著者の窓 第34回 ◈ 中山七里『有罪、とAIは告げた』
AI裁判官ものを、というオファーを受けて
──『有罪、とAIは告げた』は〝もし裁判にAIが導入されたら〟という仮定をもとにしたミステリーです。執筆のきっかけを教えていただけますか。
小学館の編集部から「AI裁判官について書いてほしい」と依頼を受けたのがきっかけなんです。海外ではエストニアのAI裁判官をはじめとして、法律分野でのAI導入が目立っているので、これを反映した新しいリーガルミステリーを書いてくれませんかと。やりましょうとお返事して「STORYBOX」2023年1月号から連載をスタートしたのですが、連載開始後の5月には東京大学の学園祭でAIを使った模擬裁判が行われ、大きな話題となりました。法曹界へのAI導入は決して絵空事ではない、とそのときあらためて実感しました。
──これまでAIへの知識やご関心は?
関心はありましたが、知識はほぼゼロです(笑)。知っているのは映画に登場するAIくらい。人間に反抗するAIを描いたものとして「2001年宇宙の旅」「ターミネーター」「アベンジャーズ」などの系譜があり、AIを別の見方で捉えた映画として「A.I.」や「アイの歌声を聴かせて」があって、という感じで映画好きとして網羅はしているんですが、きちんと調べたことはなかった。それでもなんとかなるだろうと思ったのは、これまでも知らない分野を題材に作品を書いてきたからです。
──では連載が決まってから、AIについて取材されたのですね。
そうです。といってもAI裁判官についての資料はほぼ存在しないんです。門外漢が知りもしない専門用語を振りかざしても分かりにくくなるだけですし、AI技術そのものを説明するのではなく、裁判官の反応など周辺情報を丁寧に描くことを心がけました。その方が専門用語を並べるより、よりリアリティを感じられるものなんです。
便利なものは理性を駆逐してしまう
──物語は中国が開発した裁判官AIが、日本に提供されるところから幕を開けます。〈法神2号〉と名づけられたAIは、過去の判例を学習させると、裁判官の代わりをしてくれるという優れもの。東京高裁管内の地方裁判所と家庭裁判所で、試験的な運用がスタートします。
背景にあるのは裁判官の忙しさです。日本の裁判官はとにかく忙しく、朝から晩まで書類漬けなんですよ。そうした状況を改善するために2019年に司法制度改革が行われたんですが、司法試験の合格者数は増えたのに、裁判官はあまり増えなかった。それに官公庁は最近までフロッピーディスクが使われていたというくらい、効率化が遅れていますからね。もしAIによって作業時間を短縮できたら、というのは多くの裁判官に共通する望みだろうと思います。
──そんな思いを代表するのが、東京高裁総括判事の寺脇です。当初はAIの導入に懐疑的だった寺脇ですが、判決文を一瞬で作成する〈法神2号〉の性能を目のあたりにし、導入を推し進める立場に転じます。
念頭に置いていたのは、スマホが登場した当時の人々の反応です。当初は疑心暗鬼の声が多くて、ガラケーで十分だと言う人も大勢いましたよね。でも一度使い始めると、みんなスマホなしでは生活できなくなった。利便性というのは理性を駆逐してしまうものなんです。自力でやらないと身につかない作業でも、機械に任せられるとなったらつい任せてしまう。AIの導入でも同じようなことが起こると思いました。
──〈法神2号〉は東京高裁管内に広まり、判事の仕事になくてはならない存在になっていきます。
AIイラストだって最初のうちは色塗りだけとか、限定的な使われ方をしていましたが、すぐAIにすべて描かせたイラストが出てきたじゃないですか。そして9割方AIにやらせた仕事であっても、人は自分がやったと勘違いしてしまう。最初はおっかなびっくりであっても、人は必ず便利さに慣れてしまうものなんですね。
──そんな周囲の状況を一歩引いたところで眺めているのが、東京地裁の若き裁判官・高遠寺円。「百人が百人とも肯定するものには疑ってかかりなさい」という祖母・静の教えもあって、彼女は〈法神2号〉に懐疑的です。
高遠寺円と祖母の静は『静おばあちゃんにおまかせ』という作品の登場人物です。静は日本で20番目の女性判事を務めた人物という設定で、世の中で正しいとされていることを疑ってみることを忘れない。そんな祖母に育てられたので、円もどんなに先輩が便利だと絶賛しても、〈法神2号〉を手放しで信用できないんですね。正しいとされることに反対の声をあげるのが難しい時代だからこそ、円のような慎重で昔気質のキャラクターは、存在感を増すだろうなという気がしました。
デジタル思考で人を裁くことの功罪
──そんなある日、円は墨田区で発生した殺人事件を担当することに。18歳の少年・戸塚久志が実父を殺したいわゆる「尊属殺人」で、死刑判決もありうるケースです。
近年、少年法の改正によって「特定少年」にも死刑判決が下されるようになりましたよね。現実でも犯行当時19歳の少年の死刑が確定したというニュースがありましたが、こうした事例は今後ますます増えてくる。そんな時流を意識しながら、作中の父親殺しの事件を作り上げました。「尊属殺人」については以前からあたためていた素材があって、いつか書きたいと機会をうかがっていました。今回AI裁判官という設定と組み合わせたことで、効果的な使い方ができたと思っています。
