞レースにからむ作家になっている。今回は、『スワン』に続く2回目の直木賞候補である。
 デリバリーヘルスの運転手の河辺に、見知らぬチンピラの茂田から幼馴染みの佐登志の死を知らせる電話がかかってきた。故郷に近い長野県松本市内のアパートで遺体と対面した河辺は、茂田に永井荷風の文庫本を手渡される。その中に佐登志が書き残した詩は暗号になっており、解読すれば金塊の隠し場所が分かるという。茂田と謎を追う河辺は、問われるまま佐登志との思い出を語り始める。小学生の時、左翼過激派の逮捕に協力した河辺、佐登志ら五人は「栄光の五人組」と呼ばれていた。河辺たちは仲間の1人・風花の父から文学の話を聞くことを楽しみにしていたが、風花の姉が殺され、それがさらなる悲劇を巻き起こしたためバラバラになってしまう。暗号解読のため「栄光の五人組」を訪ねる河辺は、自分たちの過去と向きあうことになる。
 『スワン』の直木賞の選評には、「あらゆる意味で、盛り込み過ぎ」「登場人物が多過ぎる」(桐野夏生)、「無差別殺人を底辺に置いて、被害者、目撃者、関係者などの話を組み立ててゆくという趣向は、いかにも作為的」(宮城谷昌光)とある(「オール讀物」2020年3・4月合併号)。本書は、こうした欠点が克服されており、豊かな物語性、重い過去を背負ったリアルなキャラクターを使い、一九七〇年代と現代を繋ぐ時代でしか成立しない謎解きを作り上げていた。激動の時代に翻弄され負け組になった河辺たちが、過去を克服し未来を切り開こうとあがく展開は、身近に感じられるのではないか。

佐藤究『テスカトリポカ』


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 佐藤究は、2004年に第47回群像新人文学賞の小説部門の優秀作となった「サージウスの死神」(佐藤憲胤名義)でデビュー、2009年には単行本『ソードリッカー』(佐藤憲胤名義)を上梓するも長い沈黙期間に入り、2016年に『QJKJQ』で第62回江戸川乱歩賞を受賞して実質的な再デビューを果たした。その後も新作の刊行ペースは早くないものの、2017年に出た『Ank: a mirroring ape』で第20回大藪春彦賞と第39回吉川英治文学新人賞の2冠に輝き、3年ぶりの新作『テスカトリポカ』は既に第34回山本周五郎賞を受賞、二作続けての2冠達成なるかも興味深くなっている。
 佐藤究はジャンル分けが難しい作品を発表しているが、本書も臓器密売を描くクライムノベルと、中米に伝わるアステカ神話が融合していく極め付けの怪作である。
 暴力団幹部とメキシコ人の母を持ち神奈川県川崎市で暮らしていた少年コシモは、両親を殺し施設に入った。その頃、メキシコで麻薬カルテルを率いていたバルミロは、敵対組織に一族郎党を皆殺しにされるも生き残りジャカルタに逃れた。そこで元心臓血管外科医で臓器密売コーディネーターをしている末永と出会ったバルミロは、日本で無戸籍児童の心臓を海外の富裕層に売る新たなビジネスを立ち上げる。施設を出たコシモは、バルミロに見込まれ組織の一員となる。
 過激な作品が多い海外のクライムノベルを読んでも暴力描写に驚くことはなくなっていたが、「粉」の異名を持つバルミロが、敵の体の一部を液体窒素で凍らせて砕くシーンには久々に衝撃を受けた。過激なバイオレンスもさることながら、心臓の闇売買が、生贄の心臓を神に捧げたアステカの儀式と二重写しになるイマジネーションはさらに圧倒的だった。力で敵勢力を排除し、貧しい人たちを搾取し、グローバル市場で商品を高く売るバルミロの心臓密売ビジネスは、肥大化する市場原理主義の暗喩であり、日本人の子供が臓器を奪われる被害者として描かれるところは、国際的な競争力を失いつつある日本の現状を写し取っているなど、現代的なテーマの掘り下げも秀逸である。

