【映画化】若竹千佐子『おらおらでひとりいぐも』の魅力

第54回文藝賞と第158回芥川賞をダブル受賞した、若竹千佐子による小説『おらおらでひとりいぐも』。桃子さんという74歳の女性を主人公にした本作は、“玄冬小説”として幅広い世代の読者の心を掴みました。そんな『おらおらでひとりいぐも』のあらすじと読みどころをご紹介します。

2020年11月6日から全国公開されている映画、『おらおらでひとりいぐも』。本作は、夫に先立たれてひとり暮らしをしている74歳の女性・桃子さんの人生と、賑やかな心のうちを描いた作品です。

主人公の桃子さんを演じるのは、田中裕子蒼井優。また、桃子さんの頭のなかに入れ代わり立ち代わり現れるさまざまな感情や声を擬人化したキャラクター、“寂しさ”たちを、濱田岳、青木崇高、宮藤官九郎の3名が演じます。

原作は、63歳で作家デビューした若竹千佐子による同名小説。第54回文藝賞と第158回芥川賞をダブル受賞し、著者自身が本作を“玄冬小説”(「老い」を描く小説)と呼んだことでも話題となりました。

今回は、そんな原作小説のあらすじと読みどころをご紹介しつつ、作品の魅力を紐解いていきます。

『おらおらでひとりいぐも』のあらすじ

主人公の桃子さんは、郊外の新興住宅地でひとり暮らしをしている74歳。15年前に夫に先立たれ、娘と息子もそれぞれ自立し、毎日を漠然とした孤独感や寂しさとともに過ごしています。

そんな彼女の頭のなかに、このごろ盛んに聞こえてくる“声”がありました。それは結論を持たず、入れ代わり立ち代わり現れるまとまりのない言葉たちでしたが、毎回決まって、桃子さんの故郷の言葉である東北弁で語りかけてくるのです。

あいやぁ、おらの頭このごろ、なんぼがおがしくなってきたんでねべか
どうすっぺぇ、この先ひとりで、何如にすべがぁ
何如にもかじょにもしかたながっぺぇ
てしたごどでねば、なにそれぐれ
だいじょぶだ、おめには、おらがついでっから。おめとおらは最後まで一緒だがら
あいやぁ、そういうおめは誰なのよ
決まってっぺだら。おらだば、おめだ。おめだば、おらだ

“おめだば、おらだ”。つまり、この声の主は桃子さんそのものでした。桃子さんは24歳、東京オリンピックの年に故郷を離れて以来、日常会話も内なる思考の言葉も標準語で通してきたはずなのに、いまになって、頭のうちから東北弁が次々と溢れ出てきて止まらなくなっているのでした。

桃子さんは、東京で出会い、生涯をともにした夫の周造のこと、車でわずか20分ほどの街に住んでいるのに、些細なことから疎遠になってしまった娘の直美と孫のさやかのこと、そして祖母や母のことをあれこれ思い出しながら、“人のために”生き続けてしまった自分の半生と自分の行く先について、考えを巡らせ続けます。

東北弁が織りなすジャズのようなリズム

前述のとおり、桃子さんがなにかを考えるときに立ち上がってくる声は、すべて東北弁の言葉として書かれています。その東北弁が織りなす美しくも賑やかなリズムこそが、本作の大きな魅力につながっています。

桃子さんは、子ども時代、“おら”という一人称と引き換えに“わたし”という言葉を得たときの感覚をこう振り返ります。

教科書で僕という言葉やわたしという言葉を知ったときの、あやっという感覚。おら、という言葉がずいぶん田舎じみてというか、はっきり言えばかっこ悪く感じられた。ならば、わたしと言えばいいかというと、問題はそんたに簡単でね。その言葉を使ったとだん、気取っているような、自分が自分でねぐ違う人になったような、喉に魚の骨がひっかかったような違和感があった。(中略)
あの頃がらおら東北弁に対して素直になれねのす。好ぎなのに好ぎと言えないもどかしさ、嫌いなのにやんたど言えないじれったさみでな、だどもそんなこといちいち考えていたら一切、喋べこどできねがら、どんと蓋をしてその上にどっかり腰を下ろしてさ、と桃子さんの内の誰かが言った。

若いころは東北弁に対し、一筋縄ではいかない思いを抱いていた桃子さん。しかしいま、ひとりになった桃子さんにとっては、まるでジャズのセッションのように自分のうちで賑やかに響く東北弁がありがたい存在に思えるのでした。桃子さんは自分自身を地球の46億年の歴史に重ね、“東北弁とは最古層のおらそのものである”と思考を巡らせます。

著者である若竹千佐子も岩手県遠野市の出身で、桃子さんと同じように、自分の思考のルーツにあるのは東北弁だと語っています。

私にとって標準語は着飾ってちょっと体裁ぶった言葉なんです。そこに私の本当の思いは乗っからない。

東北弁って口の重い人たちがもごもご言っていて、あまり感情を表に出さないと思われていますが、それはまったく違って、すごく表情豊かで面白い言葉なんです。
(『文藝』2018年夏号「小説が問い続けてきたもの──方言の魅力と、哀しみを発見する面白さ」より)