──円の恋人である警視庁捜査一課の刑事・葛城公彦も、被疑者がかっとなって犯行に及んだ、という筋書きに違和感を抱き、久志少年の真の動機を探ろうとします。
葛城も『静おばあちゃんにおまかせ』に登場しているキャラクターですが、先輩に人間くさい刑事がたくさんいて、自分もそういう刑事になりたいと思っている。昔気質の円とはいいコンビですし、AI裁判を扱った本作には二人のように血の通った人物が絶対必要だと思っていました。
──久志は何を思って父親を殺したのか? 事件をめぐって悩み、葛藤する円や葛城の姿は、データを入力するとたちまち判決を下す〈法神2号〉とは対照的に思えます。
裁判というのは神に代わって人が人を裁くものなので、本来傲慢な行為なんですよね。その傲慢さを少しでもなくそうとするなら、裁判官が事件と真剣に向き合い、悩み抜いて判決を下すしかない。裁判官は葛藤することで、人を裁くことの重みを引き受ける。そのプロセスを省略してAIに判断を委ねてしまっていいのか、ということは書いていて考えたことです。
──そして開かれた事件の公判。久志少年にはどんな判決が下されるのか。裁判長や6人の裁判員をはじめ、裁判に関わる人たちのドラマが緊張感をもって描かれていきます。
作中、6人の裁判員が意見を対立させますよね。あのシーンを書くうえで下敷きにしたのは、映画の「十二人の怒れる男」です。古いモノクロ映画ですが、あの映画で描かれている陪審員制度の持つ危うさは、今の日本人にとっても他人事ではありません。人を裁くことの難しさ、そこに付随する苦悩みたいなものが、この作品の裏テーマでしょうね。うっかり裏テーマまでしゃべってしまいましたが(笑)。
──円や葛城の奮闘によって、事件の意外な真相が明かされていきます。AIを絡めた斬新なリーガルミステリーを最後まで堪能しました。
この作品のキャッチフレーズをあげるなら、「AIには愛がない」。AIには感情がないですから、人間以上に有能に働いているように見えてもどこか抜けがある。愛がないのがAI最大のウィークポイントで、それは裁判のような場で如実に表れてくるだろうと思うんですね。クライマックスの公判シーンには、そうしたAIの特性を反映させて、驚きを生み出すようにしました。
作家の癖をAIは再現できるか
──ChatGPT などの生成AIが身近なものになる一方で、著作権をめぐる問題なども噴出しています。まさに今読まれるべき作品だ、という印象を受けます。
僕は執筆計画がずっと先まで埋まっていて、この作品は4年後に刊行される予定だったんです。でもAIが話題になっている今こそ書かなければと思いまして、急遽スケジュールに差し挟んだんですね。本の帯に「緊急出版」とあるのはそういうことです。プロットを作った段階でまだ ChatGPT は 一般的じゃなかったんですが、連載中にみるみる普及して、時流を睨んだかのようなタイミングになりました。
──ところで中山さんは多作で知られていますが、どうすれば毎月のように新刊が出せるのですか。
単に作業時間が長いんだと思います。荒川弘さんの名言じゃないですが、時間が足りないなら「寝なきゃいい」んです(笑)。今日も2徹目なんですが、明日の朝までに50枚書かないといけないので多分今夜も寝られない。デビューしてから13年ずっとこんな生活なので、これが普通になりました。新しい才能が次々生まれていますし、悠長なペースで書いていたら駆逐されてしまいますから。
──クリエイティブ方面へのAIの活用も進んでいくと予想されます。今後、AIと小説の関係はどうなっていくと考えていますか。
今以上にますます使われるようになるでしょうね。ただAIの作る文章は、整っているけど個性がない。僕の文章は何を書いても「中山七里の文章だ」と分かるような癖がありますが、AIにはそれがありません。文体というのは作家の呼吸そのものですから、今のところAIに再現させるのは難しいんじゃないでしょうか。そのうち作家の息づかいまで再現できるようになるかもしれませんが、その頃には人間も適切な距離感を身につけているだろうと思います。
──これから本書を手にする読者に、メッセージをお願いします。
この本の読みどころは、正解を持っているAIと、正解を持たない人間のせめぎ合いです。正解と不正解のせめぎ合いと言ってもいいですね。人間は不正解を選ぶこともありますが、それが絶対に間違っているとは言い切れない。そして誰かの不正解を許すことができるのも人間だけです。そうしたことに思いを馳せながら、楽しんでいただけると嬉しいですね。
『有罪、とAIは告げた』
中山七里=著
小学館
中山七里(なかやま・しちり)
1961年生まれ、岐阜県出身。『さよならドビュッシー』にて第8回「このミステリーがすごい」大賞を受賞し、2010年デビュー。岬洋介シリーズ、御子柴礼司シリーズなど多くの人気シリーズを執筆するほか、『護られなかった者たちへ』『セイレーンの懺悔』『作家刑事毒島』など映像化作品も多く手がける。