澤田瞳子『星落ちて、なお』


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 澤田瞳子が最も直木賞受賞に近かったのは、選評を読むと同時受賞の可能性があった第153回の『若冲』と第158回の『火定』だろう。幕末から明治を生きた天才絵師・河鍋暁斎の娘とよ(暁翠)を主人公にした『星落ちて、なお』は、『若冲』の系譜に属しており、再び選考委員の高評価を得るかが鍵になるだろう。
 明治22年、河鍋暁斎が死んだ。葬儀には多くの弔問客が訪れたが、喪主で長男の周三郎が姿を消した。すぐに周三郎の家に向かったとよは、暁斎がとよに絵を教えたのは、娘の応為を絵師にした葛飾北斎を真似ただけという残酷な言葉を投げ掛けられる。偉大な父に近付くため悩み、苦しんでいるのは一緒なのに、その方法が違うゆえに反発し合うとよと周三郎の確執は、物語を牽引する核になっていく。
 父親の影響に囚われ絵師として苦悩するとよと並行して、自己主張する女性を戒める風潮が、女性のやさしさや優美さだけを切り取る美人画の流行を生むなど、女性への抑圧が本格化する近代日本の姿も活写されている。とよはアメリカ留学を経験し働く女性に理解がある夫と結婚し、女子美術学校で教鞭を取るなどしていたが、女性を束縛する社会の風潮とは無縁ではなかった。天才絵師を最新の研究と独自の解釈で描いた『若冲』とは異なり、決して才能に恵まれておらず、家族とのトラブルを抱え、女性であるというだけで自由に絵を描いたり、発表したりすることもできなかったとよは、等身大の存在とされている。とよが現代の女性と変わらない様々な制約を受けているだけに、悩みながらも自分の進むべき道を模索する展開は、共感する読者も多いように思えた。

砂原浩太朗『高瀬庄左衛門御留書』


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 砂原浩太朗は、第2回決戦!小説大賞を受賞した「いのちがけ」がアンソロジー『決戦!桶狭間』に収録されてデビュー。「いのちがけ」は、家臣の村井長頼の視点で前田利家の生涯を追った初の単著『いのちがけ 加賀百万石の礎』にも収録された。2作目の『高瀬庄左衛門御留書』が初の直木賞候補になったところは、第162回直木賞を受賞した川越宗一『熱源』、惜しくも受賞を逃したが前回の候補作になった坂上泉『インビジブル』を思わせる。
 神山藩で郡方を努める高瀬庄左衛門は、妻を亡くし、跡を継ぐはずだった息子も不慮の事故で失った。50歳を前に初めて一人で暮らすことになった庄左衛門は、寂しさをまぎらわせるため絵筆を握る。庄左衛門は、長男の妻・志穂を四十九日後に離縁したが、既に実家に居場所がなかった志穂は、絵を習うという名目で庄左衛門の元へ通い始める。やがて神山藩で政争が勃発、静かに暮らしていた庄左衛門と志穂はその渦に巻き込まれていく。
 無駄をそぎ落とした美しい文体で綴られる物語は、先に進むにつれ個人の生死など歯牙にもかけない政治の非情を明らかにしていくだけに、庄左衛門たちが、家族の絆、かけがえのない友情、美しく生きるという信念で不正に立ち向かう展開には深い感動がある。藤沢周平、葉室麟の世界観を受け継いだ作品なので、時代小説としては決して目新しくはないが、現代人がシンパシーを感じられるエッセンスを加えながら独自色を出しており正統的な発展系となっている。

