高樹のぶ子おすすめ4選――清澄な言葉で綴られた美学の世界を読む

1984年、『光抱く友よ』で第90回芥川賞を受賞し、2002年から2019年まで芥川賞選考委員を務高樹のぶ子は、明るく澄んだ文章で、広い視野から恋愛の美学などを描く作家です。そんな著者のおすすめ作品4選を紹介します。

『白磁海岸』――海岸から飛び込んで死んだ息子の背後に潜む、北朝鮮問題と古美術界の闇


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堀雅代は、定年を機に、素性を隠して金沢へ移り住みます。16年前金沢の海岸から飛び降りて死んだ息子・圭介の本当の死因を探るために――。当時、金沢芸術大学に通っていた圭介は、同級生・柿沼利夫と羽田うだ涼子(現在、利夫の妻)との三角関係に破れて自殺したと見られていました。雅代は、金沢の古民家ギャラリーに住み込み、管理人をする傍ら、事件の深層に迫ろうとします。
同じ頃、金沢芸術大学講師・薄井宏之は、校内のロッカーから古い皿を見つけます。それは数十億円の価値を持つ千年前の高麗白磁でした。それを知った、古美術界の重鎮にして涼子の父である羽田豪太郎は、薄井に、「堀圭介のことを知らないか?」と探りを入れてきます。偶然雅代と知り合い、雅代の抱える事情を知った薄井は、圭介の死と白磁皿のあいだに因果関係があると睨み、地元の新聞記者を当たります。

“北から朝鮮白磁が運ばれるルートがあったと思います。脱北者を手引きするルートがあり、彼らは漁民を装ったり、軍人の身なりで舟に乗ってやってくる。持ち込んだ白磁を手引き者に渡す。それにより日本での安全と生活資金を得たと考えられます”

“海岸には、北朝鮮からの漂着物が多くてですね。物や舟だけでなく生きた脱北者や漂流死体もあったようで……地元としてはあまり公表してほしくない。政治的な問題も微妙なので”

メディアが伏せているだけで、北朝鮮から北陸海岸への漂流遺体は少なくないことに驚愕した薄井。豪太郎が美術界の黒幕で、高麗白磁の密輸に一枚噛んでいたのではないか、また、圭介はそれに何らかのかたちで巻き込まれ、殺害されたのではないかと疑い、豪太郎に疑問をぶつけます。

“君が言うところの脱北者と白磁の密輸ルートだが、そんなものが仮にあったとしてだよ、百年後の日本にとって、それらの逸品が日本に在ることは悪いことだろうか? それらの白磁が北朝鮮の崩壊とともに破片になって霧消してしまうのと、日本のどこかの美術館の棚に収まっているのと、どちらが良いと思うかね(中略)君が言うような違法なルートで北朝鮮の白磁が日本に入ってきたと公表されたらどうなるかね。日本中にある朝鮮白磁が返還の対象になりかねない。いま、美術館で白磁ファンを愉しませている逸品の数々も、返還運動が起これば、地下に潜るしかなくなる。一千年も墓に眠っていて、ようやく陽の目を見た白磁たちが、ふたたび公衆の目の前から姿を消すだろう”

美術品の保護という大義名分のもと、自身の罪を正当化する豪太郎。さらに、遺体が多くあがる北陸海岸において、圭介の遺体だとされたのは実は別人物のもので、圭介はどこかでまだ生きているという憶測まで飛び出し、事態は混迷を深めます。美術ファンも満足のミステリーです。

『小説伊勢物語 業平』――平安時代の歌人・在原業平ありわらのなりひら。恋と和歌に生きた人生を馥郁ふくいくとした日本語で綴る


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『伊勢物語』の主人公のモデルとされる六歌仙の1人・在原業平の一代記を、恋愛小説の名手の著者が描いた話題作です。
「心まめにして良き姿」の業平は、恋の壁に行き当たったことのない人生を送って来ました。ある日、業平は、清水寺詣での際、車の御簾越しに、藤原ふじわらの高子たかいこと出会います。業平が慕うこれたか親王とは反目する藤原家の秘蔵の姫にして、いずれ清和帝の后との呼び声も高い一方、夜になると都中を馬に乗って駆けまわっているという噂も持つこの女性に、業平は興味を覚えます。ところが、言い寄ろうとした業平に対して、高子のとった反応は、

“「わたくしが欲しいものは、かたちばかりの文ではありませぬ。こと無くても、いかようにも言の葉は繰れます」
業平は、痛いところを突かれました。歌の上手とは、言の葉の繰り上手でもあります。業平のおごる心を砕き、さらに深く入ってこられようとされるのか、高子姫”

「歌の力は恋の成就には欠かせぬもの」を信条としてきた業平は、高子から、言葉余りて心足らずな態度を批判され、心外の様子。けれど、簡単にはなびかない利発な高子にますます惹かれてしまうのでした。業平は、高子に贈る和歌を考えます。
「わが袖は草の庵にあらねども暮るれば露の宿りなりけり(わたしの袖は草の庵ではありませんが、まるで草の庵のように、暮れてくると露の宿り所となり、ほれこのように涙に濡れてしまうのです。あなたへの叶わぬ思いゆえに)」という歌を思いつくものの、高子の言葉が胸によぎり、次のような自己批判に陥ってしまうのです。

“草の庵とは、世を捨てた人の粗末な住まいのこと、そのような筆はいかにもまことより遠いいにしえの歌の借りものではありませんか。古より言い慣わされてきたたとえを、真似ただけのこと。はたと気づきます。業平、涙を流してなどおりません。歌詠み、歌上手、の高名も、在りのままの心にくらぶれば、なんとも色が浅い”

