採れたて本!【国内ミステリ#15】

採れたて本!【国内ミステリ#15】

『ヘレディタリー/継承』『ミッドサマー』といった不穏極まるホラー映画で日本でも人気が高いアメリカの映画監督アリ・アスターが、最新作公開に先立ち来日した。その際、彼が撮影した富士山などの風景写真が話題になり、SNSでは「こんな不気味な富士山を初めて見た」などといったコメントがバズっている。

 本当に? アリ・アスターが撮ったという先入観があったから、そう感じたのでは? そのように疑ってしまったのは、逸木裕の新作長篇『四重奏』を読んだあとだったからかも知れない。著者の作品にはしばしば音楽のモチーフが登場するが、本書もそうした1冊だ。

 チェリストの黛由佳が放火事件に巻き込まれて死んだ。音大時代から由佳を知るチェリストの坂下英紀は、地下室に逃げ込むことも出来たのにそうしなかった彼女の最期に不審を覚える。由佳は生前、天才演奏家・鵜崎顕に傾倒していた。死の真相を突き止めるため、英紀は由佳の死で欠員が出た「鵜崎四重奏団」に入団しようとするが、そのオーディションは想像以上に異様なものだった……。

 狷介にして孤高、恐るべきカリスマ性で団員を支配する鵜崎は、演奏のオリジナリティを徹底的に否定する。英紀は演奏技術は卓越しているが、自分なりの音楽とは何かを見失っていた。そんな彼は、鵜崎の主張に反撥しつつ、自身の信念を激しく揺さぶられることになる。

 作中では、ある高名な老指揮者がタクトを振る場面がある。彼の指揮は危うい部分が多いが、ステージ上では「名演」が成立してしまい、団員たちも聴衆も感極まった状態となる。では「名演」とは何なのか、団員たちの「錯覚」から生まれたものではないのか──と英紀は疑う。作中で言及される、実際にあったゴーストライター騒動にしても、曲がヒットしたのは「現代のベートーヴェン」が「原爆の地獄を描いた」という物語が大衆受けした結果であり、真実が暴かれれば誰も見向きもしなくなった。ならば「感動」の正体とは何なのか。模倣とオリジナリティ、客観と先入観をめぐる問題は、音楽に限った話ではなく、小説や絵画など、さまざまな分野にも降りかかってくるものだろう。アリ・アスターが撮った富士山の写真が、そこまで不気味に見えるかどうかという問題と同じように。

 著者は『電気じかけのクジラは歌う』では、AIが曲を作るようになり、人間の作曲家が不要となった未来社会を描いた。本書では現代を舞台に、音楽を「解釈」するとはどういうことかを描ききってみせた。価値観を揺さぶられるのを覚悟の上で読むべき力作である。

四重奏

『四重奏』
逸木 裕
光文社

評者=千街晶之 

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