【いざ、受賞作品を予想!】

 上記を踏まえ、第165回直木賞を予想したい。
 小説はどのジャンルも先行する作品を踏まえ、乗り越えることで発展してきた。その意味では藤沢周平、葉室麟の系譜に連なる『高瀬庄左衛門御留書』もマイナス評価にはならないのだが、庄左衛門の造形が藤沢の『三屋清左衛門残日録』に、作中で庄左衛門が巻き込まれる事件、政治、恋愛、家族の問題を複雑にからめたところは葉室の『蜩ノ記』にあまりに近すぎた。選考委員は別とはいえ、山本周五郎賞で『テスカトリポカ』に敗れた作品が、直木賞を取る可能性も低いと考えている。
 先行作に似ているという点では、『おれたちの歌をうたえ』は藤原伊織『テロリストのパラソル』を強く意識している(『テロリストのパラソル』に影響を与えたレイモンド・チャンドラー『長いお別れ』の影も見え隠れする)。この作品は、物語の背景に70年安保闘争から始まり、一部が過激化してよど号ハイジャックや浅間山荘事件に帰結する左翼運動が置かれているが、この辺りを、全共闘世代の北方謙三、左翼過激派の運動が事件にからむ『マークスの山』を書いた高村薫がどのように評価するかは気になるが、北方謙三は青春小説系の作品は高く評価する傾向もあるので、その場合は『おれたちの歌をうたえ』はツボかもしれない。作中には明治から戦後まで多彩な文学作品が引用されているが、浅い解釈が散見され、そこも選考委員の好き嫌いが分かれる気がする。
 織田信長といえば、朝廷や幕府の権威を否定する斬新な政権構想を持つ合理的な独裁者として語られがちだが、近年は諸勢力の動向に気を使っていたとの史料も発見されており、いずれは新たな史料や作家の解釈でまったく違った信長を描く作品が現れるだろう。このように歴史小説は、人物のイメージが固定されているとそれを覆す面白さもあるのだが、澤田瞳子の『若冲』は残した作品ほど人物像が広まっていない若冲を主人公にしたため、作家のたくらみが選考委員に十分に伝わっていなかった。『星落ちて、なお』は、偉大な絵師ではなく、激動の時代を生きた普通の女性としてとよを描いているので、歴史小説でありながら、市井ものの時代小説を思わせるテイストがあり、誰もが理解しやすい物語になっている。ただ、とよの時代の画壇で起きた実際のトラブルを描くなど、ややエピソードを詰め込みすぎていて、焦点がボケてしまったのは否めない。
 純粋に完成度だけで評価するなら、頭一つ『テスカトリポカ』が抜けている。というより、物語の根幹をなす斬新な発想、スケール、熱量、伏線を完璧に収束させる構成、テーマ設定と、まさに非の打ちどころがない。その一方で、「スピード感に溢れた作品であるが、そのせわしないことといったらない」(林真理子)、「小説の面白さについては抜きん出ていた。そのことだけでも受賞に価するとは思ったのだが、やはり登場人物に文学的な深みが読み取れず、強く推すことはためらわれた」(浅田次郎)など、前回の『アンダードッグス』に否定的な選評(「オール讀物」2021年3・4月合併号)は、『テスカトリポカ』にあてはまるところもあり、先行委員の顔ぶれが同じなので否定の流れになる可能性も捨て切れない。
最も選考委員の評価が予測できないのが、『スモールワールズ』だ。少し変わった人たちを描くことで普遍的なテーマを浮き彫りにしたところは、前回の受賞作『心淋し川』に近いテイストで、技巧性や着地点を予測させない展開は先行委員の評価が高かった第162回直木賞の候補作となった小川哲『嘘と正典』を彷彿させるので好感触になると思える。ただ表面的にはミステリ的ではないが、最後にはしっかりミステリで落ちるなどやはりテクニカルな作品だった前回の候補作『汚れた手をそこで拭かない』は評価が低いので、どちらに転ぶか判然としない。

【本命は……!?】

 と、選考会での議論を想定したところで結論を出すと、本命は『テスカトリポカ』。この作品が受賞しなかったら選考委員に小説を読む力がないといいたいくらいである。対抗は、先行作の強い影響があり、歴史の記述に瑕疵が指摘されるかもしれないが、青春小説テイストのミステリを強く推す委員がいると判断して『おれたちの歌をうたえ』穴は『スモールワールズ』か『星落ちて、なお』かで迷い、そろそろ功労賞的に澤田瞳子がきそうではあるが、これまでの選考委員の冷たい仕打ちを見ていると、また同じようになると思えるので、『スモールワールズ』とする。

 選考委員は前回と同じ浅田次郎、伊集院静、角田光代、北方謙三、桐野夏生、高村薫、林真理子、三浦しをん、宮部みゆきの9名、選考会は2021年7月14日に築地の料亭・新喜楽で開催される。

【筆者・末國善己 プロフィール】

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●すえくによしみ・1968年広島県生まれ。歴史時代小説とミステリーを中心に活動している文芸評論家。著書に『時代小説で読む日本史』『夜の日本史』『時代小説マストリード100』、編著に『山本周五郎探偵小説全集』『岡本綺堂探偵小説全集』『龍馬の生きざま』『花嫁首 眠狂四郎ミステリ傑作選』『いのち』『商売繁盛』『菖蒲狂い 若さま侍捕物手帖ミステリ傑作選』などがある。

初出:P+D MAGAZINE(2021/07/12)

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