手垢のついた紋切り型の言葉では、高子の心を動かすことはできないと考えた業平は、別の歌を考えます。

“思ひあらばむぐらの宿に寝もしなんひしきものには袖をしつつも
(情があるなら、たとえむぐらが生えているようなひどい住まいでありましても、供寝は出来ますでしょう)
高貴な方に、葎の宿を譬えに申しましたのは、高貴なお方ゆえ、読み捨てることをなさらないであろうと、業平なりに思い定めてのことでありました。
業平が贈った、葎の宿の供寝、ですが、たしかに高子の心を揺さぶりました。高貴な方ゆえに、生涯有り得ぬ下々の生業に憧れ、動かされるものです”

相手の心の裏まで読んだ、和歌による恋の駆け引きと比べると、現代の携帯メールの「愛している」などの言葉は薄っぺらく思えるほどです。
 やがて、高子は、宮中に入内しますが、業平は、高子のことがあきらめきれず、忍んで通います。

“忍ぶことなく手に入る恋は、全山いたる所に実る柑子を食すようなもので、興はありません”

というのが恋の醍醐味だとか。その後、物語は、業平が高子を盗み出して芥川あくたがわのほとりまで駆け落ちするものの、雷雨が激しくなってきたため、高子を蔵の中に隠しておいたところ、高子がいつのまにか姿を消してしまったという、有名な「芥川」の章へと繋がっていきます。

『オライオン飛行』――仏人飛行士と日本人看護師。この恋は、純愛か、国策か


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本作のヒロイン・里山あやめ26歳は、福岡県別府の実家で、戦前、看護師をしていた大叔母・桐谷久美子が、外国人男性と共に写っている写真と懐中時計を見つけます。調べていくうちに、男性は、仏人飛行士アンドレ・ジャピーで、1936年、フランスから日本へ冒険飛行中に福岡県の背振せふり山へ墜落し、九州帝大病院に入院したこと、そのとき献身的な看護に当たった久美子と恋仲になったものの、数か月後ジャピーが全快してフランスへ帰国するのをきっかけに引き裂かれたことを知ります。若く、想像力たくましいあやめは、勝手にふたりの悲恋物語を作り上げて、それに酔ってしまいます。

“悲劇と美談は相性が良い。あやめはその相性の良さを意識していなかった。悲劇はどこまでも悲劇なのに、美談が加わることで悲劇の悲惨さは薄れ、うっとりさせたり感動さえもたらす出来事に塗り替えられる”

ジャピーが久美子に残した懐中時計の修理を頼まれた初老の時計屋・はちみねかずよしは、もっと冷静です。戦前、西洋に比べて日本の地位が低かったこと、ジャピーは冒険家という名の国家スパイだった可能性などに触れ、そもそも言葉が通じない男女の間に起きるのは、恋ではなくただの性欲の発露であると指摘します。さらに、

“ジャピーと久美子さんの出会いは、太平洋戦争の開戦前だったとはいえ、日本は戦闘モードに入っていたし、軍部はどんどん増長していた時期で、墜落時から、軍関係者がそれとなく関わっていたはずだ。となると、久美子の立場は、彼女が自覚している以上に微妙で複雑だったと考えられる”

と、久美子が国策のために利用されていたのではないかと推測します。他家に養女に出されて身寄りがなく、社会的弱者だった久美子が、ジャピーの担当看護師にあてがわれたのも、裏の事情があったのではないか、と。また、あやめの調査で、ジャピーが帰国後、久美子はジャピーの子を妊娠していることに気づき、1人で出産するも、子どもを取り上げられてフランスに連れていかれたことが判明します。
作中の印象的な言葉として、

“この世に、厳然たる事実など存在するだろうか”

“人は人によって自由に思われる権利がある、たとえ死んだ人間であってもだ”

というものがありますが、本作を読み終えたとき、久美子のことを、崇高な愛を貫いた人とみるか、国家間の陰謀に翻弄された人とみるか、読者が胸に抱く物語はさまざまでしょう。

『花迎え』――第一線で活躍し続けてきた女流作家の素顔が垣間見られるエッセイ集


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大人の恋愛作法、刺激を受けた旅、読書録、時事問題への独自の考察、若さを保つ美容法から昨今の若者への提言まで、多岐にわたって綴られたエッセイ集です。
なかでも、「見栄を張る」と題されたエッセイでは、著者の若者観が次のように記されます。

“若者を見ていると、素直だなあ、と感心する。知ったかぶりや背伸びが感じられない。知らないことは知らない。読んでいないものは読んでいない、と言う。問いかけても、さあ判りません、とこれまた正直なこと。それでいて、正直さが謙虚さと結びつかない。あえて言えば不遜なのだ。(中略)友人の作家は言った。「見栄をはらなくちゃ、人間は成長しないんです」なるほどそうか。最近の十代に欠けているのは見栄か、と納得した”

“読んでない本が話題になったときは、読んだふりをする。そして皆と別れて、そそくさと本屋に行き、大慌てで読む。私の読書は、見栄のあとしまつを、いつも大急ぎでやってのけてきたのかも知れない”

自分の周りの半径数メートル以内のことにしか関心がない若者の視線の低さへ警鐘を鳴らし、背伸びしなければ成長しない、とエールを送っています。

おわりに

 国際問題から歴史、美術、古典など、幅広い作風が特徴の髙樹のぶ子。「閉ざされた行動範囲の中で内向し鬱屈する小説」に対しては厳しかった(第139回芥川賞選評より)著者ならではの、視野の広さと目線の高さがうかがえます。小説は「人を励まし、人に滋養を与えるプロダクツ」でなければならない(第150回芥川賞選評より)とも述べていますが、髙木のぶ子の小説こそ、読者の美的感性や知的好奇心を刺激する滋味豊富な作品といえるでしょう。

初出:P+D MAGAZINE(2022/01/21)

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