関西弁で書かれた作品は数多くあれど、これまであまり小説のなかで注目されることのなかった東北弁。本作は、そんな東北弁の多弁さ、表情の豊かさを知ることのできる作品です。

「妻」「母親」の役割を捨てていく桃子さん

桃子さんは内省を繰り返すなかで、自分はこれまで人のためにしか生きられなかったのだ、という思いに至ります。

あるとき、桃子さんはおれおれ詐欺に騙され、息子の同僚を名乗る男に大金を渡してしまったことがありました。娘の自分ではなく息子ばかりを気にかけていたからそのような浅はかなことをしてしまったのだ、と直美に非難された桃子さんは、そうではなく、あれは“贖罪”だったのだと振り返ります。

大勢の母親がむざむざと金を差し出すのは、息子の生に密着したあまり、息子の生の空虚を自分の責任と嘆くからだ。それほど、母親として生きた。
母親としてしか生きられなかった。

また、桃子さんは妻としても、周造にとっての理想の女でいることを信条としていました。

周造が望んだのは控えめで後ろからついてくるような女ではなかった。むしろ、元気でわがままな楽しい女だった。桃子さんは全力で応じた。周造を魅了し続けること、それによって周造の生きる手ごたえになること。
ごく自然に周造のために生きる、が目的化した。

そんな彼女がひとりになり、母親という役割、そして妻という役割を脱ぎ捨てて初めて感じたのは“自由”でした。桃子さんは母親として娘と息子、そして妻として周造のことを心から愛していましたが、人のために生きるのはつらく、愛よりも大事なものは自由であると感じられるようになった自分の変化を、喜ばしいものだと受け止めます。

愛というある種の枷から解放された桃子さんの世界が頭のなかで次々と広がり、体が老いていくのに反して思考はどんどん自由になっていくのも、本作のとても美しいところです。

どこまでも“私自身”を探索し続けること

しかし、桃子さんがひとりになったことで得た自由のすばらしさを描く──という点に本作は留まりません。彼女にとって最古層であった東北弁を発掘し、孤独であることの自由も得た桃子さんは、それでもなお、月並みな言葉が頭に浮かぶたびに

何が忍び寄る老い、なにがひとりはさびしい。それはおめの本心か。それはおめが考えたことだが。

と自分自身の思考をさらに掘り続けようとしていきます。このような桃子さんの態度を、若竹千佐子はこう分析しています。

もののあはれとかに落とし込まないというのは、とにかく私は好日的な人間で、常にこういう気持ちを心のなかに耕し続けようという思いがあるからかもしれません。だから桃子さんも、たとえばすごい汚いものを自分の心の中に見つけてもそれで「ああ……」とはならなくて、むしろ「こんな私を、私は見つけた。嬉しい!」と感じる。すごく落ち込むし、悲しい悲しいで自分の人生って何だったんだろうと思うんだけれども、私の中に私はこういうものを発掘した、その発掘した喜びが桃子さんの原動力になるんでしょうね。
(『文藝』2018年夏号「小説が問い続けてきたもの──方言の魅力と、哀しみを発見する面白さ」より)

母親や妻という役割を終え、自由であることの孤独も知り、自分の人生の価値をあらためて問い直したときに桃子さんは苦しみます。しかしそんな彼女を芯で支えているのは、新たな自分にまたひとつ出会えたという“喜び”なのです。

本作は非常に重層的で、死別の苦しみや役割を内面化することの苦しみも描いていますが、好奇心旺盛で常に“これから”を見据えている桃子さんの姿は、読後に爽やかな余韻を残してくれます。

おわりに

本作のタイトルである『おらおらでひとりいぐも』は、宮沢賢治の詩『永訣の朝』からとられた言葉です。

“わたしはわたしでひとりでいく”という意味のこの言葉がつけられた本作をあらためて振り返ったとき、桃子さんというキャラクターに励まされている自分の存在に気づいた、と若竹は語っています。

老年の女の人のすべてを書いてみたいという気持ちから書いたの。私がこれから行く先だと思ってね。だけどそれは、老人の生き方がどうしたとか、老人を励ますとかは、一切考えてなかったの。でも今の私は、桃子さんに励まされるところがある。年をとって病気をしたりいろいろすると、桃子さんはちゃんとやってるな、ひとりでちゃんと生きるというのはすごいことだなって。
(『文藝』2020年冬号 対談「蒼井優×若竹千佐子 変わりゆく日本の妻」より)

歳を重ねてひとりで生きるということの凄まじさを、虚無や孤独も含めて正面から描いている『おらおらでひとりいぐも』。その道をこれから行く人にとってもこれまで来た人にとっても、ぜひ読んでいただきたい1冊です。

初出:P+D MAGAZINE(2020/11/17)

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